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2020年11月10日 (火) 22:00時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県甲斐市 |
生年月日 | 1970年2月16日(54歳) |
身長 体重 |
183 cm 104 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト1位 |
初出場 |
NPB / 1990年5月13日 CPBL / 2002年3月9日 |
最終出場 |
NPB / 2001年8月24日 CPBL / 2005年10月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
監督・コーチ歴 | |
| |
この表について
|
中込 伸(なかごみ しん、1970年2月16日 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・監督。2009年まで中華職業棒球大聯盟・兄弟エレファンツの監督を務めていた。
来歴・人物
中学時代は剃り込み頭にちゃんちゃんこ、雪駄というツッパリファッションで通学していた。中学卒業後は甲府工業高校の定時制に進学。1987年に甲府工業高校のエースとして第59回選抜大会に出場。
現役時代
定時制在籍の4年次は高校野球(硬式)の公式戦に出場できないため、1988年に神崎工業高校・定時制に編入し、あわせて阪神タイガースへ練習生(公式な役職としては球団職員)として在籍。1988年度ドラフト会議にて阪神タイガースから1位指名を受けて入団。
1990年、右ひじを痛めた影響からフランク・ジョーブの執刀のもと軟骨除去手術を行う。1991年に無四球完投でプロ初勝利。[1]1992年には体格100kgを越える巨体から重い速球とカットボール(当時はまっスラと言われてた)・フォークボールを武器に9勝8敗・防御率2.42を記録し、優勝争いを演じたチームの主軸投手として大活躍。しかし、1994年と1995年に再び右ひじを手術。1997年に先発として復活し、翌1998年には5年ぶりの規定投球回をクリアしたが、1999年から就任した野村克也とは体型の管理などで反りが合わず登板が激減。また同年には中谷仁・山村宏樹とのトラブルもあり、2001年オフに自由契約となり、2002年に福岡ダイエーホークスの入団テストを受けて再起を図るも、不合格となった。その後、中華職業棒球大聯盟(CPBL)・兄弟エレファンツに入団。2005年には兼任コーチも務め、同年限りで現役を引退。
阪神時代のチームメイトの郭李建夫と風貌、顔がそっくりで、入団当初は、「実は兄弟ではないか」と話題になりやくみつるや中山ラマダらの4コマ漫画でネタにされたことがある。そのせいもあってか中込は、「他人のような気がしない」、「僕のお兄さん」と当時は日本語も話せず日本の生活にも慣れない郭李の面倒をよくみていたという。故障とフォーム矯正のために投球までもが中込と見分けがつかなくなった。この二人は仲がよく、中込が日本球界のトライアウトに落ちたときも郭李が台湾球界入りをアシストしたといわれる。
引退後
2006年、沖縄県の社会人野球クラブ「サムライ那覇」を結成し監督兼主宰者となる。2007年末から、兄弟エレファンツに投手コーチとして復帰。2009年5月から兄弟監督に就任し、チームを台湾シリーズ進出に導いた。
だが、同年10月末、台湾プロ野球界を揺るがす八百長騒動で選手が逮捕、解雇されたことにより監督を解任された。その後、自身の関与も疑われ同年11月2日に台湾検察当局より事情聴取を受ける[2]。2010年2月10日、台湾の検察当局は中込を元La Newベアーズの張誌家ら選手監督7人を含む計24人と共に賭博罪と詐欺罪で起訴し、中込に対しては懲役1年6か月を求刑した[3][4]。初公判では起訴事実を一部[5]、7月13日の公判では全て認めた[6]。12月に中込は起訴内容を全て認め、詐欺罪で懲役1年8か月、執行猶予4年の有罪判決が確定する。2011年2月21日に日本に帰国したが、罪を認めたのは家族の為に早く日本に帰国したかったからで、あくまで八百長には関与していないと主張した[7]。
詳しくは『中華職業棒球大聯盟#八百長問題』も参照。 2011年、12月16日に阪神甲子園球場そばで「焼肉 伸SHIN 甲子園店」を開業、飲食店オーナーとなる[8]。阪神入団同期の高村洋介がオーナーであった店舗を改装した。
2012年9月21日放送の『爆報! THE フライデー』(TBS系)でその後が報道され、八百長関与には再度否定した[9]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | 阪神 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 56 | 11.1 | 19 | 5 | 5 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 11 | 11 | 8.74 | 2.12 |
1991 | 13 | 12 | 2 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 300 | 71.1 | 62 | 10 | 29 | 1 | 0 | 47 | 5 | 0 | 36 | 34 | 4.29 | 1.28 | |
1992 | 28 | 27 | 7 | 1 | 1 | 9 | 8 | 0 | -- | .529 | 811 | 200.2 | 147 | 18 | 77 | 6 | 1 | 111 | 5 | 0 | 61 | 54 | 2.42 | 1.12 | |
1993 | 28 | 28 | 4 | 0 | 0 | 8 | 13 | 0 | -- | .381 | 822 | 199.0 | 175 | 19 | 62 | 7 | 2 | 153 | 6 | 0 | 86 | 82 | 3.71 | 1.19 | |
1996 | 8 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | -- | .000 | 146 | 31.1 | 45 | 4 | 9 | 0 | 0 | 25 | 2 | 0 | 26 | 23 | 6.61 | 1.72 | |
1997 | 23 | 20 | 1 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | -- | .500 | 467 | 110.2 | 104 | 8 | 38 | 4 | 2 | 60 | 2 | 1 | 48 | 38 | 3.09 | 1.28 | |
