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===作陶30年記念の後 作陶50年記念まで<ref>『作陶50年記念 加藤孝造陶展』(2008年6月10日~2008年6月16日)日本橋三越本店本館6階美術特選画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)</ref> ===
===作陶30年記念の後 作陶50年記念まで<ref>『作陶50年記念 加藤孝造陶展』(2008年6月10日~2008年6月16日)日本橋三越本店本館6階美術特選画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)</ref> ===
[[1990年]]大阪IMPビル・ロビーに陶壁「展」を、天皇即位の礼を祝って岐阜県より献上の志野扁壺を制作する。'''美濃陶芸協会会長'''になり、岐阜県文化懇話会員に就任する。[[1991年]]現代陶芸の美展(セゾン美術館)に招待出品し、多治見市無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者となる。 [[1992年]] [[岐阜市]]葬祭殿ロビーに陶壁「夢」を、多治見市産業文化センター5階ホールに陶壁「清輝」を制作する。[[1994年]]東海テレビ文化賞を受賞し、多治見市役所ロビーに陶壁「濤」を制作する。[[1995年]]瑞浪小学校ロビーに陶壁「風魂」を制作し、'''岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者'''となる。[[1996年]現代日本の陶芸秀作―アジア巡回展に出品する。[[1997年]]社団法人'''美濃陶芸協会名誉会長'''に就任する。[[1998年]] '''中日文化賞'''を受賞し、'''岐阜県芸術文化顕彰'''を受ける。[[1999年]]陶房に古民家を移築し、「風塾」を創設する。[[2002年]]日本陶芸展(毎日新聞改組)に招待(以後隔年)される。'''国際陶磁器フェスティバル・美濃02(陶芸部門)審査員'''を務める。東京国立近代美術館「昭和の桃山復興展」において豊蔵陶芸についてギャラリートークを行い、丸沼芸術の森にて幽玄の世界「瀬戸黒孝造展」を開催する。[[2003年]]第4回織部賞を受賞し、日本伝統工芸展50周年記念「わざの美」展に出品する。岐阜県文化財保護審議会委員および岐阜県現代陶芸美術館協議会会長に就任する。[[2005年]]岐阜県陶磁資料館顧問に就任し、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受ける。[[2007年]] '''紺綬褒章'''を受章し、ロンドン大英博物館主催の日本伝統工芸展50年記念「わざの美」展に出品する。[[2008年]]日本橋三越本店にて、'''作陶50年記念「加藤孝造陶展」'''を開催する。
[[1990年]]大阪IMPビル・ロビーに陶壁「展」を、天皇即位の礼を祝って岐阜県より献上の志野扁壺を制作する。'''美濃陶芸協会会長'''になり、岐阜県文化懇話会員に就任する。[[1991年]]現代陶芸の美展(セゾン美術館)に招待出品し、多治見市無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者となる。 [[1992年]] [[岐阜市]]葬祭殿ロビーに陶壁「夢」を、多治見市産業文化センター5階ホールに陶壁「清輝」を制作する。[[1994年]]東海テレビ文化賞を受賞し、多治見市役所ロビーに陶壁「濤」を制作する。[[1995年]]瑞浪小学校ロビーに陶壁「風魂」を制作し、'''岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者'''となる。[[1996年]]現代日本の陶芸秀作―アジア巡回展に出品する。[[1997年]]社団法人'''美濃陶芸協会名誉会長'''に就任する。[[1998年]] '''中日文化賞'''を受賞し、'''岐阜県芸術文化顕彰'''を受ける。[[1999年]]陶房に古民家を移築し、「風塾」を創設する。[[2002年]]日本陶芸展(毎日新聞改組)に招待(以後隔年)される。'''国際陶磁器フェスティバル・美濃02(陶芸部門)審査員'''を務める。東京国立近代美術館「昭和の桃山復興展」において豊蔵陶芸についてギャラリートークを行い、丸沼芸術の森にて幽玄の世界「瀬戸黒孝造展」を開催する。[[2003年]]第4回織部賞を受賞し、日本伝統工芸展50周年記念「わざの美」展に出品する。岐阜県文化財保護審議会委員および岐阜県現代陶芸美術館協議会会長に就任する。[[2005年]]岐阜県陶磁資料館顧問に就任し、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受ける。[[2007年]] '''紺綬褒章'''を受章し、ロンドン大英博物館主催の日本伝統工芸展50年記念「わざの美」展に出品する。[[2008年]]日本橋三越本店にて、'''作陶50年記念「加藤孝造陶展」'''を開催する。
===作陶50年以降<ref>多治見市役所 企画部 企画防災課企画・編集・発行『市勢要覧 多治見市制80周年』2020、24頁</ref> ===
===作陶50年以降<ref>多治見市役所 企画部 企画防災課企画・編集・発行『市勢要覧 多治見市制80周年』2020、24頁</ref> ===
[[2009年]] '''日本陶芸協会賞金賞'''を受賞する。
[[2009年]] '''日本陶芸協会賞金賞'''を受賞する。

