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1960年にプロに転向<ref name="LPGA Bio">{{Cite web|url=https://www.lpga.com/players/carol-mann/81305/bio|title=Carol Mann - Bio|work=LPGA|accessdate=2020-09-11}}</ref>、1961年からLPGAツアーに参戦。1964年、当時の[[メジャー選手権]]であった[[女子ウェスタンオープン]]で初優勝を飾った<ref name="NYT">{{Cite web|last=Sandomir|first=Richard|url=https://www.nytimes.com/2018/05/22/obituaries/carol-mann-golf-star-and-executive-is-dead-at-77.html|title=Carol Mann, Golf Star and L.P.G.A. Leader, Is Dead at 77|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]|date=2018-05-22|accessdate=2020-09-11}}</ref>。その後も勝利を重ね、LPGAツアーでメジャー2勝を含む通算38勝を挙げた<ref name="Liveabout"/><ref name="NYT"/>。1968年には最少平均ストローク数を達成した選手に与えられるLPGAベアトロフィーを獲得し<ref name="Hall of Fame">{{Cite web|url=http://www.worldgolfhalloffame.org/carol-mann/|title=Carol Mann|work=World Golf Hall of Fame.org|accessdate=2020-09-11}}</ref>、1969年にはLPGA賞金女王に輝いた<ref name="Hall of Fame Achievements">{{Cite web|url=http://www.worldgolfhalloffame.org/carol-mann/?tab=achievements|title=Carol Mann Achievements|accessdate=2020-09-11}}</ref>。1968年に10勝([[キャシー・ウィットワース]]とタイ)、1969年に8勝、1975年は4勝([[サンドラ・ヘイニー]]とタイ)と、3度に亘りシーズン最多勝利を手にした。1973年から1976年まで、LPGAの会長を務めた<ref name="Hall of Fame Achievements" />。1977年、[[世界ゴルフ殿堂]]入り<ref name="Hall of Fame"/>。最後のツアーフル参戦のシーズンは1981年であった<ref name="LPGA Bio"/>。 |
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マンはゴルフ・インストラクター、{{仮リンク|マニュエル・デ・ラ・トーレ|en|Manuel de la Torre (golfer)}}の長きに亘る教え子であった<ref>{{Cite web|last=Denney|first=Bob|url=https://www.pga.com/archive/news/pga/manuel-de-la-torre-first-pga-teacher-year-passes-age-94|title=Manuel de la Torre, the First PGA Teacher of the Year, passes at age 94|work=[[全米プロゴルフ協会|PGA]]|date=2016-04-25|accessdate=2020-09-11}}</ref>。2008年、[[全米プロゴルフ協会|PGA]]から「ファーストレディー・オブ・ゴルフアワード」を受賞<ref name="pga"/>。 |
2020年9月29日 (火) 00:04時点における版
Carol Mann | |
---|---|
1968年 | |
基本情報 | |
名前 | キャロル・マン |
生年月日 |
1941年2月3日 アメリカ合衆国ニューヨーク州バッファロー |
没年月日 |
2018年5月20日(77歳没) アメリカ合衆国テキサス州ザ・ウッドランズ |
身長 | 191センチメートル (6.27 ft) |
経歴 | |
大学 | ノースカロライナ大学グリーンズボロ校 |
プロ転向 | 1960年 |
引退 | 1981年 |
以前のツアー | LPGAツアー(1961-81年) |
プロ勝利数 | 38勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 38勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 (優勝: 2勝) | |
女子ウェスタン | 優勝: 1964年 |
タイトルホルダーズ | 5位タイ: 1965年 |
全米女子プロ | 2位タイ: 1969年 |
全米女子OP | 優勝: 1965年 |
デュモーリエ | 26位タイ: 1979年 |
受賞 | |
世界ゴルフ殿堂 | 1977年 (member page) |
ベアトロフィー | 1968年 |
LPGA賞金女王 | 1969年 |
ベーブ・ザハリアス ・アワード | 1976年 |
PGAファースト レディー・オブ・ ゴルフアワード[1] | 2008年 |
キャロル・マン(Carol Mann、1941年2月3日 - 2018年5月20日)は、アメリカ合衆国の女子プロゴルファー。1961年からLPGAツアーに参戦、メジャー2勝を含む通算38勝を挙げた[2]。世界ゴルフ殿堂のメンバーである。身長191cmは当時としては最も長身の女子選手であった[2]。
アマチュア時代
