「服部良一 (政治家)」の版間の差分
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*[[2017年]]10月、[[第48回衆議院議員総選挙]]には[[大阪府第9区|大阪9区]]に社民党公認、[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]推薦で出馬した<ref>{{Cite web |url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2017100900358&g=pol |title=比例中国に秋葉前広島市長=立憲民主、候補78人に【17衆院選】|date=2017-10-09 |publisher=時事通信 |accessdate=2017-10-09}}</ref>が、選挙区で敗れ、比例復活も適わず落選した<ref>{{Cite news |title=服部良一(小選挙区・大阪府) 【衆議院選挙2017】:読売新聞 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/profile/YTPSRAYA27009XXX012.html |publisher=読売オンライン |date=2017-10-22 |accessdate=2017-10-26}}</ref>。 |
*[[2017年]]10月、[[第48回衆議院議員総選挙]]には[[大阪府第9区|大阪9区]]に社民党公認、[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]推薦で出馬した<ref>{{Cite web |url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2017100900358&g=pol |title=比例中国に秋葉前広島市長=立憲民主、候補78人に【17衆院選】|date=2017-10-09 |publisher=時事通信 |accessdate=2017-10-09}}</ref>が、選挙区で敗れ、比例復活も適わず落選した<ref>{{Cite news |title=服部良一(小選挙区・大阪府) 【衆議院選挙2017】:読売新聞 |url=http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2017/profile/YTPSRAYA27009XXX012.html |publisher=読売オンライン |date=2017-10-22 |accessdate=2017-10-26}}</ref>。 |
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== 政見 == |
== 政見 == |
2020年11月1日 (日) 10:15時点における版
服部 良一 はっとり りょういち | |
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生年月日 | 1950年2月24日(74歳) |
出生地 | 福岡県八女市 |
出身校 | 京都大学法学部(中退) |
前職 |
昭和起重機従業員 山内徳信参議院議員秘書 |
所属政党 | 社会民主党 |
公式サイト | 服部良一公式サイト |
選挙区 | 比例近畿ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2009年 - 2012年 |
服部 良一(はっとり りょういち、1950年2月24日 - )は、日本の政治家。社会民主党所属の元衆議院議員(1期)、社会民主党常任幹事。
経歴
- 1950年:福岡県八女市に生まれる。父親は元朝鮮総督府の鉄道敷設の技術者[1]。
- 1965年:久留米大学附設高等学校入学。
- 1969年:京都大学法学部に入学(後に中退)。
- 1973年:昭和起重機入社。労働組合に加わり、後に総評全国金属昭和起重機の支部長を務めた。
- 2006年:同社を退社。
- 2007年:第21回参議院議員選挙において、大阪府選挙区(定数3)から社会民主党公認(9条ネット推薦)で出馬したが、6位で落選[2]。その後、山内徳信参議院議員の秘書を務める。
- 2009年:第45回衆議院議員総選挙に比例近畿ブロック単独で立候補する。社民党は比例近畿ブロックで1議席を獲得。大阪府第10区で当選した辻元清美以外の重複立候補していた小選挙区の候補者の得票が全員、有効投票総数の10%を下回ったため当選資格を失い、比例名簿の下位(4位)に登載されていた服部が初当選した[3]。
- 2010年1月:社民党常任幹事、国対副委員長に就任。
- 2012年2月25日、社民党の幹事長選挙に立候補。重野安正の173票に対して57票で落選。党常任幹事を退任。
- 2012年12月:第46回衆議院議員総選挙に再び比例近畿ブロック単独で立候補する。社民党は同ブロックで議席を獲得できなかったため、落選。
- 2014年2月:第14回定期全国大会で党常任幹事に復帰。
- 2014年12月:第47回衆議院議員総選挙に大阪8区及び比例近畿ブロックから社民党公認で重複立候補するも落選。
- 2017年10月、第48回衆議院議員総選挙には大阪9区に社民党公認、立憲民主党推薦で出馬した[4]が、選挙区で敗れ、比例復活も適わず落選した[5]。
政見
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛成[6]。第180回国会法務委員会では、「選択的夫婦別姓の導入など民法の改正を求めることに関する請願」を提出するなど積極的に活動している[7]。
- 永住外国人の地方参政権:賛成[8]
活動
- 2009年10月28日、衆議院第2議員会館で開催された「戦時性暴力問題連絡協議会」の主催による院内集会に参加し、李容洙ら慰安婦に対して「東アジア共同体は戦後補償抜きに実現してはならない」と述べた[9]。
- 2010年10月7日、衆議院第2議員会館で開催された「韓国・朝鮮の遺族とともに遺骨問題の解決へ全国連絡会(代表:上杉聰)」に藤谷光信・今野東・相原久美子・白眞勲・石毛鍈子と共に参加し、「(日本国は朝鮮半島に対する植民地支配の)責任を認め、(問題解決の)早期実現に全力でとりくむ」ことを求める決議を採択する[10]。
- 2011年10月12日、韓国の日本大使館前で行われた元慰安婦を支援する団体の反日デモに参加し「公式な謝罪をしていないのは、日本の国会議員として恥ずかしい。帰国したら慰安婦問題を広める」と発言[11]。
- 2012年6月15日衆議院外務委員会で731部隊の生物兵器使用について質問した[12]。
議員連盟
- 立憲フォーラム(会員世話人)
役職
- 阪神大震災被災地のつどい 実行委員長[13]
- 「しないさせない戦争協力」関西ネットワーク 共同代表[13]
- 沖縄と共に基地撤去を目指す関西連絡会 共同代表[13]
- 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会 世話人[13]
- 金城実彫刻展 事務局長[13]
支持団体
- サポートユニオンwithyou[14]
受賞
脚注
- ^ ソウル新聞インタビュー(2011/8/15)
- ^ 大阪選挙区第21回参議院議員選挙-JANJAN全国政治家データベース
- ^ 近畿次期総選挙-(第45回衆院選)-JANJAN全国政治家データベース
- ^ “比例中国に秋葉前広島市長=立憲民主、候補78人に【17衆院選】”. 時事通信 (2017年10月9日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ “服部良一(小選挙区・大阪府) 【衆議院選挙2017】:読売新聞”. 読売オンライン. (2017年10月22日) 2017年10月26日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 第180回国会法務委員会議事録
- ^ 2009年衆院選時 朝日新聞アンケート回答
- ^ 連立政権誕生を受け、今こそ立法による解決を!10.28院内集会報告 [1]
- ^ 「韓国・朝鮮の遺族とともに」全国連絡会遺族招へい行動・第3回証言集会|集会等の報告|フォーラム平和・人権・環境 [2]
- ^ 産経新聞[3]
- ^ 松村高夫「旧日本軍による細菌兵器攻撃の事実」月刊保団連2012.8.No.1102,全国保険医団体連合会,
- ^ a b c d e 公式プロフィール
- ^ [4]
- ^ 「朝鮮王朝儀軌還収委」レセプション 功労者に記念品授与 (しんぶん赤旗)
外部リンク
- 服部良一公式サイト
- 服部良一 (hattoriryoichikoushiki) - Facebook
- 服部良一・現場主義チャンネル - YouTubeチャンネル
- 服部良一 (@hattori_ryoichi) - X(旧Twitter)
- 服部良一 オフィシャルブログ