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== 沿革 ==
== 沿革 ==
=== 中央党務学校 ===
=== 中央党務学校 ===
政治大学の前身は[[1927年]]に南京において設立された'''[[南京]][[国民政府]]中央党務学校'''であり、当時は[[北伐 (中国国民党)|北伐]]を担う国民党幹部の教育を担当していた。校訓は[[1924年]]に開校した[[陸軍軍官学校 (中華民国)|中央陸軍軍官学校]]と同一の「親愛精誠」であり、これは開校の際に[[介石]]によって決定された。当初は[[国立東南大学]]の校舎を借用していたが、後に[[国立東南大学]]は[[南京大学|国立中央大学]]へ再編していた、中央党務学校は元[[国立東南大学]]の校舎を受け取りました。教員は[[南京大学|国立中央大学]]、[[北京大学|国立北京大学]]から、教育課程はは党務および社会運動、政治宣伝に重点が置かれ、理論、歴史、地理、党組織についての教育が行われていた。中央党務学校の校長は介石であったが、実質的には副教務主任であった羅家倫、谷正綱及び副総務主任の呉挹峰による学校運営であった。
政治大学の前身は[[1927年]]に南京において設立された'''[[南京]][[国民政府]]中央党務学校'''であり、当時は[[北伐 (中国国民党)|北伐]]を担う国民党幹部の教育を担当していた。校訓は[[1924年]]に開校した[[陸軍軍官学校 (中華民国)|中央陸軍軍官学校]]と同一の「親愛精誠」であり、これは開校の際に[[介石]]によって決定された。当初は[[国立東南大学]]の校舎を借用していたが、後に[[国立東南大学]]は[[南京大学|国立中央大学]]へ再編していた、中央党務学校は元[[国立東南大学]]の校舎を受け取りました。教員は[[南京大学|国立中央大学]]、[[北京大学|国立北京大学]]から、教育課程はは党務および社会運動、政治宣伝に重点が置かれ、理論、歴史、地理、党組織についての教育が行われていた。中央党務学校の校長は介石であったが、実質的には副教務主任であった羅家倫、谷正綱及び副総務主任の呉挹峰による学校運営であった。


=== 中央政治学校 ===
=== 中央政治学校 ===
国民党幹部養成に主眼を置いていた中央党務学校であったが、[[1929年]]に'''中央政治学校''' として改編され、政治、財政、地方自治、社会経済学部を設置、のちに教育、外交学部が設置された。[[1937年]]、[[日中戦争]]の影響により重慶に移転すると、教育課程の見直しが行われ、法政、経済、外交、新聞、地政の5学部を、後に新聞事業専修班、新聞専修科、地政専門修科、会計専修科、統計専修科、語文専修科を成立させ、党幹部の養成を強化していった。中国国民党の訓政時期における政治人材の養成学校としての位置づけがなされ、[[中国共産党中央党校]]と[[中国人民大学]]に類似した性格を有していた。
国民党幹部養成に主眼を置いていた中央党務学校であったが、[[1929年]]に'''中央政治学校''' として改編され、政治、財政、地方自治、社会経済学部を設置、のちに教育、外交学部が設置された。[[1937年]]、[[日中戦争]]の影響により重慶に移転すると、教育課程の見直しが行われ、法政、経済、外交、新聞、地政の5学部を、後に新聞事業専修班、新聞専修科、地政専門修科、会計専修科、統計専修科、語文専修科を成立させ、党幹部の養成を強化していった。中国国民党の訓政時期における政治人材の養成学校としての位置づけがなされ、[[中国共産党中央党校]]と[[中国人民大学]]に類似した性格を有していた。
=== 中央幹部学校 ===
=== 中央幹部学校 ===
1944年、[[三民主義青年団]]はエリート幹部を養成のために、中央幹部学校が[[重慶市]]で開校した。当時、学長は[[介石]]で、教育長は[[経国]]を担当していた。中央幹部学校は[[中国共産主義青年団]]の中国青年政治学院に類似した性格を有していた。
1944年、[[三民主義青年団]]はエリート幹部を養成のために、中央幹部学校が[[重慶市]]で開校した。当時、学長は[[介石]]で、教育長は[[経国]]を担当していた。中央幹部学校は[[中国共産主義青年団]]の中国青年政治学院に類似した性格を有していた。
=== 国立政治大学===
=== 国立政治大学===
[[1946年]]、'''中央政治学校'''と'''中央幹部学校'''が合併し、'''国立政治大学'''が誕生する。学長は専任制が採用されると同時に、[[介石]]を終生名誉学長と定めた。[[1949年]]に国共内戦の結果、国民党が中国大陸で不利な形勢になると、政治大学の学生を養成する余裕がなくなり、貧弱な装備の下、学徒出陣が実施された。軍事作戦能力に欠如する学生は敗北を重ね戦死し、わずかに生き残った学生は軍籍のまま[[香港]]を経て台湾に流入した。
[[1946年]]、'''中央政治学校'''と'''中央幹部学校'''が合併し、'''国立政治大学'''が誕生する。学長は専任制が採用されると同時に、[[介石]]を終生名誉学長と定めた。[[1949年]]に国共内戦の結果、国民党が中国大陸で不利な形勢になると、政治大学の学生を養成する余裕がなくなり、貧弱な装備の下、学徒出陣が実施された。軍事作戦能力に欠如する学生は敗北を重ね戦死し、わずかに生き残った学生は軍籍のまま[[香港]]を経て台湾に流入した。


