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* 明治神宮外苑[[ゴルフ]]練習場 - 神宮外苑によるゴルフ練習場。東練習場は独立した練習場。西練習場は神宮第2球場1塁側スタンドの一部を利用して営業する。なお西練習場は原則としてアマチュア野球優先であるため、野球の試合が行われていた際は早朝営業と、アマチュア野球の試合終了後からのみの営業であった。(野球場としての使用は2019年に終了) |
* 明治神宮外苑[[ゴルフ]]練習場 - 神宮外苑によるゴルフ練習場。東練習場は独立した練習場。西練習場は神宮第2球場1塁側スタンドの一部を利用して営業する。なお西練習場は原則としてアマチュア野球優先であるため、野球の試合が行われていた際は早朝営業と、アマチュア野球の試合終了後からのみの営業であった。(野球場としての使用は2019年に終了) |
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* 明治神宮[[バッティング]]ドーム - 神宮にある全12打席(左含む)のバッティングセンター。[[山﨑康晃]]([[横浜DeNAベイスターズ]])、[[菅野智之]]([[読売ジャイアンツ]])、[[藤浪晋太郎]]([[阪神タイガース]])、[[松井裕樹]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス]])、[[小川泰弘]]([[東京ヤクルトスワローズ]])等、変更があるが活躍中の投手映像が使用されている。 |
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* [[日本青年館]] - 宿泊・会議などもできる施設。隣接。青年団による造営勤労奉仕に対して皇太子裕仁親王([[昭和天皇]])が称賛したのを受けて、青年団の寄付によって建設された。 |
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* なんじゃもんじゃの木 - 神宮外苑の一角にある[[ヒトツバタゴ]]の木の俗称。 |
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2020年10月29日 (木) 03:26時点における版
明治神宮外苑(めいじじんぐうがいえん)は、東京都新宿区霞ヶ丘町・港区北青山(一部)にある洋風庭園である。明治神宮の敷地内。通常は略して神宮外苑と呼ばれることが多い。異称として神宮の杜とも呼ばれる[1]。
概要
明治天皇・昭憲皇太后の遺徳を永く後世に伝えるべく民間有志によって造成され、明治神宮の外苑として1926年に奉献された[2]。内苑が日本風であるのに対して、外苑は西洋風であるのが特徴。広大な敷地の中に聖徳記念絵画館や明治神宮野球場(神宮球場)がある。なお国立霞ヶ丘競技場は、第二次世界大戦前は外苑競技場として外苑の施設であったが、1956年に文部省に移管され、現在は神宮外苑に含まれない。
歴史
明治45年(1912年)、明治天皇の崩御後、東京都内に明治天皇を記念する施設を建設する意見が相次いで出されたことを受け、事実上それらすべてを包括する形で、青山練兵場跡地を明治神宮の「外苑」という形で公園として整備、各種施設を置く形をとった[3]。青山練兵場は、明治天皇の大喪儀に際して葬場殿の儀が行われ、棺が安置された場所であった。
着工された大正7年(1918年)に策定された当初の開発計画では聖徳記念絵画館、葬場殿址記念物、憲法記念館、陸上競技場の4施設のみが計画されていたが、スポーツ熱の高まりを背景に1924年に計画が変更され、野球場・水泳場・相撲場が設けられることになった。明治神宮造営局主任技師の折下吉延により銀杏並木が設計された。
造営計画では、神社が置かれる内苑は国費で賄われるが、外苑については奉賛会が全国からの寄付金を取りまとめる形で資金を捻出した。これは、神宮創建のきっかけが「明治天皇を記念する施設」を求める国民の声であったことから、明治神宮は「国民の神社」であり、記念施設は国民の寄付によって賄われるべきである、という考えによるものである。寄付額(495万円)は予算をもとに全都道府県、外地、在外邦人などにそれぞれ割り当てられたが、東京都の200万円を筆頭に、全ての自治体が目標額を達成した[4]。
さらに、大正8年(1919年)に工夫賃金が上昇して予算がひっ迫すると、全国各地の青年団が勤労奉仕として造営に加わった。この時点で内苑はほぼ完成していたため主な奉仕の場所は外苑であった。これがのちに、日本青年館の設立につながってゆく[5]。
造営作業は、関東大震災による中断を経つつ大正15年(1926年)に完了、神宮への奉献式が行われた。、
