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過去の衆議院議員在職中[[文部科学大臣政務官]]を務めた。
過去の衆議院議員在職中[[文部科学大臣政務官]]を務めた。

2020年11月1日 (日) 11:18時点における版

城井 崇
きい たかし
2020年10月18日、天神ツインビル前にて
生年月日 (1973-06-23) 1973年6月23日(51歳)
出生地 日本の旗 福岡県北九州市門司区
出身校 京都大学総合人間学部卒業
前職 前原誠司衆議院議員秘書
所属政党民主党→)
民進党→)
希望の党前原G)→)
旧国民民主党→)
立憲民主党
称号 学士(総合人間学)(京都大学・1998年
配偶者 城井朋子
公式サイト 衆議院議員 きいたかし(城井崇)のホームページ

選挙区比例九州ブロック→)
福岡10区→)
比例九州ブロック
当選回数 3回
在任期間 2003年11月10日 - 2005年8月8日
2009年9月11日 - 2012年11月16日
2017年11月1日 - 現職
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城井 崇(きい たかし、1973年6月23日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(3期目)。学位学士(総合人間学)京都大学1998年)。

過去の衆議院議員在職中文部科学大臣政務官を務めた。

来歴

生い立ち

北九州市門司区出身[1]。北九州市立田野浦小学校、北九州市立早鞆中学校、福岡県立門司高等学校を卒業後、北九州予備校で2年間の浪人生活を経て、京都大学総合人間学部に進学。1998年に京大卒業後は松下政経塾に入塾し、3年間学んだ。2001年卒塾後、後に民主党代表となる衆議院議員・前原誠司の秘書を務めた[1]

衆議院議員

2003年11月9日第43回衆議院議員総選挙では福岡10区から出馬。当時自由民主党に属していた自見庄三郎に敗れるが比例九州ブロックで復活し初当選した。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では自見が郵政民営化法案に反対し、自民党から公認を得られなかった。そしていわゆる「刺客」として西川京子が送り込まれた結果、三つ巴の厳しい選挙戦を強いられ自見ともども落選。落選後は党県組織の幹部として党勢の立て直しに努めつつ、国政復帰を目指して活動を続ける一方で、国民新党に入党した自見の支援を受けた。

2007年北九州市長選挙では、党所属の衆議院議員だった北橋健治の市長当選に尽力。

2008年9月、過去2回と同じく福岡10区での公認が決定。北橋の選挙区だった市の西半分・9区の候補が1次公認を得られなかったという厳しい状況の中での公認獲得だった。翌年の第45回衆議院議員総選挙には、国民新党の推薦を受けて出馬。西川に雪辱を果たし、4年ぶりに衆議院議員に返り咲いた。初当選前のいきさつから一貫して前原グループに属しており、前原とは松下政経塾に於いても先輩・後輩の関係にある。しかし、後述の立憲民主党と国民民主党の合流がきっかけで後輩である稲富修二関健一郎と共に事実上前原と袂を分かつことになった。

2011年、他の若手議員とともに党内グループメロスネットを結成し、世話人に就任した。野田内閣にて神本美恵子とともに文部科学大臣政務官に任命された。第46回衆議院議員総選挙を前にした内閣改造で退任、選挙では福岡10区で山本幸三に敗れ、比例復活ならず落選。その後民進党結成に参画。

2017年第48回衆議院議員総選挙に師匠・前原の意向もあり希望の党公認で出馬[2]。小選挙区では山本幸三に再び敗れたものの、やはり落選した第47回より獲得票数を大きく増やし、9割以上の惜敗率を得た。台風21号の影響による開票作業の遅れから比例代表区の議席確定が大幅に遅れ、まる1日近く経ってから漸く比例九州ブロックで約5年ぶりとなる議席を獲得した。

2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[3]5月8日、国民民主党の広報局長に就任した[4]

2020年9月、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流により結党された新しい立憲民主党に参加。

家族

2006年TVQ九州放送アナウンサーだった加治屋朋子と結婚。子どもは娘2人と息子1人。

略歴

2011年10月6日文部科学副大臣森裕子(左から2人目)、文部科学大臣中川正春(右から2人目)、駐日アメリカ合衆国大使ジョン・ルース(右から1人目)と

政策・主張

  • 9条を含めた憲法改正に賛成。
  • 安保法制は今のままで良い。
  • 大学入学共通テスト導入などの一連の入試改革に反対し、見直しを求めている。
  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。

役職

立憲民主党
  • 立憲民主党福岡県第10区総支部長 [1]

所蔵団体・議員連盟

メディア出演等

  • キーマンに問う!ポスト菅"の行方「BSフジ PRIME NEWS出演 2011年8月19日 20:00~22:00」[1]
  • 朝鮮学校の高校無償化適用への審査再開問題について「MSN産経ニュース記事 2011年10月24日」
  • ICTプロジェクト 高校生熟議 in大阪 最終報告会「毎日jp記事 2011年11月18日」
  • 国の教育行政は変われるのか[上・下]「学校事務記事 2012年4月号,5月号」
  • 国の教育行政は本当に変われるのか[上・下]「月刊高校教育記事 2012年4月号,5月号」
  • 教育政策の重心を量的拡大から質的向上に「政策研究Highlight 2012年6月号(Vol.7,No.13)」
  • 東北市長会、医学部新設を文科省に要望「キャリアブレイン記事 2012年6月5日」
  • 医学部新設などの特別決議を国に要望 東北市長会「河北新報社記事 2012年6月6日」

脚注

  1. ^ a b c d 公式プロフィール
  2. ^ 希望の党 第1次公認名簿”. 毎日新聞通. 2017年10月4日閲覧。
  3. ^ “国民民主党、結党大会を開催”. Qnewニュース. (2018年5月7日). https://qnew-news.net/news/2018-5/2018050702.html 2018年5月24日閲覧。 
  4. ^ “役員人事を了承 両院議員総会”. 国民民主党. (2018年5月8日). https://www.dpfp.or.jp/2018/05/08/役員人事を了承%e3%80%80両院議員総会/ 2018年5月24日閲覧。 

外部リンク

公職
先代
笠浩史
林久美子
日本の旗 文部科学大臣政務官
神本美恵子と共同

2011年 - 2012年
次代
那谷屋正義
村井宗明
党職
先代
(結成により創設)
メロスネット世話人
 2011年 -
次代
(現職)