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'''森田 俊和'''(もりた としかず、[[1974年]](昭和49年)[[9月19日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本 2020 |
'''森田 俊和'''(もりた としかず、[[1974年]](昭和49年)[[9月19日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]所属の[[日本の国会議員|衆議院議員]](1期)。元[[埼玉県議会|埼玉県議会議員]](2期)。 |
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== 来歴 == |
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2020年11月1日 (日) 11:34時点における版
森田 俊和 もりた としかず | |
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生年月日 | 1974年9月19日(50歳) |
出生地 | 埼玉県熊谷市 |
出身校 | 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (次世代の党→) (民主党→) (民進党→) (希望の党→) (旧国民民主党(直諫の会)→) 立憲民主党 |
公式サイト | 森田としかず - 埼玉県から国政に挑戦! - 熊谷市 |
選挙区 | 比例北関東ブロック(埼玉12区) |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2017年10月22日 - 現職 |
選挙区 | 北第5区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2007年 - 2012年 |
森田 俊和(もりた としかず、1974年(昭和49年)9月19日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(1期)。元埼玉県議会議員(2期)。
来歴
埼玉県熊谷市生まれ[1]。熊谷市立玉井小学校、熊谷市立玉井中学校、埼玉県立熊谷高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業[1]。早稲田大学大学院政治学研究科修了[1]。1999年9月より、カナダ・マギル大学に留学[1]。
2003年4月、埼玉県議会議員選挙に北第7区から無所属で立候補したが、23票の僅差で及ばず、落選した[1][2]。2007年4月、埼玉県議会議員選挙北第5区に無所属で出馬し、得票数トップで当選した[2]。同期当選に小野克典(桶川市長)、小島進(深谷市長)、野中厚(農林水産大臣政務官)、森岡洋一郎(元民主党衆議院議員)がいる。2011年4月の埼玉県議選では自由民主党公認で出馬し、再選された[2]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては、埼玉12区から自由民主党公認で出馬を目指していたが、同期当選の埼玉県議である野中厚が公認を受けたため、森田は自民党に離党届を提出し、無所属での出馬を表明した[3]。埼玉12区には野中、森田に加え、民主党前職の本多平直ら計6人が立候補したが、野中が当選し、森田は次点で落選した[4]。2014年の第47回衆議院議員総選挙では当初維新の党からの出馬を目指していたが、維新の党が民主党と選挙協力を結んでいたことから公認を見送られ[5]、次世代の党公認で埼玉12区から出馬し、再び野中厚に敗れた。重複立候補した次世代の党の比例北関東ブロックでは惜敗率79.1%で第1位だったものの、比例北関東ブロックにおいて次世代の党は議席を獲得出来なかったため落選となった[6]。
2015年9月、民主党の埼玉県第12選挙区総支部長に就任し、事実上、次期衆議院議員総選挙での公認を受けた[7]。森田の支部長就任に伴い、前埼玉12区支部長の本多平直は北海道4区に国替えした[7]。2017年の第48回衆議院議員総選挙に際しては民進党からの出馬を予定していたが、9月27日、前原誠司代表が民進党を事実上解党し、旧希望の党からの立候補を容認する方針を表明[8]。これを受け、森田も旧希望の党に公認を申請し、10月3日、公認を受けた[9]。選挙戦では現職の農林水産大臣政務官である野中を森田が猛追し、野中陣営からは敗北を予期するかのような危機感も示されたが[10]、森田は492票の僅差で野中に敗れ、森田は重複立候補していた比例北関東ブロックで復活し、当選した[11]。
2018年5月7日、民進党・旧希望の党が合流し、結党した国民民主党に参加した[12]。
政策・主張
- 日本国憲法の改正に賛成だが、日本国憲法第9条の改正には反対[13]。
- 憲法への緊急事態条項の創設に賛成[13]。
- 参議院議員通常選挙で隣接する県を1つの選挙区にする「合区」をなくすための憲法改正に賛成[13]。
- アベノミクスを評価しない[13]。
- 高収入の一部専門職を労働時間規制から除外する高度プロフェッショナル制度の導入に反対[13]。
- 日本の原子力発電について「当面は必要だが、将来的には廃止すべきだ」としている[13]。
- カジノの解禁に賛成[13]。
- 日本の核武装について「将来にわたって検討すべきでない」としており、非核三原則の「持ち込ませず」の部分についても「議論する必要はない」としている[13]。
- 女性宮家の創設に賛成[13]。
人物
- 民進党・希望の党の合流に際し、青山大人、浅野哲、緑川貴士、関健一郎、森田の5人が、党名について「新党ゼロ」を提唱した[14]。関は「新党ゼロ」の理由について「民主党政権に対する有権者の「裏切られた感」はまだ残っており、新党がその名残だと思われることが一番ダメ」であり、「新党名として関心をもたれやすい」と説明した[14]。
脚注
- ^ a b c d e 森田の履歴書│森田としかず
- ^ a b c 埼玉県議会議員選挙結果・北第5区 熊谷市
- ^ “2012衆院選:自民が4人除名処分 県議ら 維新などから出馬で”. 東京新聞. (2012年11月29日) 2018年11月30日閲覧。
- ^ “2012衆院選 埼玉12区”. 毎日新聞 2019年3月16日閲覧。
- ^ “【選挙 夏決戦へ】(上)漂流する非自民 埼玉”. 毎日新聞 (2016年3月31日). 2019年5月18日閲覧。
- ^ “2014衆院選 埼玉”. 毎日新聞 2019年3月16日閲覧。
- ^ a b “民主、公認候補差し替え 衆院埼玉12区”. 日本経済新聞. (2015年8月2日) 2019年3月16日閲覧。
- ^ “衆院選:民進党、事実上解党 「希望の党」に合流へ”. 毎日新聞. (2017年9月28日) 2017年11月18日閲覧。
- ^ “【衆院選】埼玉から「希望」1次公認に14人 民進系9人、枝野幸男氏らには“刺客””. 毎日新聞. (2017年10月4日) 2019年3月16日閲覧。
- ^ “各小選挙区の情勢(下)”. 東京新聞. (2017年10月7日) 2019年3月16日閲覧。
- ^ “第48回衆院選 埼玉”. 毎日新聞 2019年3月16日閲覧。
- ^ “国民民主党が結党、62人参加 幹事長に古川元久氏”. 朝日新聞. (2018年5月7日) 2019年2月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “第48回衆院選 希望 埼玉12区 森田 俊和”. 毎日新聞
- ^ a b “幻の提案「新党ゼロ」 希望の1年生議員「僕らの現実」”. 朝日新聞. (2018年4月24日) 2019年2月24日閲覧。
外部リンク
- 森田としかず - 埼玉県から国政に挑戦! - 熊谷市
- 森田としかず (@mori_morita) - X(旧Twitter)
- 森田俊和 (MORIMORI.MORITA.TOSHIKAZU) - Facebook