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「綏陽県 (満洲国)」の版間の差分

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[[満州国]]が成立すると東寧県第四区の管轄とされた。[[1938年]]、東寧県公署は小綏芬河北岸に弁事処を設置するに当り、小綏芬河の北岸に位置したことより綏陽弁事処が設置された。[[1939年]]6月1日、東寧県北部及び[[穆市|穆棱県]]細鱗河地区に新たに綏陽県を新設、県公署が綏陽街に設置され[[牡丹江省]]の管轄とされた。満州国崩壊後は[[綏寧省]]の管轄とされたが、まもなく牡丹江省に移管された。


[[1948年]]10月4日、松江省は綏陽県の廃止を決定、東寧県に編入された。
[[1948年]]10月4日、松江省は綏陽県の廃止を決定、東寧県に編入された。


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[[1939年]]6月、[[東寧県]]及び[[穆リョウ市|穆棱県]]の一部に綏陽県が設置される。
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2020年9月18日 (金) 21:53時点における版

満州国 牡丹江省 綏陽県
1939年 - 1948年
簡体字 绥阳
繁体字 綏陽
拼音 Suìyáng
カタカナ転記 スイヤン
国家 満州国
行政級別 丁等県
政府所在地 綏陽街
建置 1939年
廃止 1948年 
面積
- 総面積 km²
人口

綏陽県(すいよう-けん)は中華人民共和国黒竜江省にかつて存在した県。

地理

綏陽県は現在の黒竜江省東寧市北部に相当する。

歴史

綏陽県は清末は綏芬庁講礼社の、中華民国初期は東寧県第六区の管轄であった。

満州国が成立すると東寧県第四区の管轄とされた。1938年、東寧県公署は小綏芬河北岸に弁事処を設置するに当り、小綏芬河の北岸に位置したことより綏陽弁事処が設置された。1939年6月1日、東寧県北部及び穆棱県細鱗河地区に新たに綏陽県を新設、県公署が綏陽街に設置され牡丹江省の管轄とされた。満州国崩壊後は綏寧省の管轄とされたが、まもなく牡丹江省に移管された。

1948年10月4日、松江省は綏陽県の廃止を決定、東寧県に編入された。

設置

1939年6月、東寧県及び穆棱県の一部に綏陽県が設置される。

廃止

1948年10月、東寧県に編入される。


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