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{{by|2015年}}には、一軍公式戦で自己最多の6本塁打、チーム最多の22犠打を記録した。10月に脱臼癖のあった左肩の手術を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/01/kiji/K20151201011606140.html 白崎「錦織流」で体幹強化図る「バット持たず徹底的に」]スポニチアネックス 2015年12月1日配信</ref>。
{{by|2015年}}には、一軍公式戦で自己最多の6本塁打、チーム最多の22犠打を記録した。10月に脱臼癖のあった左肩の手術を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/12/01/kiji/K20151201011606140.html 白崎「錦織流」で体幹強化図る「バット持たず徹底的に」]スポニチアネックス 2015年12月1日配信</ref>。


{{by|2016年}}には、背番号を'''6'''へ変更<ref>[http://www.baystars.co.jp/news/2015/12/1209_01.php 背番号変更のお知らせ] 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年12月9日)</ref>。レギュラーシーズンでは、[[広島東洋カープ]]との開幕戦([[MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島]])に「1番・三塁手」としてスタメンで起用されたが、以降の一軍公式戦では打率が1割台を記録するほど打撃が低迷。4月18日に出場選手登録を抹消された。5月4日の再登録後は、6番打者や7番打者として一軍公式戦へのスタメン出場を重ねながら、打率を2割台に乗せた。一時は正三塁手の座を[[エリアン・エレラ]]、[[山下幸輝]]、[[宮敏郎]]などと争ったが、宮﨑が正三塁手に定着した6月以降は、代打・代走・守備要員として起用される試合が増加。一軍公式戦全体では、92試合の出場(44試合のスタメン起用)で、前年に並ぶ6本塁打を放ちながら打率.207に終わった。
{{by|2016年}}には、背番号を'''6'''へ変更<ref>[http://www.baystars.co.jp/news/2015/12/1209_01.php 背番号変更のお知らせ] 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年12月9日)</ref>。レギュラーシーズンでは、[[広島東洋カープ]]との開幕戦([[MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島]])に「1番・三塁手」としてスタメンで起用されたが、以降の一軍公式戦では打率が1割台を記録するほど打撃が低迷。4月18日に出場選手登録を抹消された。5月4日の再登録後は、6番打者や7番打者として一軍公式戦へのスタメン出場を重ねながら、打率を2割台に乗せた。一時は正三塁手の座を[[エリアン・エレラ]]、[[山下幸輝]]、[[宮敏郎]]などと争ったが、宮﨑が正三塁手に定着した6月以降は、代打・代走・守備要員として起用される試合が増加。一軍公式戦全体では、92試合の出場(44試合のスタメン起用)で、前年に並ぶ6本塁打を放ちながら打率.207に終わった。


{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンで振るわず、一軍公式戦への出場が自己最少の39試合にまで減少。本塁打を1本も放てず、プロ入り後初めて2割を切る打率(.185)でシーズンを終えた。しかし、チームのレギュラーシーズン3位で臨んだ[[ポストシーズン]]中も一軍に帯同。[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、11月4日の第6戦([[福岡ヤフオク!ドーム]])に「7番・[[指名打者]]」としてシリーズ初のスタメン出場を果たすと、5回表の第2打席でこの年の一軍公式戦唯一の本塁打を同点のソロ本塁打で記録した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711040000678.html DeNA5回に同点ソロ、先発起用応え今季初弾] 日刊スポーツ(2017年11月4日)</ref>。
{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンで振るわず、一軍公式戦への出場が自己最少の39試合にまで減少。本塁打を1本も放てず、プロ入り後初めて2割を切る打率(.185)でシーズンを終えた。しかし、チームのレギュラーシーズン3位で臨んだ[[ポストシーズン]]中も一軍に帯同。[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では、11月4日の第6戦([[福岡ヤフオク!ドーム]])に「7番・[[指名打者]]」としてシリーズ初のスタメン出場を果たすと、5回表の第2打席でこの年の一軍公式戦唯一の本塁打を同点のソロ本塁打で記録した<ref>[https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711040000678.html DeNA5回に同点ソロ、先発起用応え今季初弾] 日刊スポーツ(2017年11月4日)</ref>。

2020年10月29日 (木) 03:46時点における版

白崎 浩之
オリックス・バファローズ #2
DeNA時代
(2014年5月11日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道岩見沢市
生年月日 (1990-08-20) 1990年8月20日(34歳)
身長
体重
184 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2012年 ドラフト1位
初出場 2013年5月1日
年俸 1,500万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

白崎 浩之(しらさき ひろゆき、1990年8月20日 - )は、北海道岩見沢市出身[2][3]プロ野球選手内野手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。

経歴

プロ入り前

小学校1年生から岩見沢市立第一小学校、岩見沢第一アトムズにて野球を始め[3]岩見沢市立緑中学校では岩見沢シニアに所属[3]。投手兼遊撃手として2年夏にジャイアンツカップに出場し、3年には全国大会ベスト16に貢献。