2020年9月29日 (火) 00:02時点における版

加藤孝造(かとう こうぞう1935年3月12日-)は、日本の陶芸家、「瀬戸黒」人間国宝岐阜県 瑞浪市 河戸町生まれ。多治見市名誉市民。

陶歴

岐阜県陶磁器試験場時代[1]

瑞浪中学校を卒業後、多治見工業高等学校図案科に。ほどなく全国最年少の18歳で日展洋画部に入選し、「天才」と騒がれる。高校卒業後、多治見市の岐阜県陶磁器試験場(後に 岐阜県セラミックス研究所)に研究生として入所。当時の試験場長は陶芸家の加藤幸兵衛(五代)。試験場に工芸科ができると、工芸の研究を始める。洋画を続けながら試験場勤務を続けていたが、25歳ころに完全に陶芸一筋の道に入る。その決断の契機となったのが、人間国宝 荒川豊蔵作の志野茶碗との出会いであった。17年間の試験場勤務中、実作活動をするだけでなく、主任技師として玉置保夫、酒井博司らを指導している。

その間、1962年 朝日新聞社 主催・現代陶芸展課題作部にて三席入賞、日本伝統工芸展にて「志野日帯紋壺」初入選、以後同展に出品し、1966年には同工芸会正会員になっている。1967年 朝日陶芸展にて「鉄釉壺」優秀賞を受賞し、同展評議員になり、1968年 日本伝統工芸展にて「鉄釉花器」優秀賞(朝日賞)受賞し、1969年には第1回東海伝統工芸展最高賞(第一席)を受賞した。

独立以後 作陶30年記念まで[2]

1970年には、岐阜県陶磁器試験場を退職して独立する。多治見市の陶房で陶芸作家としての道を歩み始め、荒川豊蔵に師事する。翌年穴窯を築く。また毎日新聞主催・日本陶芸展に推薦招待出品をし、朝日陶芸展審査員となる。1972年 日本橋 三越本店において個展を開く。同店における個展は以後1988年まで隔年ごとに計9回開催される(1988年の個展は「作陶30年記念展」)。その間、1973年 可児市に穴窯と登窯二基を築き、1975年には中日国際陶芸展評議員となっている。 1983年 創設された加藤幸兵衛賞の第1回受賞者、さらに東海伝統工芸展監査員となる。1985年日本陶磁協会賞と岐阜日々新聞社賞教育文化賞を受賞した。1986年中日国際陶芸展審査員となる。大阪ツイン21(超高層ビル)“ナショナルタワー”と“MIDタワー”メインロビーに志野陶壁“漠煌平” 織部陶壁“海潮音” を制作する。「その余りにも気宇壮大な偉容と圧巻の大陶壁に、前東大寺管長清水公照老師が“陶巖壁”と命名され」た。この大作につづく作品陶巖壁13面が、翌年松坂屋本店において「大自然の讃歌――太陽と水と緑 孝造志野・織部陶巖壁展」として展示された[3]。なお、1986年には東濃信用金庫本店ロビーでの志野陶壁「みのり」の制作をも行っている。

作陶30年記念の後 作陶50年記念まで[4]

