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2011年、[[京都サンガF.C.]]に完全移籍<ref name="jsgoal20110107" />。移籍早々である同年1月に左膝[[前十字靭帯]]損傷により長期離脱、同年9月に復帰した<ref>{{cite web|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?89675-85341-fl|title=京都と愛媛はスコアレス、京都は左膝前十字靭帯損傷の工藤が復帰|publisher=ゲキサカ|date=2011-09-01|accessdate=2015-01-26}}</ref>。工藤の復帰後リーグ戦は8勝1敗、天皇杯は4連勝でチームは決勝まで駆け上がった。2012年シーズンは背番号が10番となり、京都の中盤の攻撃の核としてチームを牽引した<ref>{{cite web|url=http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201311260015|title=究極の一発勝負・J1昇格プレーオフが今週末開戦|publisher=チケットぴあ|date=2013-11-26|accessdate=2015-01-26}}</ref>。[[J1昇格プレーオフ]]には2012年・2013年と2度出場している。 |
2011年、[[京都サンガF.C.]]に完全移籍<ref name="jsgoal20110107" />。移籍早々である同年1月に左膝[[前十字靭帯]]損傷により長期離脱、同年9月に復帰した<ref>{{cite web|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?89675-85341-fl|title=京都と愛媛はスコアレス、京都は左膝前十字靭帯損傷の工藤が復帰|publisher=ゲキサカ|date=2011-09-01|accessdate=2015-01-26}}</ref>。工藤の復帰後リーグ戦は8勝1敗、天皇杯は4連勝でチームは決勝まで駆け上がった。2012年シーズンは背番号が10番となり、京都の中盤の攻撃の核としてチームを牽引した<ref>{{cite web|url=http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201311260015|title=究極の一発勝負・J1昇格プレーオフが今週末開戦|publisher=チケットぴあ|date=2013-11-26|accessdate=2015-01-26}}</ref>。[[J1昇格プレーオフ]]には2012年・2013年と2度出場している。 |
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2015年、[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]へ完全移籍した(移籍金ゼロ)。広島側は2009年末に一度正式獲得オファーを出しており<ref>{{cite web|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?63135-47841-fl|title=広島がオシムチルドレンの千葉・工藤にオファー|publisher=ゲキサカ|date=2009-12-17|accessdate=2015-01-26}}</ref>以降も補強候補としてリストアップしており<ref>{{cite web|url=http://www.sanfrecce.co.jp/club/conf01.html |title=サポーターズカンファレンス議事録 |publisher=サンフレッチェ広島|date=2015-01 |accessdate=2015-01-20}}</ref>、今回は2度目のオファーによるものだった。5年ぶりとなるJ1でのプレーで、広島としては退団した[[ |
2015年、[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]へ完全移籍した(移籍金ゼロ)。広島側は2009年末に一度正式獲得オファーを出しており<ref>{{cite web|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?63135-47841-fl|title=広島がオシムチルドレンの千葉・工藤にオファー|publisher=ゲキサカ|date=2009-12-17|accessdate=2015-01-26}}</ref>以降も補強候補としてリストアップしており<ref>{{cite web|url=http://www.sanfrecce.co.jp/club/conf01.html |title=サポーターズカンファレンス議事録 |publisher=サンフレッチェ広島|date=2015-01 |accessdate=2015-01-20}}</ref>、今回は2度目のオファーによるものだった。5年ぶりとなるJ1でのプレーで、広島としては退団した[[髙萩洋次郎]]の代わりとして期待されたが<ref>{{cite web|url=http://www.chugoku-np.co.jp/sanfrecce/article/article.php?comment_id=120291&comment_sub_id=0&category_id=131|title=工藤獲得を発表 トップ下起用へ|publisher=中国新聞|date=2015-01-10|accessdate=2015-01-26}}</ref>、[[柴崎晃誠]]・[[デャンフレス・ドウグラス・シャガス・マトス|ドウグラス]]・[[森崎浩司]]らに加え[[野津田岳人]]・[[浅野拓磨]]の台頭によりポジション争いで後塵を拝し、ナビスコ杯予選リーグではほぼ出場を果たしたものの、J1リーグ戦では途中出場した6分だけに終わった<ref name="chugoku20150624">{{cite web|url=http://www.chugoku-np.co.jp/sanfrecce/article/article.php?comment_id=165268&comment_sub_id=0&category_id=131|title=工藤が松本へ完全移籍|publisher=中国新聞|date=2015-06-24|accessdate=2015-06-24}}</ref>。 |
