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2020年9月15日 (火) 15:48時点における版
潘矩楹 | |
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Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1882年(清光緒8年)[1] |
死去: | 不詳 |
出身地: | 清山東省済寧州 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 潘矩楹 |
簡体字: | 潘矩楹 |
拼音: | Pān Jǔyíng |
ラテン字: | P'an Chu-ying |
和名表記: | はん くえい |
発音転記: | パン ジューイン |
潘 矩楹(はん くえい)は清末民初の軍人。北京政府、直隷派に属した。字は丹庭。
事績
新建陸軍に加入後、日本へ留学し、陸軍士官学校第3期歩兵科を卒業した。帰国後は順調に昇進し、1911年(宣統3年)には、第20鎮統制に就任した。
1914年(民国3年)4月、帰化城副都統に就任する。同年7月、綏遠都統に昇進した。1915年(民国4年)12月、袁世凱が皇帝に即位した際には、一等男に封じられた。1916年(民国5年)10月、綏遠都統を辞任している。
袁世凱死後、潘矩楹は直隷派に属した。1918年(民国7年)、川湘贛粤四省経略使署参謀長となる。1920年(民国9年)には、直豫魯巡閲使署参謀長をつとめた。同年11月、北京政府高等顧問に異動する。民国10年(1921年)7月、署理北京政府航空署署長となった。1923年(民国12年)11月、張作霖の高等顧問となった。
以後、潘矩楹の行方は不詳である。
注
参考文献
- 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7。
- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
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