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[[1940年]](民国29年)3月、臨時政府が[[汪兆銘]]の[[汪兆銘政権|南京国民政府]]に合流してからも、唐仰社が引き続き山東省省長をつとめた。同年9月には、[[華北政務委員会]]委員も兼任した。翌年には、日本への様々な貢献を評価され、[[東條英機]]から直筆の感謝状を贈られるなどしている。[[1945年]](民国34年)2月、華北政務委員会工務総署督弁に異動し、同年中に全国経済委員会常務委員も兼ねた。


日本に敗戦に伴う汪兆銘政権崩壊後、唐仰杜は[[介石]]の国民政府に[[北京市|北平]]で逮捕され、[[南京市|南京]]に送られた。しかし、判決を下されることなく収監され続けた。[[中華人民共和国]]が成立した後に、唐は身柄を[[済南市|済南]]に送られ、山東省人民法院で審理されることになった。[[1951年]]4月12日、唐は[[漢奸]]の罪により死刑判決を受け、29日に執行された。享年64。
日本に敗戦に伴う汪兆銘政権崩壊後、唐仰杜は[[介石]]の国民政府に[[北京市|北平]]で逮捕され、[[南京市|南京]]に送られた。しかし、判決を下されることなく収監され続けた。[[中華人民共和国]]が成立した後に、唐は身柄を[[済南市|済南]]に送られ、山東省人民法院で審理されることになった。[[1951年]]4月12日、唐は[[漢奸]]の罪により死刑判決を受け、29日に執行された。享年64。


== 注 ==
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2020年9月15日 (火) 14:11時点における版

唐仰杜
『最新支那要人伝』(1941年)
プロフィール
出生: 1888年[1]
死去: 1951年4月29日
中華人民共和国山東省済南市
出身地: 清の旗 四川省成都府成都県
職業: 政治家
各種表記
繁体字 唐仰杜
簡体字 唐仰杜
拼音 Táng Yǎngdù
ラテン字 T'ang Yang-t'u
和名表記: とう ぎょうと
発音転記: タン ヤンドゥー
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唐 仰杜(とう ぎょうと)は末、中華民国の政治家。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職についた。露岩回族。祖籍は山東省鄒県

事跡

父は四川省の知府であったため、唐仰杜は成都で生まれた。京師訳学館でロシア語を学んだ後、挙人となり、学部七品京官を授かった。

中華民国成立後、山東省で省議会議員などをつとめた。1923年民国12年)4月、山東省会市政庁総弁に任ぜられた。国民政府による北伐の最中で済南事件が発生すると、唐は責任をとって辞職する。その後、一時は山東省政府主席韓復榘の下で北寧鉄路局文書科長などをつとめたが、短期間で再び辞職した。

中華民国臨時政府成立後の1938年民国27年)3月に山東省公署(省長:馬良)が成立すると、唐仰杜は財政庁庁長に任命された。翌年1月、馬良の後任として山東省省長に昇格し[2]、省内の治安強化、中国共産党掃討に取り組んでいる。

1940年(民国29年)3月、臨時政府が汪兆銘南京国民政府に合流してからも、唐仰社が引き続き山東省省長をつとめた。同年9月には、華北政務委員会委員も兼任した。翌年には、日本への様々な貢献を評価され、東條英機から直筆の感謝状を贈られるなどしている。1945年(民国34年)2月、華北政務委員会工務総署督弁に異動し、同年中に全国経済委員会常務委員も兼ねた。

日本に敗戦に伴う汪兆銘政権崩壊後、唐仰杜は蔣介石の国民政府に北平で逮捕され、南京に送られた。しかし、判決を下されることなく収監され続けた。中華人民共和国が成立した後に、唐は身柄を済南に送られ、山東省人民法院で審理されることになった。1951年4月12日、唐は漢奸の罪により死刑判決を受け、29日に執行された。享年64。

  1. ^ 『最新支那要人伝』、163頁は1889年生まれとしているが、本記事は、「山東省情網」内「山東省省情資料庫」に従う。
  2. ^ 『民国職官年表』、1125頁は、馬良が1940年3月まで省長を務めたとしているが、本記事は「山東省情報資料庫」に従う。

参考文献

  • 「唐仰杜」[リンク切れ]「山東省情網」(山東省地方志弁公室ホームページ)内「山東省省情資料庫」
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  中華民国臨時政府
先代
馬良
山東省長
1939年1月 - 1940年3月
次代
(汪兆銘政権に継続)
  南京国民政府(汪兆銘政権
先代
(臨時政府から継続)
山東省長
1940年3月 - 1945年2月
次代
楊毓珣
先代
蘇体仁
華北政務委員会
工務総署督弁
1945年2月 - 8月
次代
(廃止)