1990年大阪IMPビル・ロビーに陶壁「展」を、天皇即位の礼を祝って岐阜県より献上の志野扁壺を制作する。美濃陶芸協会会長になり、岐阜県文化懇話会員に就任する。1991年現代陶芸の美展(セゾン美術館)に招待出品し、多治見市無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者となる。 1992年 岐阜市葬祭殿ロビーに陶壁「夢」を、多治見市産業文化センター5階ホールに陶壁「清輝」を制作する。1994年東海テレビ文化賞を受賞し、多治見市役所ロビーに陶壁「濤」を制作する。1995年瑞浪小学校ロビーに陶壁「風魂」を制作し、岐阜県重要無形文化財「志野・瀬戸黒」認定保持者となる。1996年現代日本の陶芸秀作―アジア巡回展に出品する。1997年社団法人美濃陶芸協会名誉会長に就任する。1998年 中日文化賞を受賞し、岐阜県芸術文化顕彰を受ける。1999年陶房に古民家を移築し、「風塾」を創設する。2002年日本陶芸展(毎日新聞改組)に招待(以後隔年)される。国際陶磁器フェスティバル・美濃02(陶芸部門)審査員を務める。東京国立近代美術館「昭和の桃山復興展」において豊蔵陶芸についてギャラリートークを行い、丸沼芸術の森にて幽玄の世界「瀬戸黒孝造展」を開催する。2003年第4回織部賞を受賞し、日本伝統工芸展50周年記念「わざの美」展に出品する。岐阜県文化財保護審議会委員および岐阜県現代陶芸美術館協議会会長に就任する。2005年岐阜県陶磁資料館顧問に就任し、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受ける。2007年 紺綬褒章を受章し、ロンドン大英博物館主催の日本伝統工芸展50年記念「わざの美」展に出品する。2008年日本橋三越本店にて、作陶50年記念「加藤孝造陶展」を開催する。

作陶50年以降[5]

2009年 日本陶芸協会賞金賞を受賞する。 2010年 「瀬戸黒」 重要無形文化財保持者 (人間国宝)に認定される。 2012年旭日小綬章受章。 2013年多治見市名誉市民に推挙される。

作品の収蔵場所は、国立近代美術館ニューヨーク・クラフト美術館、岐阜県美術館宮内庁赤坂迎賓館岐阜県現代陶芸美術館、その他である[6]

多治見市図書館には、多数の加藤孝造作陶展カタログや加藤が収集した貴重な図録からなる「加藤孝造コレクション」が配架されている。

また、多治見駅構内には、 鈴木藏の作品とともに加藤孝造の作品が展示されている。 多治見駅 前の「クリスタルプラザ」ビル玄関の壁には加藤孝造の作品が飾られている。

なお、ドイツ学術交流会東京事務所長等を務め、ボン独日協会長等を歴任、その傍ら良枝夫人とともに陶芸家として独日両国で個展を開き活躍していたドイツ人、ディールク・シュトゥッケンシミット(Dierk Stuckenschmidt; 1939-2020)は、尊敬する師として加藤孝造の陶房を数度訪れている[7]

参考文献

  • 黒田領治『現代陶藝圖鑑 第五集』光芸出版 1970、96-97頁。
  • 中日新聞本社編『岐阜人物地図 4』中日新聞本社 1974、162-167頁。
  • 『大自然の讃歌――太陽と水と緑 孝造志野・織部陶巖壁展』(1987年1月22日~1987年1月28日)松坂屋本店8階美術画廊(カタログ)松坂屋本店(名古屋)美術部企画・発行1987
  • 『作陶30年記念 加藤孝造作陶展』(1988年5月31日~1988年6月5日)日本橋三越本店6階画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)
  • 多治見市制50周年記念要覧編集委員会編『多治見市制50周年記念要覧 多治見ふるさと図鑑』多治見市 1990年8月
  • 『加藤孝造 瀬戸黒茶碗 2002年(鑑賞カード34)岐阜県現代陶芸美術館 (出版年月日記載なし)
  • 『作陶50年記念 加藤孝造陶展』(2008年6月10日~2008年6月16日)日本橋三越本店本館6階美術特選画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)
  • 『加藤孝造展2009年8月1日~2010年3月28日』岐阜県現代陶芸美術館 (カタログ) 2009
  • 『炎(ほのお)芸術』99号 阿部出版 2009年秋、62-69頁 「アトリエ・インタヴュー:加藤孝造」(松山龍雄)
  • 多治見市制50周年記念要覧編集委員会編『多治見市制50周年記念要覧 多治見ふるさと図鑑』多治見市 1990年8月
  • 多治見市役所 企画部 企画防災課企画・編集・発行『市勢要覧 多治見市制80周年』2020
  • サライ特別編集『悠游東海』(OKB 大垣共立銀行 スマイル俱楽部会員誌)2020年号、OKB 大垣共立銀行スマイル俱楽部事務局、2020年9月25日、30-31頁。

