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2020年11月16日 (月) 17:52時点における版
来原 治子(くるはら はるこ、? - 明治8年(1875年)11月17日)は、幕末から明治時代初期の女性。木戸孝允(桂小五郎)の同母妹。来原良蔵の妻。父は和田昌景、母は田辺玄養の娘。子に木戸孝正、木戸正二郎。名前はハル、春子とも。
略伝
兄の小五郎が剣術修行のため萩を出る頃には、両親・異母姉らはすでに亡く、肉親は治子1人であった。嘉永5年(1852年)9月、小五郎は高齢の祖母を妹に託して江戸に旅立った(木戸松菊略伝)。
安政3年(1856年)9月25日、来原良蔵に嫁ぐ。翌安政4年(1857年)9月14日、長男・彦太郎誕生。文久元年(1861年)次男・正次郎誕生。翌年文久2年(1862年)8月29日、夫の良蔵が江戸で自害し、未亡人となる。結婚生活は6年間であった。
慶応2年(1866年)5月、次男・正二郎が兄・孝允の養嗣子となる。明治4年(1871年)1月に彦太郎がアメリカ留学、6月に正二郎がイギリス留学。明治7年7月に彦太郎帰国。翌明治8年(1875年)5月、正二郎帰国。
次男帰国の半年後の11月17日、大阪にて死去。墓は夫良蔵と同じく東京都世田谷区の松陰神社にある。墓碑の名は「和田春子」。
参考文献
- 『企画展示 侯爵家のアルバム-孝允から幸一にいたる木戸家写真資料-』 国立歴史民俗博物館、2011年3月1日。