戦後、銀杏並木の道路用地は東京都に移管され、競技場はアジアオリンピック開催に備えて国立競技場として文部科学省に移管・改築された。これを除けば、明治神宮外苑の全体は明治神宮が管理しており、広く国民に開放され、都心における大規模で貴重な緑とオープン・スペースになっている。特に、銀杏並木は東京を代表する並木道として知られている。
再開発計画
- 2006年 - 社団法人ランドスケープコンサルタンツ協会関東支部は、「2016東京オリンピック招致に向けたランドスケープ提言」をまとめた。神宮外苑地区においては、スポーツ施設の再配置、神宮球場再整備などを提言。NPO法人渋谷・青山景観整備機構も神宮外苑・代々木公園を再開発するとした構想を打ち出した[6]。
- 2015年4月1日 - 都は指定の容積率を使い切っていない公園や緑地も多いため、神宮外苑地区の地権者と、街づくり(再整備)の検討に向けた基本覚書を交わした。なお、近隣に建設される国立競技場は2020年夏季オリンピックのメインスタジアムに決定している[7]。
- 2018年8月23日 - 都は新国立競技場を中心とした明治神宮外苑地区の再開発について、2020年以降の街づくり指針を有識者らが協議する検討委員会(座長・下村影男東京大学教授)は、大まかな将来像を示した。秩父宮ラグビー場と神宮第2球場跡には大規模スポーツ施設、神宮球場跡には広場を設ける。具体的な整備計画は明治神宮などの地権者との協議で決める。検討委員会からは、①スポーツや人が集まる拠点、②絵画館やイチョウ並木など歴史ある風景を生かす、③都心の利点を生かしたにぎわい創出、の方向性が提示された[8]。
- 2018年11月22日 - 上記を受けて都がまちづくり指針を発表[9]。
主な施設
- 聖徳記念絵画館 - 単に絵画館とも略されることも多い。明治天皇大喪儀の際に建てられた葬場殿の跡地に、1926年竣工。中央部にドームをあしらった神宮外苑のシンボル的な建物である。内部には、明治天皇にまつわる幕末・明治期の政局を描いた絵画を中心に展示されている(入館は有料)。
- 明治記念館 - 明治神宮による結婚式場として有名。敷地内には、大日本帝国憲法の草案を作った建物も残っている。
- 明治神宮野球場 - 東京ヤクルトスワローズの本拠地であり、また全日本大学野球選手権大会の舞台となるなど大学野球の“聖地”として広く認知されている硬式野球場。同選手権のほかに早慶戦に代表される東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟のリーグ戦も開催されている。詳しくは、当該項目参照。なお、隣接して神宮第二球場もある。
- 明治神宮外苑軟式グラウンド - 絵画館の正面にある野球場。全体としては一つのグラウンドであるが、ダイヤモンドが全部で6面あり、主に草野球に使われる。6面のうち、天然芝は5面で、絵画館から向かって右奥にあるものが唯一人工芝である。これはコブシ球場と呼ばれ、東京ヤクルトスワローズの練習やキャンプにおいても使用される(神宮球場は原則学生野球優先であり、また第二球場はゴルフ練習場としても使用されることもあり、学生野球の開催日はこれらの球場で試合前練習することが事実上不可能なため)。ヤクルト球団の公式ショップも併設。
- 明治神宮外苑にこにこパーク - 山やログハウスなど緑豊かな有料児童遊園(大人200円、子供50円)。また、当遊園内には、絵画館学園による陶芸教室がある。
- 明治神宮外苑アイススケート場 - 一年中利用できる室内アイススケート場。かつては室内プールだった。
- 神宮外苑フットサルクラブ - 神宮外苑によるフットサルコート。千駄ヶ谷と信濃町の二つのコートがあったが、千駄ヶ谷は2017年7月に閉鎖され三井ガーデンホテルが建設された。
- 明治神宮外苑テニスクラブ - 神宮外苑によるテニスクラブ。1957年設立。室内と屋外の2つがある。
- 明治神宮外苑ゴルフ練習場 - 神宮外苑によるゴルフ練習場。東練習場は独立した練習場。西練習場は神宮第2球場1塁側スタンドの一部を利用して営業する。なお西練習場は原則としてアマチュア野球優先であるため、野球の試合が行われていた際は早朝営業と、アマチュア野球の試合終了後からのみの営業であった。(野球場としての使用は2019年に終了)
- 明治神宮バッティングドーム - 神宮にある全12打席(左含む)のバッティングセンター。山﨑康晃(横浜DeNAベイスターズ)、菅野智之(読売ジャイアンツ)、藤浪晋太郎(阪神タイガース)、松井裕樹(東北楽天ゴールデンイーグルス)、小川泰弘(東京ヤクルトスワローズ)等、変更があるが活躍中の投手映像が使用されている。
- 日本青年館 - 宿泊・会議などもできる施設。隣接。青年団による造営勤労奉仕に対して皇太子裕仁親王(昭和天皇)が称賛したのを受けて、青年団の寄付によって建設された。
- なんじゃもんじゃの木 - 神宮外苑の一角にあるヒトツバタゴの木の俗称。
