コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「小林守」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
1行目: 1行目:


'''小林 守'''(こばやし まもる、[[1944年]][[10月26日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]栃木県連常任顧問<ref>[https://www.tochigi-cdp.com/?page_id=154 2018年役員 - 立憲民主党栃木連合]</ref>。
'''小林 守'''(こばやし まもる、[[1944年]][[10月26日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]栃木県連常任顧問<ref>[https://www.tochigi-cdp.com/?page_id=154 2018年役員 - 立憲民主党栃木連合]</ref>。


[[日本の国会議員|衆議院議員]](4期)、[[栃木県議会]]議員(2期)、[[自治省|自治]][[政務次官]]([[村山内閣]])、[[衆議院]][[環境委員会|環境委員長]]、[[鹿沼市|市]][[教育委員会]][[教育長]]を歴任した。
[[日本の国会議員|衆議院議員]](4期)、[[栃木県議会]]議員(2期)、[[自治省|自治]][[政務次官]]([[村山内閣]])、[[衆議院]][[環境委員会|環境委員長]]、[[鹿沼市|市]][[教育委員会]][[教育長]]を歴任した。

2020年11月1日 (日) 10:16時点における版

小林 守(こばやし まもる、1944年10月26日 - )は、日本政治家立憲民主党栃木県連常任顧問[1]

衆議院議員(4期)、栃木県議会議員(2期)、自治政務次官村山内閣)、衆議院環境委員長教育委員会教育長を歴任した。

概要

栃木県鹿沼市出身。1969年、東京教育大学文学部史学科卒業。卒業後、鹿沼市役所に奉職。人事係長などを務める。

1984年、退職し、栃木県議会議員選挙に出馬し初当選。以後2期連続当選。1990年に行われた第38回衆議院議員総選挙日本社会党公認で旧栃木1区より出馬し当選。以後4期連続当選を果たす。1994年に成立した村山内閣では自治政務次官を務めた。

1996年に社会民主党を離党し、民主党結党に参加。党の要職では、財政委員長や栃木県連代表、副幹事長、「次の内閣」環境大臣などを歴任。小選挙区制施行以後は栃木2区から出馬。1996年、2000年の選挙では自由民主党から出馬した西川公也に小選挙区で敗れるも比例で復活当選した。

2003年に行われた第43回衆議院議員総選挙ではコスタリカ方式で西川に代わって出馬した森山真弓に大差で敗れ比例復活もできず落選。落選後、国政引退を表明。その後、2005年10月より4年間鹿沼市教育委員会教育長を務めた。なお、保守系の市長の下での教育長就任には批判があり、このことを理由に民主党栃木県連から除名処分を受けている[2]

2014年、旭日中綬章受章。

2016年2月1日、民主党栃木県連は除名処分を解除した[2]。同日付で県連の常任顧問に就任[2]民進党解体後は立憲民主党に参加し、引き続き常任顧問に就任している。

政策

エピソード

  • 作を趣味とし、国政引退後、鹿沼詩友会講師を務める。また、NPO法人「鹿沼学舎」を設立し事務長に就任したが教育長就任のため辞任している。

脚注

  1. ^ 2018年役員 - 立憲民主党栃木連合
  2. ^ a b c “民主県連に小林氏復帰 元衆院議員、除名解除”. 下野新聞: p. 5. (2016年2月2日) 
  3. ^ 衆議院会議録 第140回国会 法務委員会 第12号

外部リンク