「西河翔吾」の版間の差分
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** 先発出場、26, 55分に警告2回で退場 |
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* Jリーグ初出場:2004年9月11日 J1 2nd第4節 [[清水エスパルス]]戦 ([[静岡市清水日本平運動公園球技場|日本平スタジアム]]) |
* Jリーグ初出場:2004年9月11日 J1 2nd第4節 [[清水エスパルス]]戦 ([[静岡市清水日本平運動公園球技場|日本平スタジアム]]) |
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* Jリーグ初得点:2007年11月25日 J2第51節 [[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]戦 ([[徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場|ポカリスエットスタジアム]]) |
* Jリーグ初得点:2007年11月25日 J2第51節 [[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]戦 ([[徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場|ポカリスエットスタジアム]]) |
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** 59分、[[金尚佑]]に替わり途中出場、89分ゴール |
** 59分、[[金尚佑]]に替わり途中出場、89分ゴール |
2020年11月30日 (月) 03:59時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ショーゴ | |||||
カタカナ | ニシカワ ショウゴ | |||||
ラテン文字 | NISHIKAWA Shogo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年7月1日(41歳) | |||||
出身地 | 広島県広島市中区 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCセリオーレ | |||||
ポジション | DF | |||||
背番号 | 30 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2009 | サンフレッチェ広島 | 20 | (0) | |||
2006-2008 | →徳島ヴォルティス (loan) | 85 | (3) | |||
2009 | →モンテディオ山形 (loan) | 14 | (1) | |||
2010-2015 | モンテディオ山形 | 129 | (8) | |||
2016-2018 | 横浜FC | 77 | (3) | |||
2018 | →栃木SC (loan) | 17 | (1) | |||
2019 | FC琉球 | 6 | (0) | |||
2020- | FCセリオーレ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2020年5月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
西河 翔吾(にしかわ しょうご、1983年7月1日 - )は、広島県広島市中区出身のサッカー選手(元プロサッカー選手、ディフェンダー)。広島修道大学出身者として唯一のJリーグ選手。
2017年に結婚[1]
2019年、FC琉球HP上では未婚となっていることから離婚したとみられる[2]。
来歴
中学時代は広島大河フットボールクラブに所属。この頃からDFとしてプレーし始めた。広島市立沼田高校から広島修道大学商学部経営学科へ進学し、サッカー部に所属[3]。在籍中、サンフレッチェ広島のホームである広島ビッグアーチでボールボーイをしていたこともある[4]。
転機となったのは2003年、天皇杯広島県予選にあたる全広島サッカー選手権大会で、サンフレッチェ広島ユースと対戦した際に、スカウトの足立修の目に留まりサンフレッチェ広島の練習に参加。監督の小野剛にも認められ、翌2004年2月に特別指定選手となり、公式戦6試合に出場[3]。
また、2004年12月には修道大学の主力として全日本大学サッカー選手権大会に出場し、予選リーグ初戦で筑波大学と対戦、当時筑波に所属していた平山相太を抑え、勝利に貢献した[5]。ただ、同大会決勝トーナメント初戦も同じカードで敗戦している。
その後シーズン終了後に現役大学生のままプロ契約を交わしJリーガーとなった[6]。同期入団は前田俊介・佐藤昭大・髙柳一誠・森脇良太・桒田慎一朗・中尾真那・入船和真。2005年終盤にはレギュラーとして活躍。2006年3月には広島修道大学を卒業したが、チームの不振や監督交代もあり、出場機会が激減した。
2006年9月に出場機会を求め、即戦力DFを求めていた徳島ヴォルティスへレンタル移籍。レギュラーを獲得し、一時はゲームキャプテンも務め、レンタル元の広島からゴールを奪うなど活躍した。2009年、広島へ復帰した[7]。
しかし、ディフェンダーにパスワークへの参加、足元の技術を求めるミハイロ・ペトロヴィッチ監督のスタイルに対応することが出来ず、半年後の2009年6月には、主力に怪我人が続出していたモンテディオ山形へ再びレンタル移籍した。加入後すぐに主力に定着し、移籍初戦で1ゴール1アシストしチームの勝利に貢献[8]。その後も活躍を続け、守備の要として山形のJ1残留に貢献し、山形への完全移籍を果たした。
2019年12月、現役引退とFC琉球のフロントスタッフ就任が発表された[12]。なお、プロサッカー選手としての引退であり、2020年は前述のFC琉球フロントスタッフと並行して沖縄県1部リーグのFCセリオーレに所属しプレーを続けている。
エピソード
