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1900年に設立、開業した。その後[[フランス]]系の[[銀行]]の出資により5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、[[1915年]]に北京でも数少ない近代的ヨーロッパ風ホテルとして新たに提供された。その後[[1917年]]に7階建ての新館(現B棟)が追加された。
1900年に設立、開業した。その後[[フランス]]系の[[銀行]]の出資により5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、[[1915年]]に北京でも数少ない近代的ヨーロッパ風ホテルとして新たに提供された。その後[[1917年]]に7階建ての新館(現B棟)が追加された。


[[日中戦争]]勃発後の[[1937年]]に[[大日本帝国陸軍|日本軍]]が北京を占領してからは日本軍の管理下に置かれ、[[1945年]]8月に日本が[[第二次世界大戦]]で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に敗北し北京から撤退した後は、[[介石]]総統率いる[[中国国民党]]の管理下に置かれた。
[[日中戦争]]勃発後の[[1937年]]に[[大日本帝国陸軍|日本軍]]が北京を占領してからは日本軍の管理下に置かれ、[[1945年]]8月に日本が[[第二次世界大戦]]で[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に敗北し北京から撤退した後は、[[介石]]総統率いる[[中国国民党]]の管理下に置かれた。


[[1949年]]に[[国共内戦]]が終結し中華人民共和国が建国された後は、[[中国共産党]]政府所有のホテルとなり、同年にはホテル内の宴会場で[[毛沢東]]党主席や[[劉少奇]]国家主席、[[周恩来]]総理、[[朱徳]]委員長ら国家首脳部の出席の上で建国祝賀会が開催された他、[[文化大革命]]期までは様々な記念日のレセプションパーティーが行われた。[[1954年]]にはさらに新たな建物が追加された。
[[1949年]]に[[国共内戦]]が終結し中華人民共和国が建国された後は、[[中国共産党]]政府所有のホテルとなり、同年にはホテル内の宴会場で[[毛沢東]]党主席や[[劉少奇]]国家主席、[[周恩来]]総理、[[朱徳]]委員長ら国家首脳部の出席の上で建国祝賀会が開催された他、[[文化大革命]]期までは様々な記念日のレセプションパーティーが行われた。[[1954年]]にはさらに新たな建物が追加された。

2020年9月15日 (火) 14:23時点における版

北京飯店
ホテル概要
正式名称 Beijing Hotel
階数 GF - 15階
部屋数 871室
開業 1900年
最寄駅 北京地下鉄1号線王府井駅徒歩3分
所在地 中華人民共和国の旗 中国 北京市東城区東長安街33号
位置 北緯39度54分27.88秒 東経116度24分14.3秒 / 北緯39.9077444度 東経116.403972度 / 39.9077444; 116.403972座標: 北緯39度54分27.88秒 東経116度24分14.3秒 / 北緯39.9077444度 東経116.403972度 / 39.9077444; 116.403972
公式サイト 公式サイト
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北京飯店の位置(北京市街内)
北京飯店
北京飯店
紫禁城
紫禁城
天壇
天壇
頤和園
頤和園
北京飯店の位置(北京市)

北京飯店は、中華人民共和国北京市の長安街と王府井大街に建つ高級ホテルである。

概要

中華人民共和国の首都である北京市の中心地の長安街と王府井大街に面して建っている、清朝時代から営業されている数少ない高級ホテルで、現在も北京市を代表する高級ホテルのひとつである。

1900年の開業以来、100年以上の歴史を有する[1]。中華人民共和国の建国記念パーティーの開催場所となったほか、中華民国の初代総統である孫文や、ソビエト連邦ニキータ・フルシチョフ首相、アメリカ合衆国リチャード・ニクソン大統領日本田中角栄首相やインドネシアスカルノなどの各国の国家元首から、ジョージ・バーナード・ショーをはじめとする作家など、開業当初から現在に至るまで、世界各国の国賓や著名人が利用することでも知られる。

中国共産党北京市委員会や北京市人民政府、中華人民共和国国家安全部などの政府機関の本部だけでなく、天安門広場紫禁城故宮博物院)、毛主席紀念堂などの観光施設も徒歩圏内にあることから、政府要人から団体観光客までが利用する。

歴史

1900年に設立、開業した。その後フランス系の銀行の出資により5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、1915年に北京でも数少ない近代的ヨーロッパ風ホテルとして新たに提供された。その後1917年に7階建ての新館(現B棟)が追加された。

日中戦争勃発後の1937年日本軍が北京を占領してからは日本軍の管理下に置かれ、1945年8月に日本が第二次世界大戦連合国に敗北し北京から撤退した後は、蔣介石総統率いる中国国民党の管理下に置かれた。

1949年国共内戦が終結し中華人民共和国が建国された後は、中国共産党政府所有のホテルとなり、同年にはホテル内の宴会場で毛沢東党主席や劉少奇国家主席、周恩来総理、朱徳委員長ら国家首脳部の出席の上で建国祝賀会が開催された他、文化大革命期までは様々な記念日のレセプションパーティーが行われた。1954年にはさらに新たな建物が追加された。

またこの頃より1980年代にかけては、北京を公式訪問したソビエト連邦ニキータ・フルシチョフ首相やアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領、日本の田中角栄首相や北ベトナムホー・チ・ミン主席などの各国の国家元首が宿泊するなど、 北京の迎賓館的存在となった。

1974年には、最初に建てられた建物が取り壊され、その跡地に89メートルの本館(現在のA棟)が建設された。当時、この建物は北京で最も高い建物であった。2001年に大規模なリニューアルが施された。

2005年にはB棟がフェアモント・ラッフルズ・ホテルズ・インターナショナル傘下のシンガポールラッフルズ・インターナショナルが運営する「ラッフルズ北京ホテル(北京飯店莱佛士)」として別の体制で営業されることとなった。2008年に開催された北京オリンピックの際には、ホテル全体が国際オリンピック委員会の本部となった。

施設

客室

ラッフルズ北京ホテル

A棟からE棟までがあり、北京飯店(全871室)とラッフルズ北京ホテル(全171室)として運営されている。

レストラン/バー

  • 中華礼儀餐庁
  • 伝来堂
  • 五人百姓(日本料理
  • アウトバック・ステーキハウス(ステーキ
  • サンシャイン・カフェ

バンケットルーム

各種パーティーや会議など、様々な用途に対応するバンケットルームが用意されている。

その他

アクセス

北京地下鉄1号線王府井駅まで徒歩3分で、北京駅までは車で5-10分程度である。 北京首都国際空港までは車で30-40分程度。

脚注

  1. ^ 週刊ホテルレストラン小原康裕 世界のリーディングホテルvol.27ラッフルズ北京&北京飯店 2012.07.13 1900年洋風レストランを開業し成功したフランス人が、翌年「北京飯店」の看板を掲げたことに始まる

関連項目

外部リンク