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*[[1965年]]-[[3月]]、[[明治神宮]]参集殿にて“橘天敬の芸術展”開催。
*[[1965年]]-[[3月]]、[[明治神宮]]参集殿にて“橘天敬の芸術展”開催。
*障壁画「八州之気図」六曲一双、「[http://meijijingu.or.jp/homotsuden/index.html 明治神宮宝物殿]」奉納。
*障壁画「八州之気図」六曲一双、「[http://meijijingu.or.jp/homotsuden/index.html 明治神宮宝物殿]」奉納。
*障壁画「悠々無限之図」六曲一隻、[[外務省]]を通じ[[介石]]総統に贈る。
*障壁画「悠々無限之図」六曲一隻、[[外務省]]を通じ[[介石]]総統に贈る。
*[[1966年]]-[[米国]]、西テキサス州立大学芸術学部名誉教授となる。キャニオン美術館で個展。
*[[1966年]]-[[米国]]、西テキサス州立大学芸術学部名誉教授となる。キャニオン美術館で個展。
*ワシントン国立第一銀行ホールに於いて個展。
*ワシントン国立第一銀行ホールに於いて個展。

2020年9月15日 (火) 13:45時点における版

橘 天敬

橘 天敬(たちばな てんけい、1906年11月3日 - 1984年6月1日)は、日本画家。本名・中山義文[1]。初期には園部香峰を称していた[1]。横山大観に私淑し、障屏画を中心に制作。代表作に「和楽之図」(大英博物館所蔵)、「風神雷神図」がある[2]

人物と作品

幼少期は野山を駆け回る腕白な少年であった。1920年(大正9年)3月、大谷小学校を卒業すると末永節や個人教授のもとに学び、得意は数学英語は最も苦手だった。外遊は多かったものの生涯殆ど英語を話さず周囲に頼り、何処の国でも身振り手振りのユーモア溢れるジェスチャーで一心に気持ちを伝え、通じていたのか不思議にも外国人の友人・知人は多かった。

東京美術学校専科時代には岡本一平に可愛がられ、街で一緒に並んで似顔絵を描き、菊池寛久米正雄らにも紹介され初めて銀座の黒猫というカフェに連れて行かれるなど、既に一世を風靡していた漫画家、小説家との出会いを重ねた。その後、野口雨情西条八十時雨音羽中山晋平らも展覧会の発起人として近衛文麿と共に名を連ねているが、先輩芸術家たちとの交流は青年期に貴重な影響を与えるものとなった。

仏画を描いた経緯は、17歳の秋に美術学校内で関東大震災に遭ったことがきっかけであった。その例えようのない惨状に「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱え、震え、祈り、仏画に専心する強い決意のもと、山口県観念寺で修業し、初めて「如来像」を描いたという。

その後、海外での個展や留学が続き、広く学びながら文化交流に努めたが、戦後、園部香峰から雅号を橘天敬に改めた頃より、六曲一双屏風に障壁画の大作を次々描くようになった。画業として特筆すべきは、1972年(昭和47年)夏、アメリカワシントンスミソニアン博物館内のフリーア美術館に六曲一双障壁画「風神雷神之図」が収蔵された事である。これは昭和期の日本美術史上、世界レベルの貴重な功績であったが、当時、記事にしたのは毎日新聞だけであった。“光琳、宗達に続く「異例の美術館入り」”との見出しで、故人の作品以外は収蔵しないという前例を破っての経緯であった。下図が無く、岩絵具と金箔でダイナミックに描いた障壁画は、ネルソン・アトキンス美術館ロンドン大英博物館などにも収蔵されている。

展覧会に欠かさず訪れ、天敬の「心の師」でもあった安岡正篤は、天敬の画風を陶淵明の詩から「大化縦浪派」(たいかしょうろうは)と評した。また、世界平和を願う同志として作品とその生涯を暖かく見守り、自筆の書と天敬の墨絵が一緒に描かれた掛軸も残っている。

