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*西川啓二(森啓二・喜多洋司)
*西川啓二(森啓二・喜多洋司)
*[[西川のりお]]
*[[西川のりお]]
*西川ひさし(本名:小川寿士。[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]・[[さいたま市議会]]議員)
*西川ひさし(本名:小川寿士。[[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]・[[さいたま市議会]]議員)
*[[西川まさと・吉田かおり|西川まさと]](死去<ref>[http://www.sankei.com/entertainments/news/170902/ent1709020011-n1.html 西川まさとさん自殺か 師匠の西川きよし「残念でならない」] 産経ニュース 2017年9月2日閲覧</ref>)
*[[西川まさと・吉田かおり|西川まさと]](死去<ref>[http://www.sankei.com/entertainments/news/170902/ent1709020011-n1.html 西川まさとさん自殺か 師匠の西川きよし「残念でならない」] 産経ニュース 2017年9月2日閲覧</ref>)

2020年11月1日 (日) 09:20時点における版

西川きよし
第96回あしなが学生募金街頭活動
(2018年4月28日)
本名 西川 潔(にしかわ きよし)
ニックネーム キー坊、きよっちゃん、きよし師匠、こつこつ兄さん[1]
生年月日 (1946-07-02) 1946年7月2日(78歳)
出身地 日本の旗 日本高知県高知市
血液型 O型
身長 165cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 大阪市立三稜中学校
師匠 石井均
出身 吉本新喜劇
コンビ名 横山やすし・西川きよし(解散)
相方 横山やすし
芸風 漫才(ツッコミ)
事務所 吉本興業
活動時期 1963年 -
同期 萩本欽一立川談志
過去の代表番組 パンチDEデート
反応ゲーム2つに1つ
料理天国
他の活動 タレント
政治家(元参議院議員
配偶者 西川ヘレン
親族 西川忠志(第一子の長男)
西川弘志(第二子の次男)
西川かの子(第三子の長女)
弟子 西川のりお ほか
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西川きよし
西川 潔
にしかわ きよし
生年月日 (1946-07-02) 1946年7月2日(78歳)
出生地 高知県高知市
出身校 大阪市立三稜中学校卒業
前職 漫才師
現職 お笑い芸人
所属政党 第二院クラブ
称号

ロードシーランド公国
旭日重光章(2016年)

文化功労者
配偶者 西川ヘレン

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 3回
在任期間 1986年7月8日 - 2004年7月25日
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西川 きよし(にしかわ きよし、1946年(昭和21年)7月2日 - )は、日本お笑い芸人タレント司会者。元参議院議員(3期)。本名は西川 潔(読み同じ)。

高知県高知市朝倉生まれ、大阪市港区住吉区育ち。吉本興業所属。5人姉弟の長男(姉3人、弟1人)。

妻はタレントの西川ヘレン。子供に俳優西川忠志(長男)、元俳優の西川弘志(次男)、タレント西川かの子(長女)がいる。

人物

血液型はO型。高知市立朝倉小学校から大阪市立市岡小学校を経て大阪市立三稜中学校卒業(14期生)。姉は六代桂文枝と同級生であった。

横山やすしと漫才コンビを結成し、国民的人気を博した。漫才コンビ「やすしきよし」(略称・やすきよ)は漫才ブームの火付け役になり、日本武道館での公演も果たした。

座右の銘は「小さなことからコツコツと」。

弟子漫才師西川のりお等がおり、弟子には芸名に「西川」の屋号(苗字)を与えている。

吉本興業では三代目笑福亭仁鶴六代桂文枝(旧名:桂三枝)と共にトップに君臨する。かつて発売された「よしもとタレント名鑑」では当時の三枝と共にトップページに掲載された。

フジテレビザ・ベストハウス123」の番組にてシーランド公国のロードの称号を得た(ただし、この称号は、数千円相当で購入可能なものである)。「伯爵位を持つ」と誤解されることがあるが、本番組できよしの得た称号「ロード()」は男爵以上の爵位を持つ貴族全般への敬称であり爵位とは異なるものである[2]

