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2020年11月28日 (土) 23:59時点における版
大阪府立泉尾高等学校 | |
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(2008年〈平成20年〉10月撮影) | |
過去の名称 |
大阪府立第七高等女学校 大阪府立泉尾高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
校訓 | 純真清楚・質実剛健 |
設立年月日 | 1921年(大正10年)3月31日 |
創立記念日 | 6月1日 |
閉校年月日 | 2020年(令和2年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
高校コード | 27131E |
所在地 | 〒551-0031 |
北緯34度39分31.4秒 東経135度28分12.9秒 / 北緯34.658722度 東経135.470250度座標: 北緯34度39分31.4秒 東経135度28分12.9秒 / 北緯34.658722度 東経135.470250度 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立泉尾高等学校(おおさかふりつ いずお こうとうがっこう)は、かつて大阪府大阪市大正区にあった公立の高等学校。大正中期1921年、府立7番目の高等女学校として創立。99周年の2020年(令和2年)に閉校となり、同じ校舎に大阪府立大正白稜高等学校が開校している。
概要
1921年(大正10年)大阪市西区に大阪府立第七高等女学校として創立した(文部省告示第281号4月5日付で設置と4月開校を認可[1]。のちに大阪府立泉尾高等女学校に改称)。
太平洋戦争後の学制改革に伴い、新制の高校「大阪府立泉尾高等学校」に改編。全日制普通科を設置した。
普通科にコース制を導入し、多様な選択科目を設置。また、1クラス35人学級や英語と数学では少人数授業による習熟度別学習指導[2]のほか、2007年(平成19年)度から大阪府教育委員会からアクティブ・ハイスクールに指定され、教頭2人体制でキャリアアドバイザーも配置し、夏に隣接のセミナーハウス(同窓会館「白稜会白百合会館」)での勉強合宿なども実施。2015年9月から、情報の授業でニンテンドー3DSと「BASIC」を使ったプログラミング教育も行っていた[3]。
校訓は、高等女学校時代からの「純真清楚」。校是は、旧制大阪府立今宮中学校(学制改革時の交流先)から引き継いだ「質実剛健」。
沿革
校地のある大阪湾岸の泉尾地域は、江戸時代に開発された天領で、棉や菜種、西瓜、白瓜などが栽培された、いわゆる摂津川口新田の一つ[4][5]で、泉尾地域の発展のため地主で篤志家の田中藤兵衛が尽力。自宅の隣に学校を誘致の運動をしていた[6]。
1921年(大正10年)3月31日付で設立された大阪府立第七高等女学校は、4月8日より大阪市西区市岡町の大阪府立市岡高等女学校(現・港区波除2丁目の大阪府立港高等学校)を仮校舎として授業を開始。翌1922年4月1日、大阪府立泉尾高等女学校と改称し(文部省 告示第165号3月15日付で改称を認可[7])、同年6月1日に西区泉尾町に移転した(現在地)。この移転日を創立記念日としている。
なお、誘致に尽力した田中藤兵衛も、娘2人を泉尾高女の2期生・5期生として通わせている[6]。
泉尾高女は1948年の学制改革により、大阪府立泉尾高等学校になった。同年5月28日に大阪府立今宮高等学校(旧制の府立今宮中学校)および大阪市立南高等学校(旧・南高等女学校)と生徒・教職員を交流(入れ替え)し、男女共学となった。
エリート校が「府教委に翻弄」され再編
2019年(令和元年)度からの「大阪府立高等学校・大阪市立高等学校再編整備計画[8]」(2023年度まで)に基づき、大阪府教育委員会は2016年11月18日の教育委員会会議において、泉尾高校を大阪府立大正高等学校と再編統合することを決定。2018年から生徒の募集を停止した。同年4月1日、泉尾高校の校地に統合校大阪府立大正白稜高等学校が開校した[9]。
2020年2月28日、第72回卒業証書授与式及び閉校式が実施され[10]、3月31日をもって泉尾高校は閉校した。
元校長によると、「大阪府立第7高等女学校という輝かしいナンバースクール」の泉尾高校が再編されたのは「大阪府教育委員会の施策に翻弄された結果」としている。