- 2010年6月、NDソフトスタジアム山形で行われたファン感謝デーにおける「男前ダービー」で初代王者に輝いた(来場者の投票によるもの)。西河本人は投票者に謝意を示しながらも、優勝者の衣装に「恥ずかしいです…。」とコメントしている[13]。
- 2011年11月24日、山形市十日町で人身事故を起こし、モンテディオを運営する県スポーツ振興21世紀協会によって11月26日に予定されている次戦(名古屋戦)の出場禁止を命じられ、自動車安全運転講習(期日未定)までの運転禁止を課された。
所属クラブ
- ユース経歴
- 舟入SSS (広島市立舟入小学校)
- 広島大河フットボールクラブ
- 広島市立沼田高等学校
- 2002年 - 2004年 広島修道大学 (2005年度卒業)
- プロ・アマチュア経歴
- 2005年 - 2009年 サンフレッチェ広島
- 2010年 - 2015年 モンテディオ山形
- 2016年 - 2018年 横浜FC
- 2018年 栃木SC (期限付き移籍)
- 2019年 FC琉球
- 2020年 - FCセリオーレ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 広島 | 34 | J1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 |
2005 | 22 | 13 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | ||
2006 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | 5 | 0 | ||||
徳島 | 33 | J2 | 8 | 0 | - | 1 | 0 | 9 | 0 | ||
2007 | 6 | 42 | 1 | - | 1 | 0 | 43 | 1 | |||
2008 | 35 | 2 | - | 1 | 0 | 36 | 2 | ||||
2009 | 広島 | 3 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |
山形 | 34 | 14 | 1 | - | 2 | 0 | 16 | 1 | |||
2010 | 4 | 18 | 1 | 3 | 0 | 4 | 1 | 25 | 2 | ||
2011 | 11 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |||
2012 | J2 | 37 | 1 | - | 2 | 1 | 39 | 2 | |||
2013 | 22 | 4 | - | 3 | 0 | 25 | 4 | ||||
2014 | 14 | 0 | - | 0 | 0 | 14 | 0 | ||||
2015 | J1 | 27 | 2 | 5 | 0 | 2 | 0 | 34 | 2 | ||
2016 | 横浜FC | 5 | J2 | 42 | 1 | - | 1 | 0 | 43 | 1 | |
2017 | 35 | 2 | - | 1 | 0 | 36 | 2 | ||||
2018 | 栃木 | 3 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | ||
2019 | 琉球 | 30 | 6 | 0 | - | 1 | 0 | 7 | 0 | ||
2020 | セリオーレ | 沖縄県1部 | - | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 90 | 4 | 13 | 0 | 10 | 1 | 113 | 5 | |
日本 | J2 | 258 | 12 | - | 11 | 1 | 269 | 13 | |||
日本 | 沖縄県1部 | - | - | ||||||||
総通算 | 348 | 16 | 13 | 0 | 21 | 2 | 382 | 18 |
- 2004年は特別指定選手として出場
出場歴
- 公式戦初出場:2004年4月29日 ナビスコカップ第2節 横浜F・マリノス戦 (横浜国際総合競技場)
- 先発出場、26, 55分に警告2回で退場
- Jリーグ初出場:2004年9月11日 J1 2nd第4節 清水エスパルス戦 (日本平スタジアム)
- 42分、髙萩洋次郎に替わり途中出場
- Jリーグ初得点:2007年11月25日 J2第51節 ザスパ草津戦 (ポカリスエットスタジアム)
- 59分、金尚佑に替わり途中出場、89分ゴール
代表・選抜歴
- 2001年 広島県国体選抜
- 2003年 - 2004年 中国・四国大学選抜
脚注
- ^ “DF西河翔吾選手入籍のお知らせ”. 横浜FCオフィシャルホームページ. 2019年11月12日閲覧。
- ^ “FC琉球公式サイト | FC Ryukyu Official Website”. fcryukyu.com. 2019年11月12日閲覧。
- ^ a b 広島経修道大学同窓会. “インタビュー”. 2009年9月4日閲覧。
- ^ 修道大学とビッグアーチはすぐ近くにあるため、サッカー部に所属している選手がボールボーイを担当している。
- ^ 中国新聞 (2005年1月20日). “飛翔へ サンフレの新人たち”. 2009年9月4日閲覧。
- ^ 広島経修道大学同窓会. “西河とプロ契約 サンフレ”. 2009年9月4日閲覧。
- ^ サンフレッチェ・ラジオ・サポーターズクラブ “GOA〜L” (2009年1月13日). “西河翔吾選手をゲストにお迎えしました”. 2009年9月4日閲覧。
- ^ J's GOAL (2009年8月30日). “【J1:第24節 山形 vs 広島】プレビュー”. 2009年9月4日閲覧。
- ^ DF西河翔吾選手モンテディオ山形より 完全移籍加入のお知らせ - 2015年12月21日 横浜FC公式サイト
- ^ 西河 翔吾選手 横浜FCより期限付き移籍加入のお知らせ - 2018年1月10日 栃木SC公式サイト
- ^ 西河 翔吾選手 移籍加入のお知らせ - 2018年12月26日 FC琉球公式サイト
- ^ 西河翔吾選手 現役引退とフロントスタッフ就任のお知らせ - 2019年12月13日 FC琉球公式サイト
- ^ 日刊スポーツ.山形「男前ダービー」西河が初代王者.2010年6月13日閲覧