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[[北九州市立大谷中学校]]時代は[[軟式野球]]部に所属していた。
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2020年10月29日 (木) 03:39時点における版

三好 匠
広島東洋カープ #35
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県北九州市戸畑区
生年月日 (1993-06-07) 1993年6月7日(31歳)
身長
体重
174 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2011年 ドラフト3位
初出場 2013年7月15日
年俸 1,200万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

三好 匠(みよし たくみ、1993年6月7日 - )は、福岡県北九州市戸畑区出身のプロ野球選手。右投右打。広島東洋カープ所属。

経歴

プロ入り前

北九州市立大谷中学校時代は軟式野球部に所属していた。

九州国際大付高校への進学後は、1年夏から外野手として第91回全国高等学校野球選手権大会に福岡県代表として出場。2年秋からは投手を兼任する。3年春の第83回選抜高等学校野球大会では、エースとして髙城俊人とバッテリーを組み5試合全てを一人で投げ抜き準優勝に輝いた。また、打撃でも2本塁打を放った。同年の夏の甲子園では、初戦となった2回戦で岡山県代表の関西高校に延長12回の末2-3でサヨナラ負けを喫した。甲子園通算成績は56回、防御率2.73、38奪三振。野手としては9試合で打率.303、2本塁打。野球部の同期には児玉龍也、1学年先輩には榎本葵、2学年先輩には河野元貴がいる。

2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議東北楽天ゴールデンイーグルスから3巡目で指名され、契約金4,000万円、年俸600万円で契約[2]背番号2。投手としての指名だったが、入団と同時に、内野手への転向[2]遊撃手への挑戦を表明した[3]

楽天時代

楽天時代
2013年7月18日、こまちスタジアムにて

2012年は体格と守備力の強化に専念すべく、二軍生活に終始した。イースタン・リーグ公式戦では、遊撃手二塁手三塁手として58試合に出場。故障で一時戦線を離脱したが、打率.250、4本塁打を記録した。

2013年はイースタン・リーグの前半戦で打率.276、2本塁打、20打点を記録するほどの好調を買われて、7月にプロ入り後初めて一軍に昇格。7月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(Kスタ宮城)8回裏に、遊撃手として一軍デビューを果たした[4]。また、フレッシュオールスターゲームに出場を予定していたチームメイトの西田哲朗が故障で出場を辞退したため、代替選手として出場した[5]

2014年は9月29日にシーズン初の一軍昇格。10月1日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)では、一軍初のスタメンに起用されると、吉川光夫からの二塁打で一軍初安打を記録した[6]。イースタン・リーグ公式戦では13本塁打、60打点(いずれもリーグ3位)を記録するとともに、同リーグの優秀選手賞を受賞した。シーズン終了後に開かれた第1回U-21野球ワールドカップには、日本代表のメンバーとして出場。主に三塁手として活躍した[6]

2015年は一軍の主力野手が相次いで故障や不振に見舞われるというチーム状況の下で、6月12日にシーズン初の出場選手登録。6月21日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)に「9番・三塁手」としてスタメンに起用されると、2回裏の打席に、大嶺祐太からの安打で一軍初打点を記録した。一軍公式戦全体では、9試合の出場で打率.207にとどまったが、二塁打と三塁打を初めて放った。オフに背番号を57へ変更[7]

2016年藤田一也の故障で4月13日にシーズン初の出場選手登録を果たしたが、一軍公式戦1試合に出場しただけで、いったん登録を抹消された。7月12日にシーズン3度目の出場選手登録。7月23日の対ロッテ戦で関谷亮太から一軍初本塁打を放つと、7月24日の対福岡ソフトバンクホークス戦(いずれも楽天Koboスタジアム宮城)で一軍初の猛打賞を記録した。以降は、シーズン終了まで一軍に帯同。一軍公式戦には、自己最多の38試合に出場するとともに、3本塁打、6打点という成績を残した。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップ日本代表に選出され[8]、10月22日に代表主将に就任[9]。チームは優勝し金メダルを獲得している[10]

楽天時代
(2016年 さいたま市営浦和球場にて)

2017年は開幕から一軍に帯同し、ほぼ途中出場ながら5月終了時点で20打数9安打と打撃好調であった。茂木栄五郎が離脱すると、打撃の調子は崩しつつも7月にかけて一時期ながら遊撃手に定着した。しかし、7月末から新外国人のルイス・クルーズが起用されるようになると出場機会が減少し、8月4日に自打球で左足甲を骨折したため、残りのシーズンを全て棒に振った[11]。オフに背番号を24に変更[12]

広島時代

2019年7月2日に下水流昂との交換トレードで広島東洋カープへ移籍した。背番号は35[13]

2019年7月23日 マツダスタジアムにて

移籍後は主に三塁手としてスタメン起用が増え、8月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、自身初となるサヨナラタイムリーを放った[14]。また、内野の守備固めとしても多く起用された。

2020年は開幕から一軍に帯同。

選手としての特徴・人物

高校時代は140km/h台の速球と右打者にはスライダー、左打者にはチェンジアップを有効に使ったコンビネーションを武器に投手として活躍した。また、甲子園で本塁打を放ったように当時から野手としての評価は高く[15]、高校通算打率.354、23本塁打の左右に打ち分けるバッティング技術と[15][16]50メートル5.8秒の俊足を誇る[16]

理想のバッターとして、井口資仁のような右方向に長打を打てるバッターを挙げている[17]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2013 楽天 6 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2014 3 7 7 1 2 2 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .286 .286 .571 .857
2015 9 33 29 2 6 1 1 0 9 3 0 0 2 0 1 0 1 9 1 .207 .258 .310 .568
2016 38 70 63 11 14 0 0 3 23 6 0 0 2 0 5 0 0 16 1 .222 .279 .365 .644
2017 56 115 103 12 25 9 0 1 37 9 0 1 4 1 7 0 0 27 1 .243 .288 .359 .648
2018 70 54 48 5 5 0 1 0 7 0 0 1 3 0 3 0 0 15 2 .104 .157 .146 .303
2019 17 4 4 0 1 0 0 0 1 1 1 0 0 0 0 0 0 1 0 .250 .250 .250 .500
広島 43 92 77 9 14 1 0 2 21 7 1 0 6 0 9 2 0 28 1 .182 .267 .273 .540
'19計 60 96 81 9 15 1 0 2 22 8 2 0 6 0 9 2 0 29 1 .185 .267 .272 .538
通算:7年 242 379 335 40 67 13 2 6 102 26 2 2 17 1 25 2 1 100 6 .200 .257 .304 .561
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



二塁 三塁 遊撃




































2013 楽天 - 2 0 0 0 0 .000 4 2 3 0 0 1.000
2014 2 3 2 0 0 1.000 1 1 2 0 0 1.000 -
2015 6 12 21 0 6 1.000 3 0 2 0 0 1.000 2 2 5 0 1 1.000
2016 17 17 18 1 1 .972 2 0 0 0 0 .000 17 21 44 1 10 .985
2017 13 7 12 1 2 .950 5 0 1 0 0 1.000 40 46 80 2 19 .984
2018 15 10 8 0 3 1.000 9 0 4 1 1 .800 49 16 49 1 6 .985
2019 1 0 1 0 0 1.000 - 15 3 4 0 0 1.000
広島 5 1 2 0 0 1.000 26 11 17 0 3 1.000 17 16 25 2 6 .953
'19計 6 1 3 0 0 1.000 26 11 17 0 3 1.000 32 19 29 2 6 .960
通算 46 50 64 2 12 .983 48 12 26 1 4 .974 144 106 210 6 42 .981
  • 2019年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 2 (2012年 - 2015年)
  • 57 (2016年 - 2017年)
  • 24 (2018年 - 2019年7月3日[13]
  • 35 (2019年7月4日[13] - )

登場曲

代表歴

脚注

  1. ^ 広島 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2020年1月26日閲覧。
  2. ^ a b “楽天 ドラ3の三好と合意、内野手として選手登録へ”. Sponichi Annex. (2011年11月21日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/21/kiji/K20111121002078740.html 2012年1月14日閲覧。 
  3. ^ “センバツ準V腕は遊撃手転向 三好「松井選手のように」”. Sponichi Annex. (2012年1月13日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/13/kiji/K20120113002418520.html 2012年1月14日閲覧。 
  4. ^ “星野監督 6カードぶり負け越しにオリ戦へ闘志「勝ち越すから」”. Sponichi Annex. (2013年7月15日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/15/kiji/K20130715006218210.html 2013年7月17日閲覧。 
  5. ^ “楽天西田7・18フレッシュ球宴出場辞退”. nikkansports.com. (2013年6月20日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130620-1145183.html 2013年6月22日閲覧。 
  6. ^ a b “【楽天】三好「1軍スタートを目指して」現状維持でサイン”. スポーツ報知. (2014年11月29日). http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20141129-OHT1T50099.html 2015年3月14日閲覧。 
  7. ^ 背番号変更について 東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2015年11月29日)
  8. ^ “「第1回 WBSC U-23ベースボールワールドカップ」に出場する侍ジャパンU-23代表選手が決定”. 野球日本代表オフィシャルサイト. (2016年10月12日). http://www.japan-baseball.jp/jp/news/press/20161012_2.html 2016年10月12日閲覧。 
  9. ^ U-23侍ジャパンが始動!初代王者へ向けて「元気ハツラツ」で結束する 野球日本代表 侍ジャパン オフィシャルサイト (2016年10月22日) 2016年11月4日閲覧
  10. ^ No. 1 Japan crowned World Champions, defeat No. 15 Australia in Final of WBSC U-23 Baseball World Cup WBSC | World Baseball Softball Confederation (英語) (2016年11月6日) 2016年11月7日閲覧
  11. ^ 【楽天】故障・茂木の代役・三好が左足甲骨折 故障者続出に梨田監督「痛いね」 スポーツ報知(2017年08月04日)
  12. ^ 背番号の変更に関して東北楽天ゴールデンイーグルス公式サイト(2017年12月5日)
  13. ^ a b c トレード | 2019年度公示 | NPB.jp 日本野球機構”. 2019年7月4日閲覧。
  14. ^ “広島・三好、8年目で初サヨナラ打 4連覇「まだ諦めてない」野間&誠也の手荒い祝福に「うわ~っ!」”. スポーツニッポン. (2019年8月20日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/20/kiji/20190820s00001173470000c.html 2019年8月21日閲覧。 
  15. ^ a b “三好匠 センバツ準優勝右腕もバッティングが魅力”. Sponichi Annex. (2011年10月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/27/kiji/K20111027001903140.html 2012年1月14日閲覧。 
  16. ^ a b “センバツ準V腕は野手転向…三好、稼頭央に弟子入り志願”. Sponichi Annex. (2011年11月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/02/kiji/K20111102001941020.html 2012年1月14日閲覧。 
  17. ^ 「ファームインタビュー」『週刊ベースボール』2012年7月23日号、ベースボール・マガジン社、64-65頁、雑誌20444-7/23。 

関連項目

外部リンク