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国民党幹部養成に主眼を置いていた中央党務学校であったが、[[1929年]]に'''中央政治学校''' として改編され、政治、財政、地方自治、社会経済学部を設置、のちに教育、外交学部が設置された。[[1937年]]、[[日中戦争]]の影響により重慶に移転すると、教育課程の見直しが行われ、法政、経済、外交、新聞、地政の5学部を、後に新聞事業専修班、新聞専修科、地政専門修科、会計専修科、統計専修科、語文専修科を成立させ、党幹部の養成を強化していった。中国国民党の訓政時期における政治人材の養成学校としての位置づけがなされ、[[中国共産党中央党校]]と[[中国人民大学]]に類似した性格を有していた。 |
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1944年、[[三民主義青年団]]はエリート幹部を養成のために、中央幹部学校が[[重慶市]]で開校した。当時、学長は[[蔣介石]]で、教育長は[[蔣経国]]を担当していた。中央幹部学校は[[中国共産主義青年団]]の中国青年政治学院に類似した性格を有していた。 |
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===国家元首と政治大学=== |
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2020年9月15日 (火) 13:30時点における版
国立政治大学 | |
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政治大学中正図書館 | |
大学設置/創立 | 1927年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 中華民国台湾 |
本部所在地 |
中華民国台湾台北市文山区指南路2段64番 北緯24度59分15秒 東経121度34分35秒 / 北緯24.98750度 東経121.57639度座標: 北緯24度59分15秒 東経121度34分35秒 / 北緯24.98750度 東経121.57639度 |
学生数 | 14,857 |
キャンパス |
文山キャンパス(台北市文山区) 指南キャンパス(台北市文山区) 国際関係センター(台北市文山区) ビジネスセンター(台北市大安区) |
学部 |
文学部 理学部 法学部 商学部 社会科学部 外国語文学部 コミュニケーション学部 国際事務学部 教育学部 国際イノベーション学部 |
研究科 |
|
ウェブサイト | http://www.nccu.edu.tw/ |
国立政治大学(こくりつせいじだいがく、英語: National Chengchi University [注釈 1]、公用語表記: 國立政治大學)は、中華民国台湾台北市文山区指南路2段64番に本部を置く台湾の国立大学。1927年創立、1927年大学設置。大学の略称はNCCU、政大。
大学ランキング | |
---|---|
全世界 | |
Times[1] | 601 |
QS[2] | 551 |
アジア | |
Times[1] | 171 |
QS (全世界版)[3] QS (Asia version)[4] |
84 |
概観
大学全体
前身は1927年5月に南京で設立された南京国民政府中央党務学校にさかのぼる。当時の中国の上級公務員養成の唯一の学校[5]としての性格を有し、卒業生は各官僚として任用されていた。
国共内戦により南京校舎は閉鎖されたが、1954年に台湾において復興されると、一般大学生の募集を開始し、人文社会学の総合大学に転換した。現在は文・理・法・商・社会科学・外国語文・コミュニケーション・国際事務・教育の9学院を備え、また幼稚園から博士課程までを擁する中華民国を代表するエリート国立大学となっている。[6][7][8]
2005年10月9日に中華民国教育部より発表されたトップ大学計画の12校に選定され、国際競争力を有す大学への転進を目標に積極的な施設建設や人材育成への投資が実施されている。[9]
日本台湾交流協会は政大を台湾の7名門大学の1校に選定しました。[10]
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江蘇省南京市,元国立政治大学ゲート
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台北市,国立政治大学ゲート
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政治大学四維堂
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ローマ広場
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キャンパスビュー
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キャンパスビュー
校章
校章は中華民国の国花である梅をかたどったデザインで、国旗である青天白日満地紅旗の三色を使用している。これらは、国家のための人材育成を象徴している。校訓は「親愛精誠」である。[注釈 2]
キャンパス
キャンパス | アドレス |
---|---|
文山キャンパス | 11605台北市文山区指南路2段64番 |
指南キャンパス | 11666台北市文山区万寿路36番 |
化南キャンパス | 11666台北市文山区新光路1段 |
国際関係センター | 11666台北市文山区万寿路64番 |
ビジネスセンター | 10642台北市大安区金華街187番 |
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政治大学法学部と社会科学部
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政治大学理学部
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政治大学商学部
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政治大学教育学部