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同年6月、出場機会を求めて[[松本山雅FC]]へ完全移籍<ref name="chugoku20150624" />。工藤の年齢を考えた広島側の配慮により移籍金ゼロでの移籍となった<ref name="chugoku20150624" />。 |
同年6月、出場機会を求めて[[松本山雅FC]]へ完全移籍<ref name="chugoku20150624" />。工藤の年齢を考えた広島側の配慮により移籍金ゼロでの移籍となった<ref name="chugoku20150624" />。 |
2020年11月30日 (月) 03:59時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | コーヘイ 工藤ちゃん 姉崎のマラドーナ | |||||
カタカナ | クドウ コウヘイ | |||||
ラテン文字 | KUDO Kohei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年8月28日(40歳) | |||||
出身地 | 千葉県市原市 | |||||
身長 | 166cm | |||||
体重 | 63kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 22 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1996 | ジェフ市原辰巳台Sジュニア(清水谷小) | |||||
1997-1999 | ジェフ市原辰巳台Sジュニアユース(ちはら台南中) | |||||
2000-2002 | ジェフ市原ユース (姉崎高) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2010 | ジェフ市原/ジェフ千葉 | 180 | (12) | |||
2011-2014 | 京都サンガF.C. | 130 | (9) | |||
2015 | サンフレッチェ広島 | 1 | (0) | |||
2015-2018 | 松本山雅FC | 110 | (20) | |||
2018- | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 36 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
2001 | 日本 U-17 | |||||
2004 | 日本 U-20 | |||||
2008-2009 | 日本 | 0 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年11月24日現在。 2. 2015年1月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
工藤 浩平(くどう こうへい、1984年8月28日 - )は、千葉県市原市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグ・ジェフユナイテッド市原・千葉所属。千葉県立姉崎高等学校卒業。元日本代表。
来歴
この節の加筆が望まれています。 |
市原市出身で、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)アカデミー出身[1]。1993年市原市立清水谷小学校3年生からつまりJリーグが開幕した年からサッカーを始め[2]、1995年5年生から辰巳台スクールへ入団、2000年市原ユースへ昇格する[3]。ジュニアユース同期に小宮山尊信。工藤の一つ下の弟も市原ユース出身でともにプレーしているが、彼は2001年に交通事故で亡くなっている[2]。ユースでは2001年・2002年のJユースカップ2年連続3位が最高成績。
年代別代表にはU-15からU-20まで続けて選出され、2001年田嶋幸三率いるU-17日本代表として2001 FIFA U-17世界選手権出場、2002年大熊清率いるU-19日本代表としてAFCユース選手権2002に出場したものの2003 FIFAワールドユース選手権出場は叶わなかった[1]。
2003年、トップチームであるジェフ市原に昇格した[1]。同期入団は、巻誠一郎と楽山孝志。イビチャ・オシムに鍛えられたいわゆる“オシムチルドレン”の一人であるが[2]当時は主にサブであり、レギュラーを掴んだのは2007年アマル・オシムに起用されて以降のことである。2008年千葉の中心選手として活躍、同年には岡田武史率いるサッカー日本代表に初選出されている[4]。2010年、この年からJ2となった千葉においてキャプテンを務めた。
2011年、京都サンガF.C.に完全移籍[1]。移籍早々である同年1月に左膝前十字靭帯損傷により長期離脱、同年9月に復帰した[5]。工藤の復帰後リーグ戦は8勝1敗、天皇杯は4連勝でチームは決勝まで駆け上がった。2012年シーズンは背番号が10番となり、京都の中盤の攻撃の核としてチームを牽引した[6]。J1昇格プレーオフには2012年・2013年と2度出場している。
2015年、サンフレッチェ広島へ完全移籍した(移籍金ゼロ)。広島側は2009年末に一度正式獲得オファーを出しており[7]以降も補強候補としてリストアップしており[8]、今回は2度目のオファーによるものだった。5年ぶりとなるJ1でのプレーで、広島としては退団した髙萩洋次郎の代わりとして期待されたが[9]、柴崎晃誠・ドウグラス・森崎浩司らに加え野津田岳人・浅野拓磨の台頭によりポジション争いで後塵を拝し、ナビスコ杯予選リーグではほぼ出場を果たしたものの、J1リーグ戦では途中出場した6分だけに終わった[10]。
同年6月、出場機会を求めて松本山雅FCへ完全移籍[10]。工藤の年齢を考えた広島側の配慮により移籍金ゼロでの移籍となった[10]。
2018年7月1日にジェフユナイテッド市原・千葉への完全移籍加入が発表された。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 市原/千葉 | 20 | J1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