大阪市内に吉本とは別に個人事務所「オフィス西川」を設けている。

来歴

高知県で5人姉弟(姉が3人、弟1人)の長男として生まれたが、小学生の時に父親が事業に手を出し失敗したことから大阪府に転居した。家計は苦しく、10歳のときから八百屋、牛乳配達、新聞配達(毎日新聞)などのアルバイトをするなどして家計を支えた。中学時代はサッカーに傾倒し、高校でもサッカー部に所属することを希望していたが、タクシー運転手だった父親が十二指腸肝炎で倒れたことから、高校進学を断念しやむなく就職する[3]

自動車修理工に就職するも手のやけどが原因で17歳のときに退社したが、会社の先輩から「陽気で頓智がきくから」と芸の道を勧められる。ミヤコ蝶々藤田まこと白木みのる佐々十郎に弟子入り志願するが断られ、石井均に入門。1年後に杉浦エノスケから、人手が足りないからと吉本新喜劇に誘われて研究生として入団し、秋山たか志の付き人をしていたが、白木みのるの付き人が辞めたために人手が足りなくなり白木の付き人となる。のちになんば花月で熊役で初舞台を踏み、以降端役ながら舞台に出演していた[4]

しかし、マドンナ役であったヘレン杉本との交際が知れ渡り、1967年9月に結婚し、ヘレンは新喜劇を引退したことから、きよしは会社・劇団から冷遇されてしまう。当時吉本興業部長だった中邨秀雄は、人気女優だったヘレンと無名のきよしとの結婚に反対し、きよしに引退を迫ったが、「ヘレンを引退させて自分が芸を続ける。それを認めないなら夫婦そろって引退する」ときよしは主張したという。低迷時代、きよしと坂田利夫はヘレンに食べさせてもらっており、3人で暮らしていた。また、同時期に共に苦労したレツゴー三匹のじゅんとも親友として知られており、きよしは「坂田くんとじゅんちゃんは、いつも自分のことを心配してくれる大事な人」とコメントしている[4]

1966年中山礼子が間に入って横山やすし(きよしと同じ高知県生まれの大阪府育ち)と漫才コンビを結成し、6月に京都花月で初舞台。次第に頭角を現す。第一次演芸ブーム(1965年 - 1970年)の折、東京ぼん太の後釜として起用されたフジテレビお茶の間寄席」司会や、朝日放送の全国ネット番組「てなもんや三度笠」のレギュラー出演等で東京にも進出。1970年の暴行事件をはじめとした相方のやすしの不祥事でコンビ活動自粛の際も、「素人名人会」(MBSテレビ)「爆笑寄席」、「ナイトパンチ」、「パンチDEデート」(以上、関西テレビ)、「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」、「プロポーズ大作戦」(以上、朝日放送)、「料理天国」(TBSテレビ)、「スター誕生!」(日本テレビ)などテレビ司会者として活路を見いだす。さらに1980年代初頭の漫才ブームでは人気が頂点に達する。

1986年、「中学校を出た人間が、高校しか出てない人間が、一生懸命やったらどのぐらいのことができるか、どれぐらいのことしかできないか、やってみたいです」と、参議院議員選挙に大阪選挙区から無所属で立候補し、当選した。義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、「小さなことからコツコツと」をキャッチフレーズに3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。参議院会派第二院クラブに所属し、福祉関係の充実を政策の中心とし政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。

1994年6月の参議院本会議の首班指名投票では村山富市海部俊樹に票が分散するなか、当時、衆議院議長であった土井たか子に唯一の票を投じ、1999年7月の参院本会議の国旗国歌法の採決では賛成票を投じた。議員生活を通して政党に所属することはなく会派としての第二院クラブ消滅後は無所属の会、国会改革連絡会に所属。2003年には国会等移転特別委員長に就任した。

2004年1月、同年7月参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、引き続き福祉関係の活動を行っていくと発表した。

大平サブローとの「新やすし・きよし」での活動も行っている。

2006年8月29日日本テレビ系で自身の半生を描いた「ヘレンときよしの物語」が『ドラマコンプレックス』にて放送された。きよし役は実息の忠志。

2015年末に受けた定期健診で初期の前立腺がんと診断され、手術を受けた[5]

2020年、漫才分野から初の文化功労者に選出された[6]