高校進学率の上昇した1970年代、黒田革新府政が、高校入試で「十五の春は泣かせない」政策[11]として府立高校を大幅に新設[12]する際、「土地があるという理由で泉尾という小さな地域に3校目の高校」として大正高校が新設された上、新設校を育てる府教委の方針で、大正高校に総合選択制や前期入試を導入するなど、生徒確保の面で大正高校が有利な立場となっていった。結果、距離わずか約400m先の泉尾高校は、かつて「地元の人たちが進学することも難しいほどの 『エリート校』 」だったにもかかわらず「伝統校であっても生徒募集が難しく、地元の方々からも見捨てられた結果、生徒がほとんど集まらない高校へと転落」し、再編統合されることとなった[6]。
年表
- 1921年(大正10年) - 3月31日、「大阪府立第七高等女学校」として開校[1]。4月8日、大阪府立市岡高等女学校(現・大阪府立港高等学校)を仮校舎として授業を開始
- 1922年 - 4月1日、「大阪府立泉尾高等女学校」と改称[7]。6月1日、移転(現在地)
- 1931年(昭和6年) - 大阪府立泉尾高等女学校白百合会裁縫講習所を設立
- 1934年 - 同窓会を設立[13]。9月21日、室戸台風で校舎が被災(授業しばらく中止)
- 1940年 - 10月7日、大阪府泉尾臨時教員養成所を校内に併設(終戦直後1945年9月に閉鎖)
- 1942年 - 6月1日、校外学舎白百合学園並びに白百合幼稚園を創立(奈良県生駒市)
- 1944年 - 太平洋戦争の戦局悪化により、生徒は近隣の工場に勤労動員
- 1945年 - 7月1日、白百合学園で全面学習を開始(疎開)
- 1948年 - 戦後の学制改革により「大阪府立泉尾高等学校」と改称。大阪府立今宮高等学校・大阪市立南高等学校と生徒を交流、男女共学に移行。新制の高校の校歌を制定
- 1960年11月3日 - 長野県・白馬乗鞍高原に山岳・スキー合宿施設「泉嶺ヒュッテ」竣工
- 1961年 - 新プール竣工
- 1971年 - 6月1日、創立50周年記念式典挙行
- 1978年 - 校舎の全面改築が始まる
- 1981年 - 1月13日、新体育館兼講堂竣工
- 2002年(平成14年) - 制服デザインを一新(翌2003年新入生から導入)。
- 2011年 - 創立90周年記念式典挙行
- 2018年 - 生徒募集停止。4月1日、大阪府立大正高等学校と統合した大阪府立大正白稜高等学校が泉尾高校内に開校
- 2020年(令和2年) - 2月28日、泉尾高校の閉校式。3月31日、閉校
(年表の主要な出典は公式サイト[14]
基礎データ
交通アクセス
鉄道
- JR西日本大阪環状線・Osaka Metro(地下鉄)長堀鶴見緑地線大正駅 南西へ約1.2 km(徒歩で約15分)
- 大阪環状線・Osaka Metro中央線 弁天町駅 南西へ約1.9km(徒歩で約25分)
バス
- 大阪シティバス 「永楽橋筋」バス停より西へ約400m(徒歩で約4分)または「泉尾三丁目」バス停より東へ約200m(徒歩で約2分)
象徴
校章
校章は泉尾高等女学校校章の『純真清楚』を象徴する白百合のふちと、府立今宮中の校章の星から『たくましく知性の燦めき』 という意味で有名なオリオン星の三稜(三ツ星)をとり、それらを組み合わせたデザインの中央に「高」の字を配置している[15]。
校歌
旧制高女の校歌は小林里による作詞、永井幸次による作曲。新制高校の校歌は金戸守による作詞、橘静雄による作曲[15]
制服
制服は1923年6月に制定。府立高女で初の制定。2002年(平成14年)にデザインが一新された。
学校施設
校舎は1924年2月23日[14]、府立高女で初の鉄筋コンクリート建築で落成した。1978年に改築工事が開始され、新校舎が1981年3月に完成した。
ただ一部の校舎は、旧耐震基準の既存不適格のままであり震度6強の揺れで倒壊の恐れがある。このため2005年(平成17年)と2010年度に改修を行った[16]。
貴重な大正期のスタインウェイ・ピアノ
泉尾高女の誘致に尽力した田中藤兵衛が、泉尾高女に通わせた娘2人の卒業後、友人と2人でスタインウェイ製ピアノを寄贈した。このピアノを2000年代に修復し、毎年コンサートも開いていた[6]。
諸活動
部活動
- 軟式野球部 - 1972年(昭和47年)夏の全国高等学校野球選手権大阪大会大阪府予選で、エース投手に3年生の田尾安志を擁し、2回戦で近大付属を、準々決勝で大商大付属を破り、準決勝まで進んだが、浪商に敗れた。田尾の入部時に先輩部員は3年生3人と2年生2人の計5人だけ。2年生の先輩とキャッチボールした際、1年生の田尾の球を捕れなかったほどの弱小野球部だった[17]。
学校行事
6月の体育祭と11月の文化祭をあわせて「泉高祭(いずこうさい)」と呼ぶ。体育祭は、各学年を6つないし7つに分割し、上下級生で一体の「団」と呼ばれる“縦割り”チーム編成で激しい応援を競うのが特色。11月に開かれる文化祭は模擬店の多さ、全クラスが個別に垂れ幕を作りPRするのが特色。舞台演劇、ヒップホップダンス、軽音楽部によるバンド演奏のほか、同校教師陣による「先生バンド」がフィナーレを飾る。