[[中華民国]]政府が台湾に移転した後、反攻[[大陸]]を政治目標としたため台湾での高等教育は無視され、国立大学の復興はもちろん、私立大学の増設も認められなかった。しかし膠着状態が長期化するにつれ、国民党内部でも経済発展のための人材育成の重要性が再認識され、政治大学は国家政治人材養成を目的として政府による高等教育の計画が立案されるようになった。[[第二次世界大戦|戦後]]も、[[日本の降伏]]後から、その前に残した高等教育機関が存在していたが、国民政府の台湾移転により爆発的に増加した人口に対応できていないことから、[[1954年]]に教育部長張其昀は[[行政院]]を要請により、[[台湾省]][[台北県]][[文山区|木柵鎮]]の[[中華民国教育部|教育部]]がある土地を利用して国立政治大学の復活が決定した。この後中国大陸に存在していた有名国立大学、[[国立清華大学]]、[[国立交通大学]]などの復興の先例となった。最初は[[研究科]]だけを設置し、[[1955年]]、国立政治大学は大学部の復活により、台湾で大学としての歴史を歩み始めた。
[[中華民国]]政府が台湾に移転した後、反攻[[大陸]]を政治目標としたため台湾での高等教育は無視され、国立大学の復興はもちろん、私立大学の増設も認められなかった。しかし膠着状態が長期化するにつれ、国民党内部でも経済発展のための人材育成の重要性が再認識され、政治大学は国家政治人材養成を目的として政府による高等教育の計画が立案されるようになった。[[第二次世界大戦|戦後]]も、[[日本の降伏]]後から、その前に残した高等教育機関が存在していたが、国民政府の台湾移転により爆発的に増加した人口に対応できていないことから、[[1954年]]に教育部長張其昀は[[行政院]]を要請により、[[台湾省]][[台北県]][[文山区|木柵鎮]]の[[中華民国教育部|教育部]]がある土地を利用して国立政治大学の復活が決定した。この後中国大陸に存在していた有名国立大学、[[国立清華大学]]、[[国立交通大学]]などの復興の先例となった。最初は[[研究科]]だけを設置し、[[1955年]]、国立政治大学は大学部の復活により、台湾で大学としての歴史を歩み始めた。
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=== 歴代学長 ===
=== 歴代学長 ===
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!区分||代||氏名||任期
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|中央党務学校||初代||介石||1927年 - 1929年
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|政大(南京)||初代||介石||1946年 - 1947年
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|政大(南京)||第2代||顧毓琇||1947年 - 1949年
|政大(南京)||第2代||顧毓琇||1947年 - 1949年
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===国家元首と政治大学===
===国家元首と政治大学===
[[File:Chiang Ching-kuo 1948.jpg|thumb|中央幹部学校教育長:経国]]
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;[[中華民国総統]]
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* [[介石]]:大学学長。
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* [[経国]]:中央幹部学校教育長。
* [[経国]]:中央幹部学校教育長。
* [[李登輝]]:東アジア研究科講師。
* [[李登輝]]:東アジア研究科講師。
* [[馬英九]]:法学部副教授。
* [[馬英九]]:法学部副教授。