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第14回参議院議員通常選挙 1986年07月06日 40 大阪府選挙区 無所属 102万2120票 26.1% 3 1/21 /
第16回参議院議員通常選挙 1992年07月26日 46 大阪府選挙区 無所属 97万5593票 30.6% 3 1/30 /
第18回参議院議員通常選挙 1998年07月12日 52 大阪府選挙区 無所属 105万7393票 26.4% 3 1/13 /

エピソード

「やすし・きよし」としてコンビを組んで2年目の1967年7月、TBS系全国ネットの公開バラエティー番組『植木等ショー』にミヤコ蝶々平参平藤田まことと共にやすきよの2人もゲスト出演した(収録は東京)。当時植木等の付き人を務めていた小松政夫によると、この際、植木が優しくしてくれたことを、今でもきよしは恩義に感じているという[7]

京都の仕事の帰りに稽古の事でやすしと揉め、背広がボロボロになるほどの掴みあいの喧嘩になった末、やすしは「解散や!」と怒鳴り散らしその場を後にした。後日事務所に向かい解散の旨を伝えると、事務所の偉いさんから「解散するのはかまへんが、台本も出来上がってるし残った仕事してもらわんと困る」と諭され、思いとどまる。その時に発した「今後も小さなことからコツコツやらさせてもらいます」というセリフが後に芸人仲間等で語られるようになり、いつしか「小さなことからコツコツと」というギャグになったとされる[4]

1986年、参議院議員として国会に初登院し中曽根康弘首班指名の投票後、帰阪。すると中曽根から西川宛に「本日は首班指名に中曽根康弘とお書きいただいてまことにありがとうございます」と丁寧なお礼をもらい感激したとかつて語っていた[8]

政界引退を間近に控えた2004年6月3日、参院厚生労働委員会で小泉純一郎首相らに対し、議員として最後の質問を行う予定だったが、突然自民公明の与党により審議中の年金改革関連法案を強行可決されてしまい、質問を行うことができず、採決にも加われなかった。これについてきよしは「期末試験もないまま卒業式に出て行けと締め出されたようです」とコメントした[9]

誠実な人柄で普段は穏やかだが、実は物凄い頑固者である。木村政雄は自著「やすきよと過ごした日々」の中にて、「やすしさんは我が儘を言うが、説得する余地があることも多かった。きよしさんは一度こうだ、と決めると、説得をしても絶対に動かず、我を貫き通す人だった」と回想している。

田舎に泊まろう!』に出演した際、宿泊させてもらった個人の宅にみやげを送り続けている[10]

長男の忠志が高校生のころ、友達が禁止されていた買い食いをしようとしていた。忠志は「買い食いはいけない」と最初は反対したものの、友達に流されてしまい、困り果てて家にいたきよしに電話し、「お父さん、僕もカレー食べていいか」と話したところ、きよしは涙ながらに「食べてええで、学校には後で父さん謝りに行ったる」と返した。普段から真面目で友達想いな忠志の事を知る教師は、忠志含め友人の行動を注意はしたが、何かしらの処罰は無かった。後日、きよしが一家団欒しながら「いろいろ苦労したが、大好きな家族とこうして豊かな食卓を囲めるようになった」ことをしみじみ感じ、「シアワセやなァ」と涙を流した。それを見た次男の弘志が台所で料理をするヘレンのもとへ行き、「お母さん、お父さんが『シアワセや』言うて泣いてんで」と報告したところ、ヘレンも野菜を切りながら「私もシアワセやー」と号泣していたという[11]

弟子

直弟子

孫弟子

いずれものりおの弟子
  • 西川小のり
  • のりはじめ(廃業)
  • のりのり(後にボソボソ、廃業)
  • 小ざる (元々は桂きん枝の弟子で落語家時代の芸名は桂きん八。後に「なにわ突撃隊」のメンバーとして活躍、現在の活動は不明)
他(いずれものりおの付き人)