2004 | 12 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 17 | 2 | |||
2005 | 24 | 0 | 8 | 1 | 1 | 1 | 33 | 2 | |||
2006 | 10 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 | |||
2007 | 33 | 4 | 5 | 3 | 1 | 0 | 39 | 7 | |||
2008 | 7 | 32 | 2 | 7 | 0 | 1 | 0 | 40 | 2 | ||
2009 | 10 | 32 | 3 | 6 | 0 | 3 | 1 | 41 | 4 | ||
2010 | J2 | 35 | 2 | - | 2 | 0 | 37 | 2 | |||
2011 | 京都 | 20 | 11 | 3 | - | 6 | 1 | 17 | 4 | ||
2012 | 10 | 42 | 4 | - | 2 | 1 | 44 | 5 | |||
2013 | 38 | 2 | - | 2 | 2 | 40 | 4 | ||||
2014 | 39 | 0 | - | 2 | 0 | 41 | 0 | ||||
2015 | 広島 | 15 | J1 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | 6 | 0 | |
松本 | 23 | 15 | 1 | - | 4 | 0 | 19 | 1 | |||
2016 | J2 | 42 | 11 | - | 1 | 0 | 43 | 11 | |||
2017 | 10 | 41 | 8 | - | 0 | 0 | 41 | 0 | |||
2018 | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | ||||
千葉 | 22 | 12 | 0 | - | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2019 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 161 | 11 | 40 | 5 | 11 | 2 | 212 | 18 | |
日本 | J2 | 296 | 31 | - | 17 | 4 | 313 | 35 | |||
総通算 | 457 | 42 | 40 | 5 | 28 | 6 | 525 | 53 |
その他の公式戦
- 2012年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
- 2013年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 1試合0得点
その他の国際公式戦
- 2006年
- A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
- 2003年7月16日 - 公式戦初出場 - ナビスコカップ ガンバ大阪戦(市原臨海)
- 2003年11月8日 - Jリーグ Jリーグ初出場 - 京都パープルサンガ戦(西京極)
- 2004年6月18日 - Jリーグ初得点 - ジュビロ磐田戦(ヤマハ)
タイトル
- 個人
- Jリーグ月間MVP:1回(2017年9月)
出場大会
- 2000年 第9回AFC U-17選手権-詳細
- 2001年 第9回U-17世界選手権-詳細
- 2002年 第36回U-20アジアユース選手権-詳細
- 2005年 第33回トゥーロン国際大会
代表歴
- 1999年 U-15日本代表
- 2000年 U-16日本代表
- 2001年 U-17日本代表
- 2002年 U-18日本代表
- 2003年 U-19日本代表
- 2004年 U-20日本代表
- 2005年 U-21日本代表
- 2008年-2009年 日本代表
脚注
- ^ a b c d “工藤浩平選手 ジェフユナイテッド千葉より完全移籍加入のお知らせ”. J's GOAL (2011年1月7日). 2015年1月26日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “【駆けろ新戦力】<1>MF 工藤浩平(30)=京都 光るパス、オシムの教え”. 中国新聞 (2015年1月29日). 2015年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月29日閲覧。会員登録しないと全文読めない。
- ^ “工藤 浩平選手の契約変更について”. J's GOAL (2004年9月21日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ “【Jリーグ注目選手スペシャルインタビュー】Vol.18:工藤浩平選手”. J's GOAL (2008年11月12日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ “京都と愛媛はスコアレス、京都は左膝前十字靭帯損傷の工藤が復帰”. ゲキサカ (2011年9月1日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ “究極の一発勝負・J1昇格プレーオフが今週末開戦”. チケットぴあ (2013年11月26日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ “広島がオシムチルドレンの千葉・工藤にオファー”. ゲキサカ (2009年12月17日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ “サポーターズカンファレンス議事録”. サンフレッチェ広島 (2015年1月). 2015年1月20日閲覧。
- ^ “工藤獲得を発表 トップ下起用へ”. 中国新聞 (2015年1月10日). 2015年1月26日閲覧。
- ^ a b c “工藤が松本へ完全移籍”. 中国新聞 (2015年6月24日). 2015年6月24日閲覧。
参考資料
- 工藤浩平 – FIFA主催大会成績
- AFCアジアカップ2011カタール予選 - 日本サッカー協会
- 工藤浩平 - ゲキサカ