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政治大学コミュニケーション学部
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スポーツセンター
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社会科学データアーカイブセンター
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コンピュータセンター
-
政治大学管理ビル
附属学校
スクール | アドレス |
---|---|
附属高等学校 (中高一貫校) | 11656台北市文山区政大1街353番 |
附属小学校 | 11651台北市文山区指南路3段12番 |
附属幼児園 | 11651台北市文山区指南路2段66番 |
沿革
中央党務学校
政治大学の前身は1927年に南京において設立された南京国民政府中央党務学校であり、当時は北伐を担う国民党幹部の教育を担当していた。校訓は1924年に開校した中央陸軍軍官学校と同一の「親愛精誠」であり、これは開校の際に蔣介石によって決定された。当初は国立東南大学の校舎を借用していたが、後に国立東南大学は国立中央大学へ再編していた、中央党務学校は元国立東南大学の校舎を受け取りました。教員は国立中央大学、国立北京大学から、教育課程はは党務および社会運動、政治宣伝に重点が置かれ、理論、歴史、地理、党組織についての教育が行われていた。中央党務学校の校長は蔣介石であったが、実質的には副教務主任であった羅家倫、谷正綱及び副総務主任の呉挹峰による学校運営であった。
中央政治学校
国民党幹部養成に主眼を置いていた中央党務学校であったが、1929年に中央政治学校 として改編され、政治、財政、地方自治、社会経済学部を設置、のちに教育、外交学部が設置された。1937年、日中戦争の影響により重慶に移転すると、教育課程の見直しが行われ、法政、経済、外交、新聞、地政の5学部を、後に新聞事業専修班、新聞専修科、地政専門修科、会計専修科、統計専修科、語文専修科を成立させ、党幹部の養成を強化していった。中国国民党の訓政時期における政治人材の養成学校としての位置づけがなされ、中国共産党中央党校と中国人民大学に類似した性格を有していた。
中央幹部学校
1944年、三民主義青年団はエリート幹部を養成のために、中央幹部学校が重慶市で開校した。当時、学長は蔣介石で、教育長は蔣経国を担当していた。中央幹部学校は中国共産主義青年団の中国青年政治学院に類似した性格を有していた。
国立政治大学
1946年、中央政治学校と中央幹部学校が合併し、国立政治大学が誕生する。学長は専任制が採用されると同時に、蔣介石を終生名誉学長と定めた。1949年に国共内戦の結果、国民党が中国大陸で不利な形勢になると、政治大学の学生を養成する余裕がなくなり、貧弱な装備の下、学徒出陣が実施された。軍事作戦能力に欠如する学生は敗北を重ね戦死し、わずかに生き残った学生は軍籍のまま香港を経て台湾に流入した。
中華民国政府が台湾に移転した後、反攻大陸を政治目標としたため台湾での高等教育は無視され、国立大学の復興はもちろん、私立大学の増設も認められなかった。しかし膠着状態が長期化するにつれ、国民党内部でも経済発展のための人材育成の重要性が再認識され、政治大学は国家政治人材養成を目的として政府による高等教育の計画が立案されるようになった。戦後も、日本の降伏後から、その前に残した高等教育機関が存在していたが、国民政府の台湾移転により爆発的に増加した人口に対応できていないことから、1954年に教育部長張其昀は行政院を要請により、台湾省台北県木柵鎮の教育部がある土地を利用して国立政治大学の復活が決定した。この後中国大陸に存在していた有名国立大学、国立清華大学、国立交通大学などの復興の先例となった。最初は研究科だけを設置し、1955年、国立政治大学は大学部の復活により、台湾で大学としての歴史を歩み始めた。
年表
年 | 月日 | 事跡 |
---|---|---|
1927年 | 5月20日 | 南京にて中国国民党中央党務学校として開校 |
1928年 | 2月28日 | 国立東南大学の跡地を受け取る |
1929年 | 7月28日 | 中央政治学校に改編 |
1935年 | 2月28日 | 研究部を設置し、大学部と連携した高等教育を実施 |
1937年 | 9月5日 | 日中戦争の影響により重慶市へ疎開 四川省衛生局等工業職業学校に移転する |
1941年 | 6月16日 | 法政科、外交科、経済科を設置し学生募集を再開 |
1943年 | 3月1日 | 中国法曹養成所を設置 |
1944年 | 12月1日 | 中央幹部学校が開校 |
1946年 | 8月7日 | 中央政治学校と中央幹部学校を合併し、国立政治大学が開校 大学部、研究部、専修部、公務員訓練部を設置 |
1948年 | 7月31日 | 文学院、法学院、政治経済学院、教育研究所で学生募集を開始 |
1949年 | 1月21日 | 国共内戦の影響により教職員3人及び学生300人余が軍校へ移籍 約80名の学生が戦時内閣警衛軍に参加 事実上の閉校 |
1950年 | 4月9日 | 台北市の円山大飯店で約500人の学校関係者が集会を開き、政治大学復興を求める |
1954年 | 6月9日 | 台湾に移転した中華民国教育部が政治大学再興の計画を提出 |
1955年 | 7月13日 | 国立政治大学が再興 教育学系、政治学系、新聞学系、外交学系、辺政学系を設置、100名の学生募集を行う |
1957年 | 11月13日 | 文学院、法学院、商学院の3学院、14系の組織への改編が決定 |
1960年 | 2月18日 | 付属実験学校として小学部が開校 |
1960年 | 5月5日 | 夜間部を設置 |
1964年 | 9月30日 | 実習放送局政大之声が放送開始 |
1977年 | 9月15日 | 大学図書館中正図書館が開館 |
1989年 | 8月1日 | 外国語文学部とコミュニケーション学部を設置 |
1992年 | 8月1日 | 空中行政専科進修補習学校の業務内容を国立空中大学へ移管 |
1993年 | 8月1日 | 社会科学部を設置と法学部を独立 |