演じた俳優

  • 西川弘志(本人の次男:関西テレビ「花王名人劇場・西川ヘレン物語…白地ニ赤ク…」1987年)
  • 生瀬勝久(TBSテレビ「おこるで!しかし。オレはナニワの漫才師。横山やすし一代記」1997年)
  • 板尾創路(関西テレビ「横山やすしフルスロットル」2004・2005年)
  • 高井俊彦(吉本新喜劇「オヨヨ!!三枝誕生物語」2012年)
  • 西川忠志(本人の長男:日本テレビ「DRAMA COMPLEX・ヘレンときよしの物語」2006年、舞台「吉本百年物語 日本全国、テレビで遊ぼ」2012年)
  • 中川礼二(NHK BSプレミアム「ひとつ星の恋〜天才漫才師 横山やすしと妻〜」2014年11月23日・11月30日)

出演

現在のレギュラー番組

テレビ

ラジオ

現在のレギュラー特番

過去のレギュラー番組

テレビ

過去の特番

  • 祝!芸能生活50周年 西川きよしが仕掛け人!大目玉覚悟の初ドッキリ&復活!パンチDEデート (2013年12月22日、関西テレビ)
  • 読売テレビ開局55周年記念番組きよしにダメ出し!? (2013年12月30日、読売テレビ)
  • 祝金婚式スターが語るきよしヘレンの50年 (2017年9月23日、毎日放送)
  • きよしのありがた~い 絶景見に行こう!(2018年1月6日、朝日放送)
  • きよしのまるごといただきます!2018春・淡路島(2018年5月19日、朝日放送)
  • 今年はとうなる!?爆笑大予言 (読売テレビ)

ラジオ

映画

テレビドラマ

CM

レコード

  • ひと目逢ったその日から / パンチ体操(1975年、桂三枝とのデュエット)
  • 子供が三人おりますねん(1979年、B面は西川ヘレン「約束」)

脚注

  1. ^ 藤山直美がそう呼ぶ。
  2. ^ 世界最小の「国家」、シーランド公国が148億円で売り出し中。”. ナリナリドットコム (2007年1月15日). 2015年5月7日閲覧。
  3. ^ 週刊現代 2010年10月23日 76〜78ページ「私の地図--あの場所へ帰りたい(第26回)漫才師 西川きよし」
  4. ^ a b c 文藝春秋 2014年1月号 368-375ページ「西川きよし芸能生活五十年を振り返る やすしさんはちょっと生き急ぎすぎた」
  5. ^ “西川きよし がん手術を報告「フカヒレスープが食べたいな~」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年1月23日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/01/23/kiji/K20160123011908500.html 2016年1月23日閲覧。 
  6. ^ 西川きよし、漫才師初の文化功労者選出「漫才に誘っていただいた、横山やすしさんのおかげ」”. スポーツ報知 (2020年10月27日). 2020年10月27日閲覧。
  7. ^ 佐藤利明・編著『植木等ショー! クレージーTV大全』(2010年・洋泉社(ISBN 9784862486240)・P.28)より。
  8. ^ “西川きよし「後にも先にも中曽根さんだけ」 初登院の首班指名で元首相からの電話に仰天”. スポーツ報知. (2019年11月30日). https://hochi.news/articles/20191130-OHT1T50077.html 2019年11月30日閲覧。 
  9. ^ 2004年6月4日 読売新聞大阪版朝刊「西川きよし議員 最後の質問“アウト” 年金改革法案採決審議打ち切られシュン」他3紙
  10. ^ TVでた蔵「2013年9月8日放送ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」”. ワイヤーアクション (2013年9月8日). 2015年5月7日閲覧。
  11. ^ ジャンケン、カレー…西川きよし伝説多数”. 夕刊フジ (2011年4月21日). 2015年5月7日閲覧。
  12. ^ 西川まさとさん自殺か 師匠の西川きよし「残念でならない」 産経ニュース 2017年9月2日閲覧
  13. ^ G20 交通規制 西川きよし/大阪府警察 大阪府警察交通部公式チャンネル
  14. ^ “石田ゆり子「20年ぶり競泳水着を…」“メガビッグ”にうれしかったこと【動画あり】”. マイナビニュース (マイナビ). (2020年3月5日). https://news.mynavi.jp/article/20200305-988445/ 2020年3月10日閲覧。 

関連人物

関連項目

外部リンク