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[[郷ひろみ]]の「[[お嫁サンバ]]」作成にあたり、郷は「最初に曲のほうが出来上がってきて、いい曲だなと思ったが、その後に出来た詞が〈123バ 223バ〉で、意味が分からず、それはないだろうと思った」。しかし、プロデューサーの酒井が「この曲を明るく歌えるのは、お前しかいない。この歌は間違いなく結婚式で歌われて後世に歌い継がれていくから」と説得してリリースした。 |
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1979年10月1日にリリースされた[[久保田早紀]]の作詞・作曲・歌唱の「[[異邦人]]」は、当初「白い朝」というタイトルでゆったりとした感じの曲だったが、タイアップした[[三洋電機]]のCM映像が[[アフガニスタン]]で撮影されたことや、当時流行していた[[エーゲ海]]・[[地中海]]などの異国情緒などが意識されて、歌詞・曲ともに[[中近東]]風なエスニック調の[[アレンジ]]が施され、最終的に酒井の判断で「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付けられた<ref name=showa40>『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。</ref>。 |
1979年10月1日にリリースされた[[久保田早紀]]の作詞・作曲・歌唱の「[[異邦人]]」は、当初「白い朝」というタイトルでゆったりとした感じの曲だったが、タイアップした[[三洋電機]]のCM映像が[[アフガニスタン]]で撮影されたことや、当時流行していた[[エーゲ海]]・[[地中海]]などの異国情緒などが意識されて、歌詞・曲ともに[[中近東]]風なエスニック調の[[アレンジ]]が施され、最終的に酒井の判断で「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付けられた<ref name=showa40>『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。</ref>。 |
2020年11月3日 (火) 10:10時点における版
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酒井 政利 | |
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生誕 | 1935年11月17日(89歳)[1] |
出身地 | 日本 和歌山県[1] |
学歴 | 立教大学文学部卒業[1] |
ジャンル | J-POP |
職業 | プロデューサー、メディアプロデューサー |
活動期間 | 1961年 - 現在 |
レーベル |
日本コロムビア (1961年 - 1968年) CBS・ソニー[2] (1968年-1990年) Sony Records (1991年-1994年) |
共同作業者 |
島倉千代子 青山和子 南沙織 郷ひろみ 山口百恵 松田聖子 宮沢りえ ほか |
酒井 政利(さかい まさとし、1935年11月17日[1] - )は、日本の音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。1938年生まれとも書かれた[3]。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長[1]。日本ストリートダンス協会非常勤理事[4]。
来歴
和歌山県生まれ[1]。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだということが報道された[5]。和歌山県立箕島高等学校、立教大学文学部卒業[1]。 大学卒業後映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビア、CBS・ソニーの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。プロデュースの原点となった南沙織をはじめ、フォーリーブスやキャンディーズ、山口百恵など、アイドル黄金時代と呼ばれたこの時期、300人あまりのアイドルや音楽グループを送り出した[6]。50歳を迎えた時、カウンセラー養成所に2年間通った[5]。60歳で退職後酒井プロデュースオフィスを立ち上げた[5]。プロデューサーとして担当した芸能人の売上累計は約3100億円にのぼると言われる[7]。現在はメディアプロデューサーとして、映画・舞台・テレビ番組の企画やテレビコメンテーター、講演活動などの幅広い分野で活躍。その一方で心理カウンセラーとしての活動も行っている。
2019年、2018年度和歌山県文化功労賞を受賞。2020年、文化功労者。
エピソード
郷ひろみの「お嫁サンバ」作成にあたり、郷は「最初に曲のほうが出来上がってきて、いい曲だなと思ったが、その後に出来た詞が〈123バ 223バ〉で、意味が分からず、それはないだろうと思った」。しかし、プロデューサーの酒井が「この曲を明るく歌えるのは、お前しかいない。この歌は間違いなく結婚式で歌われて後世に歌い継がれていくから」と説得してリリースした。
1979年10月1日にリリースされた久保田早紀の作詞・作曲・歌唱の「異邦人」は、当初「白い朝」というタイトルでゆったりとした感じの曲だったが、タイアップした三洋電機のCM映像がアフガニスタンで撮影されたことや、当時流行していたエーゲ海・地中海などの異国情緒などが意識されて、歌詞・曲ともに中近東風なエスニック調のアレンジが施され、最終的に酒井の判断で「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルが付けられた[8]。
平沢貞通との関わり
帝銀事件で死刑判決を受けた平沢貞通が京都で画家として活動していた時代に酒井の母をモデルとしたことがあった[5]。これをきっかけにして酒井は平沢の隠し子だとする報道がセンセーショナルになされた[5]。1998年に酒井は「ばかばかしい話」だと否定した[5]。
週刊文春2001年新年号[要ページ番号]で酒井が語ったところによると、実母は平沢の絵のモデルになった経験があり、平沢も弁護士に対し事実である可能性を示唆する発言をしたとされるが、平沢には長期の拘禁などによる妄想症状もあって、真相は最後まで不明だったという。酒井は真相を求めて平沢との面会を希望したが、実現する事は無かった。
関連書籍
- ヒットソングを創った男たち~歌謡曲黄金時代の仕掛人」(2018年12月18日、濱口英樹 (著)、シンコーミュージック)- 42~71ページに、「第二章 酒井政利」。
脚注
- ^ a b c d e f g http://www.sakaioffice1996.com/profile/
- ^ 1968年-1973年まではCBS・ソニーレコード名義。
- ^ http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00149853
- ^ 協会情報|ダンススタジオをお探しなら日本ストリートダンス協会
- ^ a b c d e f 清野由美「プロデューサー 酒井政利(現代の肖像)」「アエラ」1998年4月13日号53ページ
- ^ 伝説のプロデューサー・酒井政利が語るアイドル史「日本のアイドル第一号は南沙織さんです」
- ^ Amazon.co.jp: プロデューサー―音楽シーンを駆け抜けて: 酒井 政利: 本
- ^ 『昭和40年男』2015年6月号(クレタパブリッシング)118-121ページ より。