高校は道内強豪校に進まず、「甲子園ではなくプロが目標。北海道から出た方がスカウトの目に留まる機会が多いから」という理由で、埼玉栄高等学校に進学[3][4]。1年から三塁手のレギュラーに定着したが、埼玉大会ベスト8が最高で、全国選手権出場はなし。高校時代の2学年先輩に木村文紀がいる。

大学は駒澤大学では2年春から三塁手のレギュラーに定着し、秋には1部に昇格。4年には遊撃手にコンバートされ、春にはリーグ最多の17安打、打率.395と活躍し、首位打者ベストナインを受賞[4]。1部リーグ通算成績は45試合出場、打率.287、48安打、2本塁打、20打点。なお、当時の駒大のエース白崎勇気(駒大岩見沢出身、JR東日本)はいとこにあたる。戸柱恭孝は同期、今永昇太は3学年後輩。

2012年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名[2]。契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は29。この年のドラフト会議では、白崎以外にも、北海道出身者が3巡目以内の順位で4人指名された[2]。道内出身者が同じ年のドラフト会議で5人指名された事例は、史上初めてであった[4]

DeNA時代

DeNA時代(2014年3月8日)

2013年には、開幕を二軍で迎えたが、5月1日に初めての一軍昇格を果たすと、同日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)9回表から遊撃手として一軍初出場。その裏の打席では、一軍初安打を放った。石川雄洋の不調などを背景に、5月15日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜)では、「7番・遊撃手」として初めてスタメンに起用。しかし、以降は二度にわたって、二軍への降格を経験した。8月17日に一軍へ昇格してからは、シーズン終了まで一軍に定着。シーズン後半の公式戦では、山崎憲晴梶谷隆幸で遊撃手のレギュラーを争うようになった影響で、三塁手に起用される機会も多かった。

2014年には、開幕一軍を果たすと、公式戦では山崎と交互に遊撃手としてスタメンに起用されている。横浜スタジアムで一・二軍の公式戦(親子ゲーム)が組まれた5月29日には、二軍のデーゲーム(イースタン・リーグ公式戦の楽天戦)で5打数1安打を記録した後に、一軍のナイトゲーム・福岡ソフトバンクホークス戦にも同点の延長10回裏に代走として出場。ソフトバンク戦では10回に決着が付かなかったため、11回表に遊撃の守備へ就くと、その裏の2死1・2塁で迎えた打席で岡島秀樹からプロ入り後初めてのサヨナラ安打を放った[5]。さらに、東京ヤクルトスワローズとのシーズン最終戦では、小川泰弘から一軍公式戦での初本塁打を放った。

2015年には、一軍公式戦で自己最多の6本塁打、チーム最多の22犠打を記録した。10月に脱臼癖のあった左肩の手術を受けた[6]

2016年には、背番号を6へ変更[7]。レギュラーシーズンでは、広島東洋カープとの開幕戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)に「1番・三塁手」としてスタメンで起用されたが、以降の一軍公式戦では打率が1割台を記録するほど打撃が低迷。4月18日に出場選手登録を抹消された。5月4日の再登録後は、6番打者や7番打者として一軍公式戦へのスタメン出場を重ねながら、打率を2割台に乗せた。一時は正三塁手の座をエリアン・エレラ山下幸輝宮﨑敏郎などと争ったが、宮﨑が正三塁手に定着した6月以降は、代打・代走・守備要員として起用される試合が増加。一軍公式戦全体では、92試合の出場(44試合のスタメン起用)で、前年に並ぶ6本塁打を放ちながら打率.207に終わった。

2017年には、レギュラーシーズンで振るわず、一軍公式戦への出場が自己最少の39試合にまで減少。本塁打を1本も放てず、プロ入り後初めて2割を切る打率(.185)でシーズンを終えた。しかし、チームのレギュラーシーズン3位で臨んだポストシーズン中も一軍に帯同。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、11月4日の第6戦(福岡ヤフオク!ドーム)に「7番・指名打者」としてシリーズ初のスタメン出場を果たすと、5回表の第2打席でこの年の一軍公式戦唯一の本塁打を同点のソロ本塁打で記録した[8]

2018年には、公式戦の開幕から二軍でプレー。イースタン・リーグの公式戦では、7月上旬までに53試合へ出場したが、打率.269、2本塁打という成績にとどまった。

オリックス時代

2018年7月9日に、伊藤光赤間謙との交換トレードで髙城俊人と共にオリックス・バファローズへ移籍することが発表された[9]。背番号は2。7月16日にシーズンおよび移籍後初の一軍公式戦出場[10]を果たすと、以降の試合で、三塁手としてのスタメン出場が増えた。8月12日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム大阪)では、2回裏1死1塁で迎えた打席で、レギュラーシーズンの一軍公式戦としては自身2年振りの本塁打を種市篤暉から放っている。DeNA時代に(ポストシーズンを含む)一軍公式戦で通算14本塁打を記録した白崎にとって、塁上に走者がいる局面での本塁打は、NPBの一軍公式戦で初めてであった[11]。9月6日に発生した北海道胆振東部地震では、家族が全員無事だったものの、岩見沢市内の実家が、停電や断水に見舞われた。地震発生後の北海道内で初めてのNPB一軍公式戦として開催された9月15日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)に「6番・三塁手」としてスタメンに出場すると、適時打を含む2安打2打点と活躍した[12]