毎夏、生徒会執行部が24時間テレビチャリティーキャンペーンにあわせ地元商店街に夜店を出し、売上げ金を寄付していた。また、大阪市環境局の協力で、地域清掃活動「泉高クリーンウォーク」を定期的に行っていた[13]。
泉尾高女の時代に勤労動員
終戦直前1945年3月から、泉尾高女時代の生徒の大半は、大阪府立市岡高等女学校や私立明浄高等女学校生徒とともに、東京第二陸軍造兵廠香里製造所(大阪府北河内郡枚方町)において、火薬の粉塵が舞う劣悪な環境の中で昼夜二交代、爆弾・砲弾の製造作業に従事した。校舎も戦時中1945年3月13日の第一次大阪大空襲で被災しており、この体験を無にしないため、香里製造所の跡地には非戦の誓いの碑が建てられている。
高校関係者と組織
関連団体
- 大阪府立泉尾高等学校 同窓会 白稜会 - 同窓会。読み方は「はくりょうかい」(高女から続く「白百合会」を1982年11月20日に改称)。戦前、郊外学舎・白百合学園を奈良県生駒郡生駒町俵口(現・生駒市俵口町)に設立(1941年1月19日に地鎮祭)。農作業や、併設白百合幼稚園での保育実習も実施していた。
高校関係者一覧
政治・行政
経済
- 堀家公隆 - ジェイアール(JR)貨物・山陽ロジスティクス元社長[18]
- 西岡明賜 - 大手流通グループイオン (企業)のドラッグ事業EC議長。元マイカル社長
- 松井理悦 - から揚げ専門店チェーン「天下鳥ます」(株式会社アジアンアキンド)代表取締役[20]
- 面屋龍延 - 清風堂書店社長。日本書店業協同組合副会長、大阪府書店商業組合理事長
学者
学芸
芸能
スポーツ
- 奥野剛 - プロスケートボードライダー(プロスケーター)
- 小久保浩樹 - 元プロ野球選手
- 鹿間梨沙 - ボウリング(プロボウラー)
- 田尾安志 - 元プロ野球選手
- 星川学 - 元社会人野球ヤマハ硬式野球部主将
その他
脚注
- ^ a b 官報大正10年(1921年)4月5日第8631号
- ^ “学校案内パンフレット平成27年(2015年)”. 大阪府立泉尾高等学校. 2020年11月5日閲覧。
- ^ “3DSでBASICを扱えるソフト「プチコン3号」がプログラミング実習教材として高校に導入” (日本語). CNET Japan. (2015年8月18日) 2020年11月5日閲覧。
- ^ 攝津泉尾新田の歴史地理的考察 摂津型農業研究の一節として 三橋時雄(京都大学農学部教授)
- ^ “区のなりたち|大阪市コミュニティ協会 大正区支部協議会”. 大阪市コミュニティ協会 大正区支部協議会. 2020年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e 大阪府立泉尾高等学校同窓会白稜会「白稜会報」平成29年(2017年)5月1日 第64号
- ^ a b 官報 大正11年(1922年)3月15日第8631号
- ^ “大阪府立高等学校・大阪市立高等学校再編整備計画”. 大阪府教育委員会. 2020年11月5日閲覧。
- ^ 府立泉尾高等学校(大阪府立大正白稜高等学校)校地と、大阪府立大正高等学校校地は直線距離で約400m離れている。
- ^ 大阪府立泉尾高等学校. “おしらせ”. 2020年2月28日閲覧。
- ^ 十五の春(ジュウゴノハル)とは - コトバンク
- ^ 故黒田さん(元大阪府知事)偲び お別れする会/不破議長、桂米朝さんらがお別れの言葉/参列の2100人が献花 - 日本共産党
- ^ a b “学校案内パンフレット平成27年(2015年)”. 大阪府立泉尾高等学校. 2020年11月5日閲覧。
- ^ a b “沿革│大阪府立泉尾高等学校”. 大阪府立泉尾高等学校. 2020年11月6日閲覧。
- ^ a b “校歌・校章│大阪府立泉尾高等学校”. 大阪府立泉尾高等学校. 2020年11月5日閲覧。
- ^ “棟別耐震性能一覧表【府立学校】”. 大阪府庁. 2020年11月5日閲覧。
- ^ “【野球がぜんぶ教えてくれた 田尾安志】工夫次第で道は開ける” (日本語). 産経新聞. (2018年7月24日) 2020年11月5日閲覧。
- ^ a b 大阪府立泉尾高等学校同窓会白稜会「白稜会報」平成26年(2014年)5月1日 第61号
- ^ “酒井事務所(プロフィール)”. 酒井豊. 2020年11月5日閲覧。
- ^ “白血病社長”. 天下鳥ます. 2020年11月5日閲覧。
参考文献
- 大阪府立泉尾高等学校『創立80周年記念誌』2001年。
関連項目
- 大阪府立大正白稜高等学校 - 後身の総合学科高校
- 大阪府立和泉高等学校 - 府立6番目の高等女学校
- 大阪府立河南高等学校 - 府立8番目の高等女学校
- 高等女学校
- 大阪府立今宮高等学校
- 旧制中等教育学校の一覧 (大阪府)
- 大阪府高等学校一覧