「東海北部線」の版間の差分
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2020年11月24日 (火) 01:03時点における版
東海北部線 | |
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国道7号線と並んで北朝鮮に伸びる東海北部線の線路。中ほどの迷彩色の構造物は、有事に備えた交通遮断装置。その向こうの軍事境界線付近は撮影当時ゲートで閉ざされていた。2005年9月、韓国江原道・高城統一展望台より撮影。 猪津駅。駅は東海線鉄道南北出入事務所と併設されている。2006年8月撮影 | |
各種表記 | |
ハングル: | 동해북부선 |
漢字: | 東海北部線 |
発音: | トンヘブクプソン |
日本語読み: | とうかいほくぶせん |
英語案内: | Donghae Bukbu Line |
東海北部線(トンヘブクプせん、とうかいほくぶせん)は、日本統治時代の朝鮮半島に存在した鉄道路線。
日本統治時代には建設途中のローカル線であったが、日本の統治終了と朝鮮戦争(1950年 - 1953年)の結果、路線が軍事境界線を跨ぐことになったため、大韓民国(韓国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)側いずれにおいても事実上廃線となった。
概要
元は、日本海に沿って京元線が通る元山から慶州・釜山までを結ぶ東海線の計画に基づいて、慶州から北進する東海南部線と、元山(厳密には京元線の途中の安辺)から南進する東海北部線の建設が始められ、1929年(昭和4年)より暫定的にその一部が順次営業を開始したものである。1937年(昭和12年)には襄陽までが開業したが、ここから先は建設中のまま終戦を迎え、全通しなかった。
暫定開業であったことから重要性は低い路線で、旅客列車の本数は数往復程度であり、東海北部線の駅は「朝鮮総督府鉄道で最も勤務が楽な駅」とも職員から呼ばれたと言われる[1]。しかし、沿線には金剛山観光の入り口である外金剛駅など、幾つか観光地も存在し、観光シーズンの5月から10月にかけての日曜・祝祭日の前日には、京城(現:ソウル)からの夜行列車が外金剛駅まで運行された。
太平洋戦争終結後、日本統治終了により北緯38度線を境に国土が南北に分断された後、東海北部線の運行は北朝鮮側の手によって行われていたが、その後の朝鮮戦争で設備は完全に破壊され、北朝鮮側は事実上の廃線となった。一方、韓国側となった県内 - 襄陽間は戸籍上1953年7月31日に再開業したものの、実際の列車運行はなされず、1963年9月30日に県内 - 杆城間、1965年2月28日に杆城 - 束草間、1967年1月1日に束草 - 襄陽間が廃止され、全線が正式に廃線となった。終点の襄陽から先の工事も進んでいたが、未成線となった。
1962年に、韓国によって東海線の一部になる予定であった東海 - 江陵間が嶺東線として開業したが、東海北部線の復旧工事は束草 - 襄陽間廃止後、南北いずれでもなされずに放置されていた。
北朝鮮側では1970年代初めから再建工事が行われていたとの報告もあるが、結局1996年に金剛山青年線として、安辺からかつて外金剛駅があった場所に建設された金剛山青年駅までの路線が、電化された上で復旧された。しかし北朝鮮の燃料不足とそもそもの不良工事のために列車の運行はなされず、休線のまま放置されていると言われる[2]。
2000年の南北首脳会談により、京義線と共にロシアなどが貨物輸送で注目していることもあって、東海線も復旧工事を行うことが議決された。それに伴い2002年9月に東海北部線の連結工事が着工され、以後韓国と北朝鮮が共同で工事を進めている。韓国側では猪津駅、北朝鮮側では鑑湖駅など駅舎の工事が行われ、鉄道本体の工事も進み、2006年5月25日に南北直通試運転が行われる予定となったが、24日午前に北朝鮮側から突然中止を通告された。
2007年5月17日、ようやく北から南への直通試運転が実施された。猪津駅まで北朝鮮の車両が乗り入れ、その日のうちに北朝鮮へと戻った。
