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[[横浜正金銀行]]入行後、[[ロンドン]]にて駐英大使[[吉田茂]]の親交を得る。ロンドン支店支配人となって[[国際決済銀行]]理事会副会長にも就任。取締役として同行北支最高責任者として経済情勢分析などにあたる一方、[[木戸幸一]]に[[蔣介石]]政権の真意や国民党と共産軍の意図など、現地の政治情勢を報告する(「重慶情報」)。[[北京市|北京]]で終戦を迎え、戦後の混乱の収拾に尽力した。 |
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戦後の[[ドッジ・ライン]]実施に際し、[[ジョゼフ・ドッジ]]に意見表明と情報提供を行う。[[1955年]]日本住宅公団初代総裁に就任し、ステンレス流し、シリンダー錠など住宅部品の導入を発案、普及のために尽力するなど多大な功績を残した。 |
戦後の[[ドッジ・ライン]]実施に際し、[[ジョゼフ・ドッジ]]に意見表明と情報提供を行う。[[1955年]]日本住宅公団初代総裁に就任し、ステンレス流し、シリンダー錠など住宅部品の導入を発案、普及のために尽力するなど多大な功績を残した。 |
2020年9月15日 (火) 13:32時点における版
加納 久朗(かのう ひさあきら、明治19年(1886年)8月1日 - 昭和38年(1963年)2月21日)は、日本の銀行家、政治家。子爵。千葉県出身。元千葉県知事、元国際決済銀行取締役、副会長。
人物
横浜正金銀行入行後、ロンドンにて駐英大使吉田茂の親交を得る。ロンドン支店支配人となって国際決済銀行理事会副会長にも就任。取締役として同行北支最高責任者として経済情勢分析などにあたる一方、木戸幸一に蔣介石政権の真意や国民党と共産軍の意図など、現地の政治情勢を報告する(「重慶情報」)。北京で終戦を迎え、戦後の混乱の収拾に尽力した。
戦後のドッジ・ライン実施に際し、ジョゼフ・ドッジに意見表明と情報提供を行う。1955年日本住宅公団初代総裁に就任し、ステンレス流し、シリンダー錠など住宅部品の導入を発案、普及のために尽力するなど多大な功績を残した。 1958年、東京湾の埋め立て開発を提唱( 『東京湾埋立による新東京建設提案』:官庁や皇居の埋立地へ一部移転などを構想)し、自民党や財界の推挙により、農政官僚出身で漁民保護の立場から開発に消極的であった柴田等前知事を破り、千葉県知事となるが在任110日で急逝。開発政策は友納武人知事に引き継がれた。
カナモジカイの有力メンバーで、福田恆存を相手に論戦したり、県庁内の応接室を「オオセツマ」と表記させるなど、実行に熱心であった。
評伝に『国際人・加納久朗の生涯』(高崎哲郎、鹿島出版会、2014年)がある。
略歴
- 1886年8月 子爵加納久宜の次男として生まれる
- 1911年7月 東京帝国大学法科大学政治科卒業
- 1912年10月 横浜正金銀行入行
- 1915年 大連支店赴任[1]
- 1917年 ニューヨーク支店赴任[1]
- 1919年 父死去[1]
- 1917年 ロンドン支店赴任[1]
- 1921年12月 ロンドン支店支配人代理
- 1924年 カルカッタ支店長赴任(ボンベイ支店長兼任)[1]
- 1934年3月 ロンドン支店支配人
- 1939年5月8日 国際決済銀行理事会副会長
- 1943年3月 取締役
- 1946年8月 公職追放
- 1954年1月 参議院千葉県補欠選挙に無所属で立候補するが落選。
- 1955年7月 日本住宅公団初代総裁
- 1962年11月 千葉県知事
家系
加納氏は三河国加納村発祥である。明確でないが藤原氏末流とされている。
家族・親族
- 曾祖父・立花種周(筑後三池藩第6代藩主)
- 祖父・立花種道
- 父・加納久宜(上総国一宮藩主、鹿児島県知事、一宮町長)
- 妻・多津(東京府士族伊藤道夫叔母。伊藤軍兵衛の孫)
- 長男・久道
- 二男・久次(男爵中村貫之の娘婿)
- 二女・英子(実業家伊藤英吉に嫁する)
- 妹・夏子(実業家麻生太吉三男・太郎の妻。実業家麻生太賀吉の母。元首相麻生太郎の祖母。)
- 孫・久美子(元首相橋本龍太郎に嫁する)
- 曾孫・橋本岳(政治家)
脚注
参考文献
- 『国際人加納久明の生涯』高崎哲郎 2014 鹿島出版会 ISBN 978-4-306-09434-5
日本の爵位 | ||
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先代 加納久宜 |
子爵 (一宮)加納家第2代 1919年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |