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和田 昌景(わだ まさかげ、安永8年(1779年) - ?)は江戸時代後期の長州藩医。20石。桂小五郎(木戸孝允)の実父。専門は眼科と外科。

略歴

周防国熊毛郡呼坂村(山口県周南市)の医者・藤本玄盛の次男。萩城下町で学び、文化14年(1817年)、天野元政を祖とする藩医・和田文琢の養子となる。

最初の妻に藩侍医田辺玄養の娘を迎え、二女をもうける。長女・捨子の婿に周防国佐波郡宮市(山口県防府市)の町医者・小泉雄仙の弟・文譲を迎えて養子とする。捨子が病没した後は次女・八重子が文譲の後妻となる。

文政8年(1825年)、妻が病死したのち、長州藩士平岡氏の臣・猪口平馬の娘・清子を後妻に迎える。清子との間に54歳で初の男子・小五郎をもうける。

和田家の跡継ぎにはすでに養子の文譲がいたため、実子の小五郎は次男として扱われる。近所に住む藩士の桂孝古は跡継ぎがなく病床にあり、孝古に乞われて8歳の小五郎を末期養子に出した。

家族

参考文献

外部リンク