選手としての特徴・人物

50メートル5秒9の俊足と、遠投110メートルの強肩が特徴の内野手[13]

DeNA時代の2017年に、高校時代の同級生と結婚[14]

応援歌は横浜DeNA時代は福盛和男のCD版、オリックス時代は古木克明など移籍選手複数に使われた曲の流用。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2013 DeNA 47 60 52 16 11 1 0 0 12 1 0 1 4 0 4 0 0 11 2 .212 .268 .231 .499
2014 101 240 209 24 49 8 1 1 62 11 4 2 15 0 16 0 0 50 4 .234 .289 .297 .586
2015 81 238 204 25 46 9 1 6 75 9 2 4 22 0 11 0 1 45 1 .225 .269 .368 .636
2016 92 214 203 20 42 11 0 6 71 12 0 1 2 0 6 0 3 32 8 .207 .241 .350 .590
2017 34 55 54 5 10 3 0 0 13 4 0 0 0 0 1 0 0 19 0 .185 .200 .241 .441
2018 オリックス 30 73 67 4 16 5 0 1 24 9 0 0 0 1 3 0 2 20 1 .239 .288 .358 .646
2019 25 54 49 6 10 0 0 2 16 6 0 0 0 0 5 0 0 14 1 .204 .278 .327 .604
通算:7年 410 934 838 100 184 37 2 16 273 52 6 8 43 1 46 0 6 191 17 .220 .265 .326 .591
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2013 DeNA - - 25 10 13 0 3 1.000 9 7 14 0 2 1.000
2014 - - 33 9 14 1 0 .958 66 82 163 10 37 .961
2015 - - 28 2 19 1 0 .955 58 66 145 5 16 .977
2016 5 16 3 0 2 1.000 - 78 40 91 5 6 .963 1 0 1 0 0 1.000
2017 1 3 1 0 0 1.000 1 0 0 0 0 ---- 21 4 18 1 0 .957 -
2018 オリックス 5 13 1 1 0 .933 - 23 16 29 3 3 .938 -
2019 9 51 5 1 3 .982 2 7 7 1 5 .933 13 2 8 2 1 .833 -
通算 20 83 10 2 5 .979 3 7 7 1 5 .933 221 83 192 13 13 .955 134 155 323 15 55 .970
  • 2019年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 29 (2013年 - 2015年)
  • 6 (2016年 - 2018年途中)
  • 2 (2018年途中 - )

登場曲

  • BIGBANG 「ガラガラ GO !!」(2013年 - 2014年)
  • A.F.R.O「hero」(2015年 - )
  • ONE OK ROCK「We are -Japanese Ver.」(2017年 - )

脚注

  1. ^ オリックス - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2020年5月31日閲覧。
  2. ^ a b c 北海道新聞、2012年10月26日付朝刊1面「ドラフト 日ハム、大谷指名 白崎(岩見沢出身)DeNA1位」
  3. ^ a b c d 北海道新聞、2013年8月20日付夕刊2面「道産子スポーツ人 プロ野球DeNA 白崎浩之(岩見沢市出身)」
  4. ^ a b c 北海道新聞、2012年10月26日付朝刊35面「快挙 道産子の指名最多 ドラフト5人」
  5. ^ サヨナラ打の白崎 “ダブルヘッダー”だった 2軍戦は5の1”. スポーツニッポン (2014年5月30日). 2014年5月30日閲覧。
  6. ^ 白崎「錦織流」で体幹強化図る「バット持たず徹底的に」スポニチアネックス 2015年12月1日配信
  7. ^ 背番号変更のお知らせ 横浜DeNAベイスターズ公式サイト(2015年12月9日)
  8. ^ DeNA5回に同点ソロ、先発起用応え今季初弾 日刊スポーツ(2017年11月4日)
  9. ^ オリックスの伊藤光、赤間とDeNA白崎、高城が緊急トレード! スポーツ報知(2018年7月9日)
  10. ^ 【オリックス】有原を打ちあぐね5安打1得点、移籍の白崎も3球三振 スポーツ報知(2018年7月16日)
  11. ^ “オリックス白崎、移籍後1号は2ラン! DeNA時代の14本塁打はすべてソロ” (日本語). BASEBALL KING. https://baseballking.jp/ns/162375 2018年8月12日閲覧。 
  12. ^ “オリックス白崎、実家の北海道で一軍昇格即2打点”. nikkansports.com. (2018年9月15日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809150000784.html 2018年9月16日閲覧。 
  13. ^ ドラフト1位白崎はもこみち似 中畑監督「イケメン仲間増えた」”. スポーツニッポン (2012年10月27日). 2013年1月6日閲覧。
  14. ^ “DeNA白崎 埼玉栄同級生と結婚「妻のためにも頑張りたい」”. Sponichi Annex. (2017年12月7日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/12/07/kiji/20171206s00001173255000c.html?amp=1 2017年2月9日閲覧。 

関連項目

外部リンク