「射水市新湊博物館」の版間の差分
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* [[射水市コミュニティバス]](きときとバス) |
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** 新湊・本江線「新湊博物館前」バス停下車([[万葉線]] [[中新湊駅]] または [[富山県営渡船]] 堀岡発着場 より乗車) |
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== 脚注 == |
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2020年9月27日 (日) 09:14時点における版
射水市新湊博物館 IMIZU CITY SHINMINATO MUSEUM | |
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施設情報 | |
前身 | 新湊市博物館 |
専門分野 | 射水市の歴史・民俗文化・陶芸品 |
事業主体 | 射水市 |
管理運営 | 射水市 |
建物設計 | 内井昭蔵(内井昭蔵建築設計事務所) |
延床面積 | 1,980.26m2 |
開館 | 1998年(平成10年) |
所在地 |
〒934-0049 富山県射水市鏡宮299番地 |
位置 | 北緯36度45分8.9秒 東経137度5分4.8秒 / 北緯36.752472度 東経137.084667度座標: 北緯36度45分8.9秒 東経137度5分4.8秒 / 北緯36.752472度 東経137.084667度 |
外部リンク | https://www.city.imizu.toyama.jp/museum/ |
プロジェクト:GLAM |
射水市新湊博物館(いみずししんみなとはくぶつかん、Imizu City Shinminato Museum)は、富山県射水市鏡宮(かがのみや)にある公立博物館。日本博物館協会、全国歴史民俗系博物館協議会、富山県博物館協会会員。
概要
国道8号と国道472号が立体交差する、鏡宮交差点にある道の駅カモンパーク新湊北側の敷地内7,079.41m2に、1998年(平成10年)「新湊市博物館」として開館。建築面積 2,063.54m2、延床面積 1,980.26m2、鉄筋コンクリート造り1階建ての建物である。その後2005年(平成17年)11月1日に、新湊市が周辺町村と合併し射水市となったため、名称も射水市新湊博物館へ改称した。
博物館では、中世港湾都市である放生津に置かれた越中守護所「放生津城」出土品や北前船関係資料の展示。和算家・測量家「石黒信由関係資料(重要文化財)」の展示。また、人間国宝(各個認定の重要無形文化財保持者)の最初の認定者の一人である陶芸家石黒宗麿の作品や、美術品も数多く所蔵している。
主な収蔵品
- 海、湖沼に囲まれ、水郷地帯であった新湊周辺の歴史・民俗史料
- 高樹(こうじゅ)文庫 – 石黒信由以降4代がまとめた和算、測量術に関する資料約12,200点(寄託品)
- 石黒宗麿の陶芸作品 – 「釉彩干柿文壺」など418点
- 岩橋善兵衛の望遠鏡 – 1808年(文化5年)作。最長2m95cm(縮めた状態で84cm)で、これまで発見された一門の作18例の中で最長である。
- 新湊地区放生津の元木材商の子孫が、2016年(平成28年)5月に寄贈したもので、木製の接眼部と、紙と木を張り合わせた5つの筒6点で構成された望遠鏡外部の彫り込みには、一門の特長である金泥を用いた精緻(せいち)な車形模様が、望遠鏡内部には岩橋の銘と1808年(文化5年)正月吉日の墨書きがある。また内部のレンズは4枚で、これまで発見されているものと違い、光の乱反射を防ぐ目的と思われる筒内部が黒く塗られている。しかしレンズ等が損傷しており使用できない状態である。なお2番目に長いものは2m34cmで、伊能忠敬が使用していたものである[3]。また同氏の小型の望遠鏡(高樹文庫の一点として富山県指定有形文化財)も収蔵している。
- 川合玉堂 – 「山村春麗」など。
- 富山県出身の郷倉千靭・郷倉和子親子の作品。
- 放生津八幡宮築山神事(富山県無形民俗文化財指定)の神面 5面(寄託品)
- 放生津曳山祭の神輿、獅子頭(寄託品)
など
文化財
重要文化財(国指定)
- 石黒信由関係資料(寄託品)
- 江戸時代後期の和算家・測量家で、越中国射水郡高木村(現・富山県射水市)出身の石黒信由(1760年 - 1836年)に関する資料群である。主著『算学鉤致』をはじめとする著述稿本類、文書記録類、および信由が金沢藩の依頼で作成した加越能三国(加賀、越中、能登)の地図などが含まれる[4]。
- 一般財団法人高樹会が所有し、射水市新湊博物館に寄託している資料群のうち、2,051点が1984年に重要文化財に指定された。その後、1998年に1,714点が追加指定されて計3,765点となった。なお、2011年及び2015年に資料の分類見直しによる員数変更があり、重要文化財の資料は計3,762点となる[5]。
- 2019年7月、上述の3,762点にさらに2,569点の資料が追加指定された。既指定資料の分類項目見直しによって員数は61点の増となり、計6,392点となった。従来の指定資料は信由のものが中心だったが、2019年の追加指定分には、信由の事業を継承した2代石黒信易、3代石黒信之、4代石黒信基および3代の弟である北本栗(きたもとりつ)らの資料が含まれている。2019年の追加指定分を含んだ資料の員数は以下のとおり[6][7][8]。
重要文化財「石黒信由関係資料」の員数
- 著述稿本類357点
- 文書記録類4,674点
- 地図類1,325点
- 書画類4点
- 測量器具・器物類30点
- 写真ガラス原板2点
- 計6,392点
施設
- 常設展示室 1 – 新湊の歴史
- 常設展示室 2 – 石黒信由と高樹文庫の紹介と展示
- 企画展示室
- ガイダンス室
- 特別収蔵庫 1・2 – 高樹文庫や石黒宗麿の陶芸品を保管
- 測量庭園 – 測量体験ができる
- 駐車場 – 35台(そのほか、道の駅カモンパーク新湊の駐車場も利用可)
施設情報
観覧料
アクセス
脚注
- ^ 昭和59年6月6日文部省告示第85号
- ^ 『石黒信由資料 重文追加 子や孫の地図など2630点』北日本新聞 2019年3月19日32面
- ^ 『江戸後期の望遠鏡発見 新湊博物館 名人・岩橋善兵衛作 18例目 国内最長』北日本新聞 2017年2月10日1面
- ^ 文化庁文化財保護部「新指定の文化財」『月刊文化財』249、第一法規出版、1984、pp.33 - 35
- ^ 昭和59年6月6日文部省告示第85号、平成10年6月30日文部省告示第113号、平成23年6月27日文部科学省告示第113号、平成27年9月4日文部科学省告示第148号
- ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第30号
- ^ 文化審議会文化財分科会(文化庁サイト、「第200回文化審議会文化財分科会(平成31年3月18日)別添:国宝、重要文化財(美術工芸品)の指定等について」を参照。
- ^ 国重要文化財「石黒信由関係資料」の追加指定について