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'''周 旨'''(しゅう し、生没年不詳)は、[[中国]][[西晋]]の武将。
'''周 旨'''(しゅう し、生没年不詳)は、[[中国]][[西晋]]の武将。


『[[晋書]]』[[杜預]]伝によると、[[279年]]に杜預に従い[[呉 (三国)|呉]]侵攻に参加した。牙門将軍の管定・伍巣らと共に800人の兵を率い、舟で夜半に[[長江]]を渡って楽郷を襲撃した。多くの旗幟を立て、巴山に火を起こし、呉の[[孫キン|孫歆]]に大軍と錯覚させ恐れさせた。伍巣と共に楽郷城外へ伏兵を布き、孫歆を捕らえる功績を挙げた。
『[[晋書]]』[[杜預]]伝によると、[[279年]]に杜預に従い[[呉 (三国)|呉]]侵攻に参加した。牙門将軍の管定・伍巣らと共に800人の兵を率い、舟で夜半に[[長江]]を渡って楽郷を襲撃した。多くの旗幟を立て、巴山に火を起こし、呉の[[孫歆]]に大軍と錯覚させ恐れさせた。伍巣と共に楽郷城外へ伏兵を布き、孫歆を捕らえる功績を挙げた。


小説『[[三国志演義]]』第120回によると、周旨は杜預の副将であり、800人の兵を率いて渡江すると、巴山に伏兵として潜む。杜預が呉軍を破った後、敗走・混乱していた呉軍に紛れ込み城内への侵入を果たし、孫歆を斬っている。さらに呉の[[張悌]]と戦い、[[沈瑩]]を討ち取るという武功を挙げている。
小説『[[三国志演義]]』第120回によると、周旨は杜預の副将であり、800人の兵を率いて渡江すると、巴山に伏兵として潜む。杜預が呉軍を破った後、敗走・混乱していた呉軍に紛れ込み城内への侵入を果たし、孫歆を斬っている。さらに呉の[[張悌]]と戦い、[[沈瑩]]を討ち取るという武功を挙げている。

2020年9月18日 (金) 21:47時点における版

周 旨(しゅう し、生没年不詳)は、中国西晋の武将。

晋書杜預伝によると、279年に杜預に従い侵攻に参加した。牙門将軍の管定・伍巣らと共に800人の兵を率い、舟で夜半に長江を渡って楽郷を襲撃した。多くの旗幟を立て、巴山に火を起こし、呉の孫歆に大軍と錯覚させ恐れさせた。伍巣と共に楽郷城外へ伏兵を布き、孫歆を捕らえる功績を挙げた。

小説『三国志演義』第120回によると、周旨は杜預の副将であり、800人の兵を率いて渡江すると、巴山に伏兵として潜む。杜預が呉軍を破った後、敗走・混乱していた呉軍に紛れ込み城内への侵入を果たし、孫歆を斬っている。さらに呉の張悌と戦い、沈瑩を討ち取るという武功を挙げている。