- 御鷹の松 - 徳川家光が当地に鷹狩り来ていた最中、家光の愛鷹が当地の松の木に飛来したことに由来する。
- 御観兵榎 - 青山練兵場であった頃、当地で行われた観兵式の際の明治天皇の御座所がこの榎の木の西隣に置かれたことから、この榎の木が御観兵榎と呼ばれるようになった。1995年、台風の強風を受けて倒れ、現在[いつ?]の木は2代目である。
- 銀杏並木 - 国道246号 (青山通り)から聖徳記念絵画館に至る300mの大通り[10] に銀杏の並木道がある。例年11月中旬頃から色づき始め、11月下旬から12月初旬には一面黄金色した銀杏並木となる。この並木は外苑完成時に植えられたもので、造営の責任者は藤井真透であった。→詳細は「聖徳記念絵画館 § イチョウ並木」を参照
- 日本文化芸術研究センター - 2010年7月、老木大木など貴重な樹木が生い茂る神宮外苑内権田原交差点側の一角を伐採切り拓いて、京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が共同で設置したサテライトキャンパス[11]。
- 三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア - 2019年11月22日 開業[12] 三井ガーデンホテルの1つ。運営は三井不動産ホテルマネジメントである。
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明治神宮野球場(2016年9月10日撮影)
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軟式球場でトレーニングを行う東京ヤクルトスワローズの選手達
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「明治神宮外苑にこにこパーク」(2017年12月2日撮影)
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明治神宮外苑アイススケート場(2019年8月29日撮影)
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明治神宮外苑テニスクラブ(2018年4月7日撮影)
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明治神宮外苑ゴルフ練習場(2019年2月22日撮影)
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日本青年館(2019年10月24日撮影)
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秋の銀杏並木
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日本文化芸術研究センター(2017年12月2日撮影)
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「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」(2019年11月30日撮影)
建設中の施設
- THE COURT 神宮外苑(「外苑ハウス」建替え) - 2017年10月2日着工、2020年5月31日竣工予定
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「THE COURT 神宮外苑」建設工事状況(2020年1月11日撮影)
隣在する施設
- 国立競技場 - 2019年11月30日に完成。2020年東京オリンピック・パラリンピックの競技会場のひとつ。
- 1926年に明治神宮外苑競技場としてこの地に建設されたが、神宮外苑の帰属を定めた1956年に、競技場用地は国有地として文部省の所管に、その他用地は時価の半額で明治神宮の用地となった。1958年、外苑競技場の跡地に建設された国立霞ヶ丘競技場陸上競技場(通称:国立競技場)は、1964年東京オリンピック及び1991年の世界陸上競技選手権開催時のメイン会場として著名であるほか、国内外問わずプロサッカーの試合会場としても非常に有名である。他にテニスやトレーニング施設なども完備し、普段は国民に対するトレーニング施設として開放されている。旧国立競技場は日本陸上競技連盟第1種公認であったが、近接地に設置が義務付けられている第3種公認以上の補助トラックがないため、外苑に隣接する代々木公園の第3種公認トラック・代々木公園陸上競技場と、東京体育館付属の200mトラックを補助競技場とみなしたうえで第1種公認を受けていた。2015年に取り壊され、跡地に国立競技場(新国立競技場)が建設された。