ニューヨーク州バッファローで生まれ、メリーランド州ボルチモアとイリノイ州シカゴで育った[3]。9歳からゴルフを始める[2]。1958年にウエスタン・ジュニアとシカゴ・ジュニア、1960年にシカゴ女子アマチュアに勝利した[3]。ノースカロライナ大学グリーンズボロ校に学ぶ[2]。
プロ転向後
1960年にプロに転向[4]、1961年からLPGAツアーに参戦。1964年、当時のメジャー選手権であった女子ウェスタンオープンで初優勝を飾った[5]。その後も勝利を重ね、LPGAツアーでメジャー2勝を含む通算38勝を挙げた[2][5]。1968年には最少平均ストローク数を達成した選手に与えられるLPGAベアトロフィーを獲得し[6]、1969年にはLPGA賞金女王に輝いた[7]。1968年に10勝(キャシー・ウィットワースとタイ)、1969年に8勝、1975年は4勝(サンドラ・ヘイニーとタイ)と、3度に亘りシーズン最多勝利を手にした。1973年から1976年まで、LPGAの会長を務めた[7]。1977年、世界ゴルフ殿堂入り[6]。最後のツアーフル参戦のシーズンは1981年であった[4]。
マンはゴルフ・インストラクター、マニュエル・デ・ラ・トーレの長きに亘る教え子であった[8]。2008年、PGAから「ファーストレディー・オブ・ゴルフアワード」を受賞[1]。
2018年5月20日、テキサス州ザ・ウッドランズの自宅にて77歳で死去[5][9]。
プロ戦績
LPGAツアー (38勝)
凡例 |
LPGAツアー メジャー選手権 (2勝) |
その他のLPGAツアー (36勝) |
No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1964年3月22日 | 女子ウェスタンオープン | +8 (83-75-76-74=308) | 2打差 | ジュディ・キンボール ルース・ジェッセン |
2 | 1965年6月27日 | レディ・カーリング・オープン | +1 (71-69-71=211) | 3打差 | マリーン・ヘギー |
3 | 1965年7月4日 | 全米女子オープン | +2 (78-70-70-72=290) | 2打差 | キャシー・コーネリアス |
4 | 1966年4月17日 | ローリー・レディース・インビテーショナル | E (72-70-74=216) | 1打差 | ジョー・アン・プレンティス キャシー・ウィットワース |
5 | 1966年4月24日 | ピーチ・ブロッサム・インビテーショナル | E (72-73-71=216) | 1打差 | マリーン・ヘギー |
6 | 1966年5月29日 | バトンルージュ・レディース・インビテーショナル | −7 (67-71-71=209) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
7 | 1966年6月26日 | ウォータールー女子オープン・インビテーショナル | −2 (71-70-73=214) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
8 | 1967年5月7日 | トールシティ・オープン | −2 (73-70-71=214) | 2打差 | ミッキー・ライト |
9 | 1967年6月25日 | バックアイ・セービング・インビテーショナル | −9 (70-68-69=207) | 4打差 | クリフォード・アン・クリード |
10 | 1967年7月22日 | スーパーテスト・レディース・オープン | −6 (70-69-71=210) | 2打差 | マージー・マスターズ |
11 | 1968年4月21日 | レディ・カーリング・オープン | −16 (66-66-68=200) | 10打差 | キャシー・ウィットワース |
12 | 1968年4月28日 | ローリー・レディース・インビテーショナル | −2 (71-71-72=214) | 3打差 | キャシー・ウィットワース |
13 | 1968年5月5日 | シュリーブポート・キワニスクラブ・インビテーショナル | +1 (69-75-73=217) | 1打差 | キャシー・ウィットワース |
14 | 1968年6月9日 | ブルーグラス・レディース・インビテーショナル | −6 (71-70-69=210) | 4打差 | サンドラ・ヘイニー |
15 | 1968年7月14日 | パブスト・レディース・クラシック | −10 (71-70-65=206) | 3打差 | キャシー・ウィットワース |
16 | 1968年7月21日 | バックアイ・セービング・インビテーショナル | −7 (71-66-72=209) | 1打差 | マリリン・スミス |
17 | 1968年7月27日 | スーパーテスト・カナディアン・オープン | −6 (69-73-71=213) | 3打差 | ジュディ・キンボール |
18 | 1968年9月1日 | ウィローパーク・レディース・インビテーショナル | −8 (68-68-69=205) | 9打差 | パム・バーネット シャーリー・エングルホーン ベス・ストーン キャシー・ウィットワース |
19 | 1968年9月15日 | シャーリー・エングルホーン・インビテーショナル | −5 (70-69-69=208) | 5打差 | グロリア・エーレット |
20 | 1968年10月20日 | クオリティ・チェックド・クラシック | −4 (69-74-69=212) | 2打差 | ジュディ・ランキン |
21 | 1969年4月27日 | ローリー・レディース・インビテーショナル | −4 (76-68-68=212) | 1打差 | グロリア・エーレット |
22 | 1969年5月11日 | ダラス・シヴィタン・オープン | −4 (68-71-70=209) | 2打差 | ドナ・カポニ |
23 | 1969年7月20日 | ダンベリー・レディー・カーリング・オープン | −1 (71-72-72=215) | 2打差 | シャロン・ミラー キャシー・ウィットワース |
24 | 1969年8月17日 | サウスゲート・レディース・オープン | +1 (70-72-75=217) | 1打差 | ジャン・フェラーリス |