年表
- 1929年9月1日 - 安辺 - 歙谷(現:鳴皐)間が開業。
- 1930年10月25日 - 通川駅(現:東海駅)付近の工事が中止。
- 1930年10月29日 - 通川駅付近の工事が再開。
- 1931年7月21日 - 歙谷 - 通川(現:東海)間が開業。
- 1932年5月21日 - 通川 - 荳白(現:豆浦)間が開業。
- 1932年8月1日 - 荳白 - 長箭(現:高城)間が開業。
- 1932年9月16日 - 長箭 - 外金剛(現:金剛山青年)間が開業。
- 1932年11月1日 - 外金剛 - 高城(旧)間が開業。
- 1935年11月1日 - 高城(旧) - 杆城間が開業。
- 1937年12月1日 - 杆城 - 襄陽間が開業し、東海北部線が全通。
- 1953年7月31日 - 安辺 - 県内間が廃止。
- 1963年9月30日 - 県内 - 杆城間が廃止。
- 1965年2月28日 - 杆城 - 束草間が廃止。
- 1967年1月1日 - 束草 - 襄陽間が廃止され、東海北部線が全線廃止。
- 1996年 - 安辺 - 金剛山青年(旧:外金剛)間が再開業。
- 2000年6月15日 - 南北首脳会談で京義本線、東海北部線の接続を推進。
- 2005年12月 - 金剛山青年 - 猪津間が再開業。
- 2007年5月17日 - 金剛山青年 - 猪津間で列車の試験運行を実施。
路線概要
- 1942年当時
- 2012年12月15日現在
- 路線距離:鑑湖 - 猪津間11.1 km(北側4.7 km、南側6.4 km)
- 軌間:1435mm
- 電化区間:なし
- 複線区間:なし
運行概要
1942年10月1日改正当時
- 運行本数:元山 - 襄陽間3往復半、元山 - 高城間1往復、高城 - 襄陽間下り1本
- 所要時間:元山 - 襄陽間7時間20分 - 10時間20分
駅一覧
駅名 | 駅間キロ (km) | 累計キロ (km) | 駅 等級 |
駅種別 | 接続路線 | 所在地 | |||
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日本語 | ハングル | 英語 | |||||||
鑑湖駅 | 감호역 | Kamho[3] | 0.0 | 0.0 | 北朝鮮鉄道省:金剛山青年線 | 北朝鮮江原道 | 高城郡 | ||
猪津駅 | 제진역 | Jejin | 11.1 | 11.1 | 無配置簡易駅 | 韓国江原道 | 高城郡 | ||
県内駅 | 현내역 | Hyeonnae | 10.0 | 21.1 | 廃止駅 | ||||
巨津駅 | 거진역 | Geojin | 7.4 | 28.5 | |||||
杆城駅 | 간성역 | Ganseong | 7.4 | 35.9 | |||||
公峴津駅 | 공현진역 | Gonghyeonjin | 6.7 | 42.6 | |||||
文岩駅 | 문암역 | Munam | 5.9 | 48.5 | |||||
天津里駅 | 천진리역 | Cheonjin-ri | 5.9 | 54.4 | |||||
束草駅 | 속초역 | Sokcho | 6.5 | 60.9 | 束草市 | ||||
大浦駅 | 대포역 | Daepo | 5.8 | 66.7 | |||||
洛山寺駅 | 낙산사역 | Naksansa | 3.7 | 70.4 | 襄陽郡 | ||||
襄陽駅 | 양양역 | Yangyang | 7.4 | 77.8 |
廃駅
- 草邱駅(초구역) - 鑑湖駅と猪津駅との間に存在した。廃止当時は江原道高城郡に位置していた。(安辺起点119.9 km)
脚注
- ^ 小牟田哲彦『鉄馬は走りたい 南北朝鮮分断鉄道に乗る』草思社181-182頁
- ^ 2018年12月に行われた南北鉄道共同調査においても、線路状態が良くないため、韓国側が用意した調査列車を運行することができず、調査団は安辺駅~金剛山青年駅をバスで移動せざるを得なかった
- ^ マッキューン=ライシャワー式の表記。文化観光部2000年式ではGamho