晩年は諸々の平穏を願い得度したが、1982年(昭和57年)5月に脳梗塞で倒れ、更に胃癌が見つかり、1984年(昭和59年)に逝去した。葬儀委員長は美術評論家の三宅正太郎戒名は小松院殿天敬義仁大居士。

意図せぬような波乱万丈の生涯であったが、その分、人への思いやりや愛情は深く、可愛いらしい小さな雀を描いた「友を呼ぶ」、優しさ溢れる「聖母観音」などにも象徴される。また、豪放磊落で文武両道の精神を重んじ、力強く堂々とした獅子なども描いた。

墓地台東区谷中長久院にあるが、天敬が生涯「芸術の師」と仰ぎ、谷中墓地に眠る横山大観といつでもお酒が酌み交わせるようにと、生前の両者を知るお墓守の計らいで、対面に位置するよう建てられている。

画歴年表

※ この項目は「画歴年表」であり、「画歴」に関する事以外、書き込まぬようお願いします。

に贈呈。同氏没後は司法省より スミソニアン フリーア美術館に移管される。

没後の活動

  • 1993年-9月 障壁画「和楽之図」英国国立大英博物館収蔵記念展 ホテルオークラ東京 / 10月 「 橘 天敬の芸術展 」 大英博物館ジャパンギャラリー 英国 ロンドン
  • 2004年-6月 「日暖かし帝城の春」収蔵40周年記念展 逓信博物館(※現 郵政博物館)
  • 2005年-9月 「橘 天敬の芸術」イタリア上院議会 ジュスティニアニ宮殿 ローマ
  • 2006年-5月 生誕100年記念展 東京美術倶楽部 (芝・御成門)
  • 2007年-4月 パリ藝術功労賞受賞30周年記念展 アテネ劇場 (フランス パリ)
  • 2009年-7月 映画「アマルフィ 女神の報酬」画像提供 / 11月 黄桜酒造CM「辛口一献」作品撮影・画像貸出
  • 2010年-7月 清雅-画中の理想郷(美術館所蔵作品展) 福岡市美術館
  • 2012年-4月 ART KYOTO 2012 国立京都国際会館
  • 2014年-3月 4Kコンテンツ京都研究会 仁和寺4K祭2014 京都 仁和寺
  • 2015年-4月 超京都Art Kyoto 京都文化博物館(京都)
  • 2016年-9月 アートAsia ホテルオークラ福岡(福岡)
  • 2018年-9月 インターナショナルギフトショー LIFE×DESIGN 東京ビッグサイト

作品所蔵美術館など

日本国外

米国国立スミソニアン博物館内 フリーア美術館

  • 障壁画「富岳雲海之図」(1952)六曲一双屏風
  • 障壁画「静姿静観(風神)、至情霹靂(雷神)」(1970)六曲一双屏風

画像はこちら http://collections.si.edu/search/results.htm?q=tachibana+tenkei&tag.cstype=all

米国「パンハンドル・プレーンズ歴史博物館」

  • 障壁画「清流」(1960)六曲一双屏風

米国ネルソン・アトキンス美術館

  • 障壁画「春琴之譜図」(1975)六曲一双屏風

画像はこちら https://art.nelson-atkins.org/people/6574/-/objects/list

英国国立大英博物館

  • 障壁画「和楽之図」(1975)六曲一双屏風

画像はこちら http://www.britishmuseum.org/research/collection_online/collection_object_details.aspx?objectId=1428254&partId=1&searchText=Peace+and+Concord&page=1

日本国内

霧島神宮

  • 掛軸 「神々降臨之図」(1928) 軸装

池上本門寺

  • 障壁画「無心光明」(1963)六曲一双屏風

郵政博物館

  • 障壁画「日暖かし帝城之春」(1964)六曲一隻屏風

明治神宮 宝物殿

  • 障壁画「八州之氣図」(1965)六曲一双屏風

福岡市美術館

  • 紺紙金泥絵巻「四方之海」(1970) 額装

脚注

  1. ^ a b 橘天敬 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2020年7月30日閲覧。
  2. ^ 橘 天敬の藝術 公式ホームページ”. www.gallery-aya.co.jp. 2020年7月30日閲覧。

外部リンク