2000年 | 8月1日 | 国際事務学部を設置 |
2002年 | 8月1日 | 教育学部を設置 |
2018年 | 8月1日 | 国際イノベーション学部を設置 |
組織
現在は10学院(学部及び研究科)・36学士課程・77修士課程(14社会人対象・6英語授業)・39博士課程・10研究中心を擁し、1.5万人を越える学生が通う校である。
|
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歴代学長
区分 | 代 | 氏名 | 任期 |
---|---|---|---|
中央党務学校 | 初代 | 蔣介石 | 1927年 - 1929年 |
中央政治学校 中央幹部学校 |
初代 | 蔣介石 | 1929年 - 1946年 1944年 - 1946年 |
政大(南京) | 初代 | 蔣介石 | 1946年 - 1947年 |
政大(南京) | 第2代 | 顧毓琇 | 1947年 - 1949年 |
政大(南京) | 第3代 | 楊希震 | 1949年 - 1954年 |
政大(台北) | 第4代 | 陳大斉 | 1954年 - 1959年 |
政大(台北) | 第5代 | 劉季洪 | 1959年 - 1973年 |
政大(台北) | 第6代 | 李元簇 | 1973年 - 1977年 |
政大(台北) | 第7代 | 欧陽勛 | 1977年 - 1986年 |
政大(台北) | 第8代 | 陳治世 | 1986年 - 1989年 |
政大(台北) | 第9代 | 張京育 | 1989年 - 1994年 |
政大(台北) | 第10代 | 鄭丁旺 | 1994年 - 2000年 |
政大(台北) | 第11代 | 鄭瑞城 | 2000年 - 2006年 |
政大(台北) | 第12代 | 呉思華 | 2006年 - 2014年 |
政大(台北) | 第13代 | 周行一 | 2014年 - 2018年 |
政大(台北) | 第14代 | 郭明政 | 2018年 |
国家元首と政治大学
同窓会組織
- 国立政治大学同窓会ネットワーク一覧表
中国 | アジアとオセアニア | アメリカとヨーロッパ |
---|---|---|
国際認証
国立政治大学の外部認証機関による学校認証は、以下の通り。
- 2006年
- 2012年 (再認証)
- 2010年
- 2013年 (再認証)
- 準会員
- Eduniversal[12]
- 4 Palmes of Excellence - Top Business School with strong global influence.
- Quacquarelli Symonds[13]
- QS Stars Ratings:4 Stars
アカデミア交流
- アカデミア・ネットワーク地域一覧表
中国 | アジア | オセアニア | ヨーロッパ | アフリカ | アメリカ |
---|---|---|---|---|---|
脚注
注釈
出典
- ^ a b “World University Rankings 2015-2016”. Times Higher Education (2015年). October 1, 2015閲覧。
- ^ “QS World University Rankings® 2015/16”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). September 18, 2015閲覧。
- ^ “QS World University Rankings® 2015/16 (extracting Asian universities)”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). September 15, 2015閲覧。
- ^ “QS University Rankings: Asia 2015”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). June 12, 2015閲覧。
- ^ 汪子錫 (2013) (中国語). 中華民国憲法概要. 台湾: 秀威資訊. p. 204. ISBN 9789863260615
- ^ 張其昀, ed. (1983). "政治大學". 中華百科全書 (中国語). 台北: 中国文化大学. 2016年9月27日閲覧。
- ^ James G. McGann, Ph.D. (2017年1月26日). “2016 Global Go To Think Tank Index Report” (pdf) (English). Philadelphia: University of Pennsylvania. p. 61. 2017年2月24日閲覧。
- ^ 蘇思云. 林哲緯: “2019企業が選ぶ人気大学ランキング” (中国語). 台北: Cheers雑誌. 2019年10月14日閲覧。 “2019年「企業最愛碩士生」前5名,分別為台灣大學、政治大學、成功大學、清華大學和交通大學。”
- ^ “トップ大学計画” (中国語). 中華民国教育部. 2014年12月5日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 《交流》, No.879, p.6. 国公立大学5校、私立大学2校を選定した。国立台湾大学、国立成功大学、国立清華大学、国立交通大学、国立政治大学、輔仁大学、東呉大学。
- ^ “Affiliate Directory” (English). Washington DC: Association of Professional Schools of International Affairs (2016年). 2016年9月27日閲覧。
- ^ “The Best Business Schools Ranking in 154 Countries” (English). Paris: Eduniversal Group (2015年). 2016年9月29日閲覧。
- ^ “Top Universities: National Chengchi University” (English). London: Quacquarelli Symonds Limited (2016年). 2016年9月29日閲覧。