「オモデオ・タッソ」の版間の差分
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2020年12月3日 (木) 09:34時点における最新版
オモデオ・タッソ(Omodeo Tasso)は、13世紀後半のイタリアの人物で、タッソ家(のちのトゥルン・ウント・タクシス家)の家長。ベルガモを中心とする郵便網(ベルガモ飛脚)を築き、近代的な郵便制度を開拓した。
名前
[編集]名はアマデオ・タッソ(Amadeo Tasso)、オメデオ・タッソ(Omedeo Tasso)とも記される。
タッソ家の家名も、タッシ(Tassi)、デ・タシス(de Tassis)などと記されることがあり、オモデオ・デ・タシス(Omodeo de Tassis)の表記もなされる。
生涯
[編集]オモデオの家族は、1200年頃からベルガモ近郊ヴァル・ブレンバーナのアルメンノに暮らしていたことが知られている[1]。ベルガモ周辺では、皇帝派(グエルフ)のコッレオーニ家と教皇派(ギベリン)のスアルディ家の紛争が発生し、オモデオの家族はより奥地の村であるコルネッロに移住した。オモデオはこの村で成長した。
ミラノ(ヴィスコンティ家)がベルガモを占領すると、1290年頃に[2]オモデオは一族の32人を組織して飛脚会社 (Compagnia dei Corrieri) を設立し、ミラノとヴェネツィア(ヴェネツィア共和国)、ローマ(教皇領)を結んだ[3]。王侯やローマ法皇の後援を受けた彼の会社は非常に優秀であり、イタリア全土で飛脚は「ベルガマスキ」(bergamaschi) と呼ばれるようになった[4]。
子孫
[編集]タッソ家(のちにトゥルン・ウント・タクシス家)は、近代的な郵便制度を開拓し、神聖ローマ帝国の郵便長官として帝国郵便(ライヒスポスト)を管轄、また彼ら自身の事業(トゥルン・ウント・タクシス郵便)をも築いた。
創作の中で
[編集]トマス・ピンチョンの小説『競売ナンバー49の叫び』において、オモデオは Omedio Tassis と名を替えられた上で重要な役割を演じている[5][6]。
関連項目
[編集]- 帝国郵便
- ドイツの郵便史コレクション (Postage stamps and postal history of Germany)
脚注
[編集]- ^ Serassi, Pierantonio. La vita di Torquato Tasso, pp. 4 ff. Pagliarini, 1785. Accessed 2 October 2013.
- ^ The Encyclopedia Americana: The International Reference Work, Vol. 25, p. 476. Utgiver Americana Corporation, 1958. Accessed 3 October 2013.
- ^ Turismo Lombardia. "Il Borgo di Camerata Cornello dei Tasso". Accessed 3 October 2013.
- ^ López Jurado, Luis Felipe. Prefilatelia de Murcia: Historia Postal del Reino de Murcia desde 1569 hasta 1861, pp. 26 ff. "La Familia Tassis". Editora Regional de Murcia, 2006. Accessed 3 October 2013.
- ^ Pynchon, Thomas. The Crying of Lot 49. Lippincott & Co., 1966.
- ^ Hurley, Patrick J. Pynchon Character Names: A Dictionary, p. 155. McFarland & Co., 2008.