1998 | 26 | 25 | 1 | 0 | 0 | 8 | 13 | 0 | -- | .381 | 640 | 143.0 | 181 | 17 | 40 | 0 | 3 | 69 | 3 | 0 | 81 | 76 | 4.78 | 1.55 | |
1999 | 15 | 13 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | -- | .222 | 347 | 82.2 | 86 | 5 | 21 | 2 | 1 | 41 | 0 | 0 | 37 | 30 | 3.27 | 1.29 | |
2000 | 25 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 2 | -- | .500 | 220 | 48.2 | 66 | 5 | 10 | 0 | 4 | 37 | 1 | 0 | 26 | 25 | 4.62 | 1.56 | |
2001 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 77 | 17.2 | 14 | 3 | 9 | 1 | 0 | 14 | 2 | 0 | 13 | 8 | 4.08 | 1.30 | |
2002 | 兄弟 | 28 | 25 | 8 | 2 | 0 | 15 | 9 | 0 | 0 | .625 | 791 | 190.2 | 185 | 13 | 44 | 1 | 6 | 123 | 7 | 0 | 79 | 69 | 3.26 | 1.20 |
2003 | 27 | 22 | 4 | 1 | 0 | 13 | 8 | 3 | 0 | .619 | 668 | 163.1 | 157 | 5 | 29 | 2 | 3 | 129 | 4 | 0 | 57 | 46 | 2.53 | 1.14 | |
2004 | 26 | 25 | 7 | 0 | 2 | 14 | 6 | 0 | 0 | .700 | 724 | 175.1 | 169 | 11 | 41 | 0 | 5 | 108 | 4 | 1 | 77 | 54 | 2.77 | 1.20 | |
2005 | 16 | 14 | 1 | 1 | 1 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 440 | 98.1 | 124 | 10 | 27 | 0 | 1 | 52 | 5 | 0 | 59 | 51 | 4.67 | 1.54 | |
NPB:10年 | 182 | 138 | 15 | 1 | 2 | 41 | 62 | 2 | -- | .398 | 3886 | 916.1 | 899 | 94 | 300 | 21 | 13 | 562 | 27 | 1 | 425 | 381 | 3.74 | 1.31 | |
CPBL:4年 | 97 | 86 | 20 | 4 | 3 | 45 | 29 | 3 | 0 | .608 | 2623 | 627.2 | 635 | 39 | 141 | 3 | 15 | 412 | 20 | 1 | 272 | 220 | 3.15 | 1.24 |
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- CPBL
- ゴールデングラブ賞(金手套奨):1回(2004年)
- 月間MVP:2回(2002年5月、2003年9月)
- 台湾シリーズ優秀選手:1回(2002年)
記録
- NPB
- 初登板:1990年5月13日、対ヤクルトスワローズ7回戦(長崎県営野球場)、1回4失点で敗戦投手
- 初勝利・初完投:1991年9月22日、対横浜大洋ホエールズ19回戦(阪神甲子園球場)、9回2失点
- 初完封:1992年4月15日、対大洋2回戦(甲子園) ※6回途中降雨コールド
- オールスターゲーム出場:1回 (1992年)
背番号
- 99 (1989年 - 1994年)※練習生時代の1988年にも着用したが、正式に登録されたものではない。
- 1 (1995年 - 2000年)
- 55 (2001年 - 2005年)
- 77 (2008年 - 2009年)
エピソード
- 若手時代の井川慶は先発KOされた中込をリリーフした試合で死球、四球連発、ヒットと散々の内容で降板したことがあった。その試合では中込に「ごめんな、俺が悪かったよ」と謝られたという。中込から先発投手の責任を学んだ井川は、以降先発した試合では必ず救援投手に声を掛けることにしたと後年振り返っている[10]。
関連事項
関係する人物
出版物
- 著書『タイガース中毒読本―1992年ハラハラドキドキの舞台裏』 (ワニブックス、1992年、共著:亀山努・中込伸・新庄剛志)
- 写真集『タイガースの革命児―中込伸・亀山努・新庄剛志写真集』 (ソニー・マガジンズ、1992年)
脚注
- ^ また阪神ではこの中込から湯舟敏郎(1990年1位)→野田浩司(1987年1位)→猪俣隆(1986年1位)→葛西稔(1989年1位)とチーム14年ぶりの5試合連続完投勝利が全てドラフト1位選手によって記録された。
- ^ “中込・元阪神投手、台湾の八百長事件で事情聴取”. 読売新聞. (2009年11月2日) 2009年11月3日閲覧。
- ^ 共同通信社 (2010年2月10日). “元阪神・中込を起訴…台湾プロ野球八百長事件”. スポーツ報知 (報知新聞社) 2010年2月10日閲覧。
- ^ 朝日新聞 2010年2月11日
- ^ “元阪神・中込被告、台湾野球での八百長認める”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年4月24日) 2010年4月24日閲覧。
- ^ “中込前監督、来月17日に判決=起訴内容認める-台湾プロ野球八百長事件” ( ). 時事通信. (2010年7月13日) 2010年7月13日閲覧。
- ^ 元阪神・中込氏が帰国…八百長関与は否定スポーツニッポン2011年2月21日配信
- ^ スポーツニッポン 2012年1月8日付2面(大阪本社発行版)。
- ^ http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2012/09/21/0005396176.shtml
- ^ 生涯 野球小僧!沢村賞投手・井川慶(元阪神タイガース)の現在地【後編】(土井麻由実) - 個人 - Yahoo!ニュース
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 中込伸 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL