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「スペンサー・パットン」の版間の差分

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{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンの開幕から、[[三上朋也]]・[[砂田毅樹]]と共におおむね[[セットアッパー]]へ起用。一軍公式戦では、砂田に並ぶチーム2位の62試合に登板すると、三上に次ぐチーム2位の31ホールドポイント(4救援勝利27ホールド)を記録した。その一方で、[[クローザー]]の[[山康晃]]が不調だった
{{by|2017年}}には、レギュラーシーズンの開幕から、[[三上朋也]]・[[砂田毅樹]]と共におおむね[[セットアッパー]]へ起用。一軍公式戦では、砂田に並ぶチーム2位の62試合に登板すると、三上に次ぐチーム2位の31ホールドポイント(4救援勝利27ホールド)を記録した。その一方で、[[クローザー]]の[[山康晃]]が不調だった
4月中旬からは、1ヶ月にわたって山崎と役割を交代<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/17/kiji/20170416s00001173331000c.html ラミ監督「去年と同じ轍は踏まない」もう新方程式7回山崎康→9回パットン]スポニチアネックス 2017年4月16日掲載</ref>。クローザーとして7セーブを挙げたが、セーブが付く局面での登板で、5度にわたってブロウンセーブ(救援失敗)を犯した。その間に山崎がセットアッパーとして15登板試合続けて無失点で凌いだこともあって、5月下旬からはセットアッパーへ復帰。復帰後は、山崎と共に本来の持ち場で投球内容を安定させたことによって、チームの2年連続[[2017年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ(CS)]]進出に大きく貢献した。[[ポストシーズン]]では、[[アレックス・ラミレス]]監督による小刻みな継投策の下で、ワンポイント・リリーフやショート・リリーフに起用。CS全体で8試合中6試合、[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で6試合中5試合に登板した。10月29日の日本シリーズ第2戦([[福岡ドーム|福岡ヤフオク!ドーム]])では味方の失策から1点を失って敗戦投手になったものの、ポストシーズンを通じて自責点0を維持。日本シリーズ終了3日後の11月8日には、翌[[2018年]]もチームに残留することが球団から発表された<ref>{{Cite web|date=2017-11-08|url=http://www.baystars.co.jp/news/2017/11/1108_01.php |title=2018年シーズン 選手契約について|publisher=横浜DeNAベイスターズ|language=日本語|accessdate=2017-11-08}}</ref>。1年契約で、推定年俸は1億3,000万円<ref name="salary2018">{{Cite web|date=2017-11-08|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711080000476.html|title=DeNAがパットン、ウィーランド来季契約を発表|publisher=日刊スポーツ|language=日本語|accessdate=2017-11-08}}</ref>。
4月中旬からは、1ヶ月にわたって山崎と役割を交代<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/04/17/kiji/20170416s00001173331000c.html ラミ監督「去年と同じ轍は踏まない」もう新方程式7回山崎康→9回パットン]スポニチアネックス 2017年4月16日掲載</ref>。クローザーとして7セーブを挙げたが、セーブが付く局面での登板で、5度にわたってブロウンセーブ(救援失敗)を犯した。その間に山崎がセットアッパーとして15登板試合続けて無失点で凌いだこともあって、5月下旬からはセットアッパーへ復帰。復帰後は、山崎と共に本来の持ち場で投球内容を安定させたことによって、チームの2年連続[[2017年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ(CS)]]進出に大きく貢献した。[[ポストシーズン]]では、[[アレックス・ラミレス]]監督による小刻みな継投策の下で、ワンポイント・リリーフやショート・リリーフに起用。CS全体で8試合中6試合、[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[2017年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で6試合中5試合に登板した。10月29日の日本シリーズ第2戦([[福岡ドーム|福岡ヤフオク!ドーム]])では味方の失策から1点を失って敗戦投手になったものの、ポストシーズンを通じて自責点0を維持。日本シリーズ終了3日後の11月8日には、翌[[2018年]]もチームに残留することが球団から発表された<ref>{{Cite web|date=2017-11-08|url=http://www.baystars.co.jp/news/2017/11/1108_01.php |title=2018年シーズン 選手契約について|publisher=横浜DeNAベイスターズ|language=日本語|accessdate=2017-11-08}}</ref>。1年契約で、推定年俸は1億3,000万円<ref name="salary2018">{{Cite web|date=2017-11-08|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711080000476.html|title=DeNAがパットン、ウィーランド来季契約を発表|publisher=日刊スポーツ|language=日本語|accessdate=2017-11-08}}</ref>。



2020年10月29日 (木) 03:32時点における版

スペンサー・パットン
Spencer Patton
横浜DeNAベイスターズ #53
2017年3月20日 横浜スタジアムにて
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シャンペーン郡アーバナ
生年月日 (1988-02-20) 1988年2月20日(36歳)
身長
体重
185 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2011年 ドラフト24巡目(全体726位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名
初出場 MLB / 2014年9月4日 シアトル・マリナーズ
NPB / 2017年4月1日 東京ヤクルトスワローズ2回戦
年俸 1億6,000万円+出来高(2020年)
※2019年から2年契約[1][2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

スペンサー・バーデット・パットンSpencer Burdette Patton, 1988年2月20日 - )は、NPB横浜DeNAベイスターズに所属するアメリカ合衆国イリノイ州シャンペーン郡アーバナ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

レンジャーズ時代(2015年7月2日)

6歳下の弟のジョー・パットンも元プロ野球選手で、現役時代にはロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム傘下のマイナーリーグ球団に所属していた。

経歴

ロイヤルズ傘下時代

2011年MLBドラフト24巡目(全体726位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、6月12日に契約。この年は傘下のパイオニアリーグのルーキー級アイダホフォールズ・チュカーズ英語版で19試合に登板し、3勝1敗2セーブ・防御率3.40であった[3]

2012年はルーキー級アイダホフォールズで16試合に登板し、0勝7敗・防御率6.32であった[3]

2013年はA+級ウィルミントン・ブルーロックスで25試合に登板し、5勝2敗2セーブ・防御率1.96だった。7月にAA級ノースウエストアーカンソー・ナチュラルズへ昇格。AA級ノースウエストアーカンソーでは12試合に登板し、防御率1.50であった。

2014年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズで34試合に登板し、4勝3敗14セーブ・防御率4.08であった[3]

レンジャーズ時代

2014年7月16日にジェイソン・フレイザーとのトレードで、テキサス・レンジャーズへ移籍した[4]。移籍後は傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスで15試合に登板し、1勝1敗4セーブ・防御率3.38だった。9月4日にレンジャーズとメジャー契約を結び[5]、同日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビュー。8点ビハインドの4回表から登板し、2回を無安打無失点に抑えた[6]。その後は好投を続け、シーズン最終登板となった9月27日のオークランド・アスレチックス戦では、1点リードの7回から登板し、1回を1安打無失点に抑え、直後の7回裏にレンジャーズが3点リードとなる2点を得点したが、8回表にニール・コッツが2失点したため、勝利投手の権利がパットンに移り、メジャー初勝利を挙げた[7]。この年は9試合に登板し、1勝0敗、防御率0.96だった[3]

2015年は出番が激増し、27試合に登板したが防御率9.00と打ち込まれた。一方で24回で28奪三振を記録した。

カブス時代

2015年11月20日にフレンディ・デラロサとのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[8]

2016年は全般的に前年と比べて出番こそ減ったが、防御率は5.48と改善し、チームの地区優勝に貢献した。11月17日に戦力外となり、11月23日に自由契約となった[3]

DeNA時代

2016年11月23日に、横浜DeNAベイスターズがパットンと1年契約を結んだことを発表した[9]。、推定年俸は9,000万円[10]で、背番号は53

2017年には、レギュラーシーズンの開幕から、三上朋也砂田毅樹と共におおむねセットアッパーへ起用。一軍公式戦では、砂田に並ぶチーム2位の62試合に登板すると、三上に次ぐチーム2位の31ホールドポイント(4救援勝利27ホールド)を記録した。その一方で、クローザー山﨑康晃が不調だった 4月中旬からは、1ヶ月にわたって山崎と役割を交代[11]。クローザーとして7セーブを挙げたが、セーブが付く局面での登板で、5度にわたってブロウンセーブ(救援失敗)を犯した。その間に山崎がセットアッパーとして15登板試合続けて無失点で凌いだこともあって、5月下旬からはセットアッパーへ復帰。復帰後は、山崎と共に本来の持ち場で投球内容を安定させたことによって、チームの2年連続クライマックスシリーズ(CS)進出に大きく貢献した。ポストシーズンでは、アレックス・ラミレス監督による小刻みな継投策の下で、ワンポイント・リリーフやショート・リリーフに起用。CS全体で8試合中6試合、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズで6試合中5試合に登板した。10月29日の日本シリーズ第2戦(福岡ヤフオク!ドーム)では味方の失策から1点を失って敗戦投手になったものの、ポストシーズンを通じて自責点0を維持。日本シリーズ終了3日後の11月8日には、翌2018年もチームに残留することが球団から発表された[12]。1年契約で、推定年俸は1億3,000万円[13]

2018年には、前年に続いてセットアッパーとして活躍。一軍公式戦58試合の登板で、5勝1敗33ホールド、防御率2.57を記録した[1]。その一方で、9月14日に登板した対巨人戦(横浜スタジアム)の8回表には、「この年からNPBに導入されたリクエスト制度によるリプレー検証の結果に異議を唱えた」として来日後初めての退場処分を受けた(詳細後述)。シーズン終了後に、球団との間で新たに2年契約を締結[1][2]

2019年には、セットアッパーとしてレギュラーシーズンの開幕を迎えながら、序盤戦から不安定な投球が続いていた。6月23日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で救援完了を記録したことによって、NPB一軍公式戦での通算登板数が、球団の歴代外国人投手で最も多い146試合に到達[14]。以降の試合でもこの記録を更新していたものの、8月3日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(いずれも横浜)で1アウトも取れずに降板を命じられた直後に、ベンチ内に設けられている冷蔵庫のドアを左右の拳で3発殴った。登板中の球審の判定に対する不満が遠因とされているが、この行動によって右手の拳を負傷した[15][16]ため、翌8日に出場選手登録を抹消。後の診断で第5中手手根関節の脱臼骨折が判明した[17]ことから、抹消期間中に母国のアメリカで患部の整復手術を受けた[15]詳細後述)。一軍の公式戦では、42試合の登板で0勝3敗、防御率5.15と精彩を欠きながらも、入団以来3年連続の20ホールドをマーク。レギュラーシーズン中の一軍再合流はならなかったものの、チームのレギュラーシーズン2位で迎えた阪神タイガースとのCSファーストステージ第2戦(10月6日)7回表の救援登板で実戦復帰を果たした[18]。復帰後の登板はこの試合だけで、チームもファーストステージで敗退したが、敗退後の11月18日に球団との間で翌2020年の契約を締結したことを発表[19]

2020年には、レギュラーシーズンの開幕からセットアッパーに返り咲ていたが、9月3日の対巨人戦(読売)にオープナーとして登板。先発登板はマイナーリーグ時代の2013年以来で、NPBでは一軍公式戦への登板194試合目にして初めて[20]であった。この試合はラミレスの方針で「ブルペンデー」に指定されていたが、実際には9失点で2回表の途中に降板を余儀なくされた[21]ため、以降の試合ではセットアッパーに再び専念し、16試合連続無失点を記録するなど調子を取り戻している。10月27日の対巨人戦(横浜)では三上朋也に次ぐ球団史上2人目、NPBの外国人でもジェフ・ウィリアムススコット・マシソンに次ぐ史上3人目の通算100ホールドを達成する快挙を成し遂げた。[22]

人物

苗字が同じアメリカの陸軍大将ジョージ・パットンにちなんで、MLB時代から「将軍(general)」という愛称で呼ばれている[23]

シカゴ・カブス時代にパットンと同僚だった川﨑宗則とは、来日の前に互いに相談するなど親交が深い。パットンがNPBでのプレーを決断したのも、川崎から「君なら成功するだろう」と言われたことが契機になったという[24]。奇しくも、川崎は2017年にカブスからの自由契約を経てソフトバンクへ復帰。パットンもこの年の日本シリーズでソフトバンク戦に登板したが、川崎はレギュラーシーズン中の故障でシリーズの出場登録から外れたため、シリーズでの対決は実現しなかった。

DeNAへの入団後も、一軍の公式戦に救援で登板する際には、MLB時代と同じスタイルで、リリーフカーに乗らずブルペンから走って登場する。

Twitter上に設けた自身のアカウントでは、「#WhereisShogun」のハッシュタグを使用した横浜の場所当てゲームを行うなどファンとの交流を図っている。

DeNA入団後の2018年9月14日に登板した対巨人戦(横浜スタジアム)の8回表に、1死2塁でカウント0ボール1ストライクから岡本和真に投げた球が、バットを振ろうとしていた岡本の手首を直撃。岡本はいったんベンチへ下がったものの、球審の丹波幸一死球とみなしたため、数分後に一塁へと歩いて行った。しかし、DeNA監督のラミレスは、リクエスト制度を通じて審判団にリプレー検証を要求。検証後も丹波の判定が変わらなかったため、岡本の前の打者(ケイシー・マギー)の適時打によって1点を失っていたパットンは、「岡本は(自分の投球が当たる前に)スイングして(バットを振り切って)いた」として責任審判の佐々木昌信に詰め寄った。このため、丹波から来日後初めての退場処分を受けた。リクエストによるリプレー検証で審判団が下した判定に、選手・監督・コーチが異議を唱えることをNPBが認めていないことによるもので、このような判定に関して退場宣告を受けた選手はパットンが初めてであった[25][26]。なお、DeNAではパットンの退場後から砂田毅樹を急遽登板させた末に、4 - 2というスコアでこの試合に勝利している[27]

DeNAで2019年のシーズン中に自身の不手際で利き手(右手)の拳を負傷したこと(詳細前述)をめぐっては、野球振興活動に活用する目的で、球団から500万円の罰金を科された。さらに、手術後のリハビリ期間中には、球団による子供たちへの野球振興活動に参加することを求められた[16]。このような経緯から、チームのCSファーストステージ敗退が決まった第3戦の2日後(10月9日)には、「今シーズンのパフォーマンスと、2か月間チームを離れることになってしまった行為をとても悔しく思っている。『人生のあらゆる瞬間は学んで成長する機会である』ということを、今年は大きく感じた」という反省の弁を残してアメリカへ戻っていた[28]

アメリカの自宅ですき焼きを作る姿を映した動画が妻のtwitterアカウントで公開されるなど、DeNAへの入団前から日本への関心が高く、好きな料理はすき焼きと担々麺。入団4年目の2020年1月に球団のアカウントで公開された動画では、ファンからツイートで寄せられた質問に流暢な日本語で答えているほか、箸を器用に使いながらサラダを食べる姿が映っている[29]。その一方で、新型コロナウイルスへの感染拡大を受けて日本政府などが緊急事態宣言を発出していた同年4月19日には、「自宅の近所のラーメン料理店で列を成していた」という日本人に向けて自身のアカウントからツイートを発信。この時点でNPBレギュラーシーズンの開幕延期が決まっていたことを背景に、「不要不急」とも取れる上記の行為への疑問を交えながら、「『僕達の野球を今年見たい』と思うなら、どうか、出来る限り家で過ごして下さい」と懇願している[30]

選手としての特徴

メジャーおよび3Aでは救援投手として、スリークォーターから、最速95mph(約153km/h)・平均92mph(約148km/h)の速球フォーシームツーシーム)を中心に、決め球である平均83mph(約134km/h)の縦のスライダー、平均83mph(約134km/h)のチェンジアップを使用した。日本での速球は最速155km/hを記録している[31]
メジャー通算の奪三振率が9.6と高い反面、通算与四球率も4.6と高い。また、3Aでの通算奪三振率は12.9、通算与四球率は3.5となっている[32]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2014 TEX 9 0 0 0 0 1 0 0 3 1.000 35 9.1 6 0 2 0 0 8 0 0 1 1 0.96 0.85
2015 27 0 0 0 0 1 1 0 3 .500 109 24.0 24 5 12 0 4 28 1 0 24 24 9.00 1.50
2016 CHC 16 0 0 0 0 1 1 0 1 .500 101 21.1 20 3 14 0 1 22 0 0 16 13 5.48 1.59
2017 DeNA 62 0 0 0 0 4 3 7 27 .571 247 60.0 50 4 19 3 2 66 2 0 19 18 2.70 1.15
2018 58 0 0 0 0 5 1 0 33 .833 235 56.0 53 3 16 4 3 67 0 0 16 16 2.57 1.23
2019 42 0 0 0 0 0 3 0 22 .000 172 36.2 38 4 22 4 3 45 1 0 24 21 5.15 1.64
MLB:3年 52 0 0 0 0 3 2 0 7 .600 245 54.2 50 8 28 0 5 58 1 0 41 41 6.26 1.43
NPB:3年 162 0 0 0 0 9 7 7 82 .563 654 152.2 141 11 57 11 8 178 3 0 59 55 3.24 1.30
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB投手記録
  • 初登板:2017年4月1日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(明治神宮野球場)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初奪三振:同上、7回裏に鵜久森淳志から空振り三振
  • 初ホールド:2017年4月2日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、7回裏に3番手で救援登板、2回無失点
  • 初勝利:2017年4月6日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
  • 初セーブ:2017年4月16日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(横浜スタジアム)、9回表に4番手で救援登板、1回無失点
  • 初先発登板:2020年9月3日、対読売ジャイアンツ12回戦(東京ドーム)、1回1/3を9失点(自責7)で敗戦投手
NPB打撃記録
球団記録
  • 外国人投手として最多登板:146 2019年6月23日、対東北楽天イーグルス(横浜スタジアム)、8回裏・一死一塁から3番手で登板。救援完了

背番号

  • 44 (2014年 - 2015年)
  • 40 (2016年 - 同年途中)
  • 45 (2016年途中 - 同年終了)
  • 53 (2017年 - )

登場曲

  • 「The Hum」 Dimitri Vegas & Like Mike vs. Ummet Ozcan(2017)
  • 「Revolution」Diplo(2017)

脚注

  1. ^ a b c “DeNAパットン2年契約「優勝、日本一に貢献を」”. 日刊スポーツ. (2018年11月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811250000439.html 2019年1月12日閲覧。 
  2. ^ a b DeNA再契約の救援パットン、2年約3.4億円+出来高1.1億円と米報道”. Full-count (2018年11月26日). 2019年1月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e MLB公式プロフィール参照。2016年11月23日閲覧。
  4. ^ "Texas Rangers acquire Spencer Patton from Kansas City Royals for Jason Frasor" (Press release). MLB.com (Texas Rangers). 16 July 2014. 2015年1月13日閲覧
  5. ^ T.R. Sullivan (2014年9月4日). “New father Patton joins Rangers' pitching staff”. MLB.com. 2015年1月13日閲覧。
  6. ^ Scores for Sep 4, 2014”. ESPN (2014年9月4日). 2015年1月13日閲覧。
  7. ^ Scores for Sep 27, 2014”. ESPN (2014年9月27日). 2015年1月13日閲覧。
  8. ^ テキサス・レンジャーズ 40人枠 2015年11月20日
  9. ^ スペンサー・パットン選手 獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2016年11月23日). 2016年11月24日閲覧。
  10. ^ DeNAがカブスFAパットンと1年契約で合意”. 日刊スポーツ. 2017年2月13日閲覧。
  11. ^ ラミ監督「去年と同じ轍は踏まない」もう新方程式7回山崎康→9回パットンスポニチアネックス 2017年4月16日掲載
  12. ^ 2018年シーズン 選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2017年11月8日). 2017年11月8日閲覧。
  13. ^ DeNAがパットン、ウィーランド来季契約を発表”. 日刊スポーツ (2017年11月8日). 2017年11月8日閲覧。
  14. ^ “DeNA・パットン クルーン抜き球団の外国人投手歴代1位の146試合目登板”. スポーツニッポン. (2019年6月23日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/06/23/kiji/20190623s00001173316000c.html 
  15. ^ a b “【DeNA】冷蔵庫殴打で骨折のパットン、罰金500万円”. スポーツ報知. (2019年8月13日). https://hochi.news/articles/20190813-OHT1T50139.html 
  16. ^ a b “DeNA 冷蔵庫殴り骨折のパットンに罰金500万円 野球振興活動への参加も”. Sponichi Annex. (2019年8月13日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/08/13/kiji/20190813s00001002257000c.html 
  17. ^ “殴打のDeNAパットンは第5中手手根関節脱臼骨折”. 日刊スポーツ. (2019年8月6日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201908060000951.html 
  18. ^ “DeNA・パットン 冷蔵庫パンチで骨折から復帰も…ピンチを招いて交代”. デイリースポーツ. (2019年10月6日). https://www.daily.co.jp/baseball/2019/10/06/0012765833.shtml 
  19. ^ “2020年度 S.パットン選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ. (2019年11月18日). https://www.baystars.co.jp/news/2019/11/1118_03.php 
  20. ^ “DeNA・パットンが来日初先発 3日の巨人戦でオープナー”. SANSPO.COM. (2020年9月2日). https://www.sanspo.com/baseball/news/20200902/den20090217450002-n1.html 2020年9月3日閲覧。 
  21. ^ “ラミレス采配また不発…DeNAの奇策「先発パットン」巨人相手に大炎上 2回途中9失点KO”. 中日スポーツ. (2020年9月3日). https://www.chunichi.co.jp/article/114894 2020年9月3日閲覧。 
  22. ^ “DeNAパットン 球団史上2人目の通算100ホールド達成 7回から2番手で1回無失点”. スポーツニッポン. (2020年10月27日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/10/27/kiji/20201027s00001173438000c.html 
  23. ^ ハマの新将軍 パットン初来日 サンスポ 2017年1月24日
  24. ^ DeNAパットン元同僚ムネリンきっかけで日本行き 日刊スポーツ 2017年1月27日
  25. ^ “DeNAパットン グラブ叩きつけた リプレー検証異議で退場”. スポーツニッポン. (2018年9月14日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/14/kiji/20180914s00001173294000c.html 
  26. ^ “パットン激高!検証→死球→初の異議で退場”. 日刊スポーツ. (2018年9月14日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201809140000808.html 
  27. ^ “2018/9/14 [FRI DeNAvs 巨人(横浜)第22回戦”]. 横浜DeNAベイスターズ. (2018年9月14日). https://www.baystars.co.jp/game/result/2018091401 
  28. ^ “DeNA・パットンが帰国「来年またプレーすることを楽しみにしています」”. スポーツニッポン. (2019年10月9日). https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/09/kiji/20191009s00001173316000c.html 
  29. ^ “DeNAのパットン動画にファン驚き 流暢な日本語と箸捌きに「使い方うっま」”. FullCount. (2019年10月9日). https://full-count.jp/2020/01/25/post670746/ 
  30. ^ DeNAパットン、“不要不急”の行列に切実な訴え 「野球を見たいなら家で過ごして」 Full-Count 2020.04.19 (2020年5月26日閲覧)
  31. ^ [1]
  32. ^ FanGraphs

関連項目

外部リンク