脚注

  1. ^ 中日新聞本社編『岐阜人物地図 4』中日新聞本社 1974、162-167頁。- 黒田領治『現代陶藝圖鑑 第五集』光芸出版 1970、96-97頁。-『作陶30年記念 加藤孝造作陶展』(1988年5月31日~1988年6月5日)日本橋三越本店6階画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)「陶歴」。
  2. ^ 『作陶30年記念 加藤孝造作陶展』(1988年5月31日~1988年6月5日)日本橋三越本店6階画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)「陶歴」。
  3. ^ 『大自然の讃歌――太陽と水と緑 孝造志野・織部陶巖壁展』(1987年1月22日~1987年1月28日)松坂屋本店8階美術画廊(カタログ)松坂屋本店(名古屋)美術部企画・発行1987。
  4. ^ 『作陶50年記念 加藤孝造陶展』(2008年6月10日~2008年6月16日)日本橋三越本店本館6階美術特選画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)
  5. ^ 多治見市役所 企画部 企画防災課企画・編集・発行『市勢要覧 多治見市制80周年』2020、24頁
  6. ^ 『作陶50年記念 加藤孝造陶展』(2008年6月10日~2008年6月16日)日本橋三越本店本館6階美術特選画廊 (カタログ)三越発行 (出版年月日記載なし)「加藤孝造 陶歴」
  7. ^ Dierk Stuckenschmidt, Als Brückenbauer hatte ich oft die herrlichsten Ausblicke. Rostinger Hof-Verlag, Germany 2003 (ISBN 3-8330-0211-5; Herstellung: Books on Demand GmbH 2003) Untertitel: Mein Leben in Deutschland, Frankreich und England, in den USA und Japan, und schließlich im neuen Europa. Erinnerungen – zugleich eine Hommage an den DAAD, S.188 und 371. - Dierk Stuckenschmidt / Yoshie Stuckenschmidt-Hara, Keramik als Sprache . Herstellung BoD – Books on Demand, Norderstedt. Prudukt des „Rostinger Hof-Verlags“, erstellt in Königswinter-Rostingen, Germany 2014. S.9.- Dierk Stuckenschmidt, Abschied von unseren Freunden. Herstellung BoD – Books on Demand, Norderstedt. Prudukt des „Rostinger Hof-Verlags“, erstellt in Königswinter-Rostingen, Germany zwischen August 2018 und August 2019. S.89.

国立国会図書館所蔵資料

  • 加藤孝造編 『加藤孝造展 : 2009-2010』 (会期・会場: 2009年8月1日-2010年3月28日 岐阜県現代陶芸美術館ギャラリー2) 加藤孝造, 2009
  • 加藤孝造 『人間国宝加藤孝造陶・画の世界 : 特別展』 瑞浪市陶磁資料館, 2017.9
  • 加藤孝造 『人間国宝加藤孝造寄贈作品集』 可児郷土歴史館編. 可児郷土歴史館, 2019.7
  • 加藤孝造 『人間国宝加藤孝造 : 村田允コレクション展 : 特別展』 瑞浪市陶磁資料館, 2018.10
  • 加藤孝造 『人間国宝加藤孝造展 = Kato Kozo exhibition : 作品寄贈記念特別展』瑞浪市陶磁資料館, 2016.10
  • 杉浦澄子 「加藤孝造展」日本陶磁協会編 『陶説』 (通号 448) 1990.07, pp. 74~76
  • 榎本徹 「加藤孝造試論」日本陶磁協会編 『陶説』 (通号 677) 2009.8, pp.18~21
  • 久保庭啓一郎「美濃・平柴谷の老子、加藤孝造さんのこと」日本陶磁協会編 『陶説』 (通号 677) 2009.8, pp.15~17
  • 「二〇〇八年度日本陶磁協会賞・金賞贈賞式--小池頌子・加藤孝造展」 日本陶磁協会 編 『陶説』 (通号 680) 2009.11, pp.96~98
  • 『岐阜県陶磁器試験場の100年展 : 人間国宝加藤土師萌・加藤孝造を輩出した試験研究機関のあゆみ : 図録』 岐阜県セラミックス研究所編. 岐阜県セラミクッス研究所, 2011.12
  • 加藤孝造, 鯉江良二, 榎本徹他「日本陶磁協会岐阜県支部トークセッション」 日本陶磁協会編 『陶説』 (通号 598) 2003.1, pp.69~83
  • 杉浦澄子 「加藤孝造展」 日本陶磁協会編 『陶説』 (448) 1990-07, pp. 74~76
  • 「加藤孝造」 日本陶磁協会編 『陶説』 (393) 1985-12
  • 「加藤孝造」 『美術の窓 = The window of arts 16』 (11)(173) 生活の友社, 1997, pp. 178~179

記録映画 「瀬戸黒加藤孝造のわざ Setoguro the art of Kato Kozo : 平成二十五年度工芸技術記録映画」映像資料 文化庁 企画, 村山正実 脚本, 加藤孝造 [出演]. 桜映画社, 2014

外部リンク