- 秩父宮ラグビー場 - 国立霞ヶ丘競技場と同じく国営の競技施設。国際試合からジュニアまで幅広い大会が開催される日本ラグビーのメッカ。
- 明治公園 - 神宮外苑に隣接する都立公園。
- 赤坂御用地 - 外苑東通りを隔てて広がる皇族の居住区。
- 慶應義塾大学病院 - 中央本線を隔てて隣接。
- 國學院高等学校 - 神宮外苑の管轄ではないが、神道界と密接な関係にある学校法人國學院大學が設置する私立高校。
- 東京都立青山高等学校 - 神宮外苑に校地を隣接する都立高校。
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新国立競技場(2019年10月24日撮影)
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秩父宮ラグビー場(2018年1月13日撮影)
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慶應義塾大学病院(2018年4月22日撮影)
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國學院高等学校(2017年9月30日撮影)
有名な出来事
その他
- ディネ・アン・ブラン(ホワイト・ディナー (Dîner en blanc)): "真っ白な夕食"の意。全身を白い服でまとい、自分の食事から(白い)座席までを持ち寄って、フラッシュモブ的に公共の場所で突然始まるディナー。テーブルは白いテーブルクロスで整えられている。1988年、パリ16区ブローニュの森で開催され手狭になってからポンデザール、アンヴァリッド、エトワール広場、コンコルド広場、ノートルダム大聖堂前広場、ルーヴル美術館ナポレオン広場、シャイヨ宮広場、オテル・ド・ヴィル前広場など・・パリの至る公共空間で"突如"無許可開催されてきた。現在ではロンドン、ミュンヘン、モントリオール、ニューヨーク、ラスベガスからサンパウロ、メルボルン、シンガポール、上海などに至る世界各地に拡がり、東京でも2015年に聖徳記念絵画館前広場(道路)で開催されてから、毎年行なわれている[13]。
参考文献
- 『明治神宮造営誌』内務省神社局、1930年。
- 『明治神宮外苑志』明治神宮奉賛会、1937年。
- 『明治神宮五十年誌』明治神宮、1979年。
- 越澤明『東京都市計画物語』ちくま学芸文庫、2001年。ISBN 4-480-08618-8
- 越澤明『後藤新平 - 大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年。ISBN 978-4-480-06639-8
- 「明治神宮鎮座90周年連続セミナー 明治神宮の創建に尽くした人々 プロフェショナルたちの群像」『神園』第4号、99-123頁、明治神宮国際神道文化研究所、2010年11月。ISSN 1883-2725
- Akira Koshizawa, Green Space Urban Planning Professional:Yoshinobu Orishimo and the Rows of Gingko Trees in the Outer Precinct, "KAMIZONO" Journal of Meiji Jingu Research Institute, No.4, pp127–130, November 2010. ISSN 1883-2725
- 山口輝臣『明治神宮の出現』 185巻、吉川弘文館、東京都文京区〈歴史文化ライブラリー〉、2005年2月1日。ISBN 4-642-05585-1。
脚注
- ^ 渋谷区コミュニティバスハチ公バス"神宮の杜ルート"など。
- ^ 山口 智 (2004年6月). “明治神宮の森” (PDF). 一般財団法人民間都市開発推進機構. 2017年11月11日閲覧。
- ^ 山口, pp. 74, 86–88.
- ^ 山口, pp. 180–187.
- ^ 山口, pp. 190–193.
- ^ 【東京】東京五輪で外苑、臨海をメーン会場に想定(2/7) 建設新聞社 2006年2月7日
- ^ 【東京・神宮外苑】動きだす再整備、スポーツ施設を連鎖建替 日刊建設工業新聞ブログ 2015年4月30日
- ^ 『神宮外苑 都が将来像』「再開発、休場跡に広場」朝日新聞 東京、27P、2018年8月24日、2018年8月24日閲覧
- ^ 「神宮外苑 再開発始動へ/都、まちづくり指針」『日本経済新聞』朝刊2018年11月23日(東京面)2018年12月20日閲覧。
- ^ 東京都道414号の一部。
- ^ 外苑キャンパス 京都造形芸術大学HP
- ^ 『膨張続ける神宮外苑再開発利権 明治神宮と三井不がホテル計画』週刊エコノミスト、池上正樹・ジャーナリスト、2017年2月7日、2018年8月22日閲覧
- ^ ディネ・アン・ブラン 東京