「藤原頼遠」の版間の差分
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== 脚注 == |
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2020年11月17日 (火) 01:27時点における版
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
氏族 | 奥州藤原氏 |
父母 | 父:藤原正頼、養父:藤原千清 |
兄弟 | 有遠(太郎大夫)、頼遠 |
妻 | 平国妙姉妹 |
子 | 経清、連国[注釈 1] |
藤原 頼遠(ふじわら の よりとお)は、平安時代中期の武将。藤原氏の本流である藤原北家・秀郷流の五代目の子孫。藤原千晴の孫。
経歴
藤原頼遠の名前である「頼遠」には「頼」の字があり、これは藤原氏が“約210年間行った摂関政治”において、父・藤原道長と共に“摂関政治の最盛期”を現出した「50年間関白」・藤原頼通から、頼通の名前である「頼通」(よりみち)の「頼」の字を賜ったものだとみられる。このような、非常に身分の高い人物から名前の一字をもらうことを偏諱という。偏諱によって高貴な人物からその人物の名前の一字をもらうことが出来る人物は、その名前の一字をもらう側の人物も非常に有力な人物だということを意味する。つまりことのことは、藤原頼遠が非常に有力な人物だったということを示している。
『尊卑分脈』によると、藤原頼遠は「下総(千葉県)住人・五郎太大夫」とある。その後、朝廷が律令制で定めた全国68ヵ国の“国の4ランク”大国・上国・中国・小国の“最上位の国”である大国であり、更に“面積が日本最大の国”でもある陸奥国(宮城県・福島県・岩手県・青森県)に下向するが、その理由は不明である。 なお、頼遠が住んでいた下総国を含む房総を中心に起こった、長元元年(1028年)からの平忠常の乱に関連した可能性も考えられる。 『続群書類従』坂上系図によると、陸奥国の権少掾(律令制の四等官における“国のナンバースリー”)である坂上頼遠(藤原頼遠か?)は、従二位・公卿・藤原秀郷(武蔵守・下野守・鎮守府将軍・武門の棟梁)の孫である藤原千清の養子になったという[1]。 なお、実子であろうと養子であろうと家系(家系図)の上では同じ扱いをされていて、日本には養子としてその「家」(一族)の本家の当主になった人物や嫡男(跡取り息子)になった人物がたくさんいる。
なお、東北地方の藤原氏である“奥州藤原氏の祖”であり前九年の役で朝廷軍と戦った貴族・藤原経清(陸奥国の国府兼鎮守府・多賀城のナンバーツー)は、藤原頼遠の息子である。
脚注
注釈
- ^ 官位は出羽輔介(『尊卑分脈』)。
出典
参考文献
- 野口実『千葉氏の研究』名著出版〈関東武士研究叢書〉、2000年5月。ISBN 9784626015761。