25 | 1969年8月24日 | トーナメント・オブ・チャンピオンズ | −3 (76-68-72=216) | プレーオフ | ジャン・フェラーリス |
26 | 1969年9月7日 | モルソンズ・カナディアン・オープン | −7 (70-70-72=212) | 3打差 | サンドラ・ポスト キャシー・ウィットワース |
27 | 1969年10月5日 | ミッキー・ライト・インビテーショナル | −7 (69-70-73=212) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
28 | 1969年10月26日 | コーパス・クリスティ・シヴィタン・オープン | +2 (74-70-68=212) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
29 | 1970年2月15日 | バーディンズ・インビテーショナル | E (71-70-75=216) | プレーオフ | サンドラ・ヘイニー |
30 | 1972年3月19日] | オレンジブロッサム・クラシック | −3 (73-72-68=213) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
31 | 19726月4日 | レディ・カーリング・オープン | −9 (69-74-67=210) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
32 | 1973年3月25日 | シアーズ女子クラシック | −5 (68) | 2打差 | ジョイス・カズミエルスキー |
33 | 1974年2月17日 | ネイプルズ・ルリー・クラシック | −7 (70-70-69=209) | 6打差 | ミュール・ブレア |
34 | 1974年3月10日 | S&Hグリーンスタンプ・クラシック | E (76-74-69=219) | 2打差 | キャシー・ウィットワース |
35 | 1975年6月15日 | ローソンLPGAクラシック | +1 (71-72-74=217) | 2打差 | ジュディ・ランキン |
36 | 1975年7月14日 | ボーデン・クラシック | −7 (66-70-73=209) | 1打差 | ジャン・フェラーリス |
37 | 1975年7月27日 | ジョージ・ワシントン・レディース・クラシック | −13 (68-66-72=206) | 4打差 | スージー・マカリスター |
38 | 1975年9月7日 | ダラス・シヴィタン・オープン | −8 (67-70-71=2068) | 5打差 | サンドラ・パーマー |
LPGAツアー プレーオフの記録 (3勝2敗)
No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1 | 1965年 | ベーブ・ザハリアス・オープン | クリフォード・アン・クリード マリーン・ヘギー |
ヘギーが3ホール目バーディ―で勝利 マンは2ホール目で脱落 |
2 | 1969年 | トーナメント・オブ・チャンピオンズ | ジャン・フェラーリス | 1ホール目パーで勝利 |
3 | 1969年 | コーパス・クリスティ・シヴィタン・オープン | キャシー・ウィットワース | 3ホール目パーで勝利 |
4 | 1970年 | バーディンズ・インビテーショナル | サンドラ・ヘイニー | 1ホール目パーで勝利 |
5 | 1975年 | ピーター・ジャクソン・クラシック | ジョアン・カーナー | 2ホール目相手のバーディーにより敗退 |
メジャー選手権
勝利 (2勝)
年 | 選手権 | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
---|---|---|---|---|
1964年 | 女子ウェスタンオープン | +8 (83-75-76-74=308) | 2打差 | ルース・ジェッセン、 ジュディ・キンボール |
1965年 | 全米女子オープン | +2 (78-70-70-72=290) | 2打差 | キャシー・コーネリアス |
脚注
- ^ a b “Mann selected as recipient of 2008 PGA First Lady of Golf Award”. PGA. 2008年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月11日閲覧。
- ^ a b c d e Kelley, Brent. “Carol Mann: Profile”. LiveAbout.com. 2020年9月11日閲覧。
- ^ a b “Carol Mann, LPGA Hall of Famer who grew up in Chicago, dies at 77”. Chicago Tribune (2018年5月21日). 2020年9月11日閲覧。
- ^ a b “Carol Mann - Bio”. LPGA. 2020年9月11日閲覧。
- ^ a b c Sandomir, Richard (2018年5月22日). “Carol Mann, Golf Star and L.P.G.A. Leader, Is Dead at 77”. The New York Times. 2020年9月11日閲覧。
- ^ a b “Carol Mann”. World Golf Hall of Fame.org. 2020年9月11日閲覧。
- ^ a b “Carol Mann Achievements”. 2020年9月11日閲覧。
- ^ Denney, Bob (2016年4月25日). “Manuel de la Torre, the First PGA Teacher of the Year, passes at age 94”. PGA. 2020年9月11日閲覧。
- ^ “Carol Mann Passes Away At Age 77”. LPGA (2018年5月21日). 2020年9月11日閲覧。
外部リンク
- キャロル・マン - 全米女子プロゴルフ協会のプロフィール