2020年9月15日 (火) 13:30時点における版

国立政治大学
政治大学中正図書館
大学設置/創立 1927年
学校種別 国立
設置者 中華民国台湾
本部所在地 中華民国台湾台北市文山区指南路2段64番
北緯24度59分15秒 東経121度34分35秒 / 北緯24.98750度 東経121.57639度 / 24.98750; 121.57639座標: 北緯24度59分15秒 東経121度34分35秒 / 北緯24.98750度 東経121.57639度 / 24.98750; 121.57639
学生数 14,857
キャンパス 文山キャンパス(台北市文山区)
指南キャンパス(台北市文山区)
国際関係センター(台北市文山区)
ビジネスセンター(台北市大安区)
学部 文学部
理学部
法学部
商学部
社会科学部
外国語文学部
コミュニケーション学部
国際事務学部
教育学部
国際イノベーション学部
研究科
文学部
  • 図書情報学研究科
  • 宗教研究科
  • 中国語教学研究科
  • 対外中国語教学研究科
  • 台湾史研究科
  • 台湾文学研究科
理学部
  • 神経科学研究科
  • 応用物理研究科
法学部
  • 法律科学整合研究科
商学部
  • テクノロジーと知的財産研究科
社会科学部
  • 労働問題研究科
  • 国家発展研究科
  • 社会福祉研究科
外国語文学部
  • 言語学研究科
国際事務学部
  • 東アジア研究科
  • ロシア研究科
教育学部
  • 幼児教育研究科
  • 教育行政政策研究科
ウェブサイト http://www.nccu.edu.tw/
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国立政治大学(こくりつせいじだいがく、英語: National Chengchi University [注釈 1]、公用語表記: 國立政治大學)は、中華民国台湾台北市文山区指南路2段64番に本部を置く台湾国立大学1927年創立、1927年大学設置。大学の略称はNCCU、政大。

大学ランキング
全世界
Times[1] 601
QS[2] 551
アジア
Times[1] 171
QS (全世界版)[3]
QS (Asia version)[4]
84

概観

大学全体

前身は1927年5月に南京で設立された南京国民政府中央党務学校にさかのぼる。当時の中国の上級公務員養成の唯一の学校[5]としての性格を有し、卒業生は各官僚として任用されていた。

国共内戦により南京校舎は閉鎖されたが、1954年台湾において復興されると、一般大学生の募集を開始し、人文社会学の総合大学に転換した。現在は文・理・法・商・社会科学・外国語文・コミュニケーション・国際事務・教育の9学院を備え、また幼稚園から博士課程までを擁する中華民国を代表するエリート国立大学となっている。[6][7][8]

2005年10月9日に中華民国教育部より発表されたトップ大学計画の12校に選定され、国際競争力を有す大学への転進を目標に積極的な施設建設や人材育成への投資が実施されている。[9]

日本台湾交流協会は政大を台湾の7名門大学の1校に選定しました。[10]

校章

校章は中華民国国花である梅をかたどったデザインで、国旗である青天白日満地紅旗の三色を使用している。これらは、国家のための人材育成を象徴している。校訓は「親愛精誠」である。[注釈 2]

キャンパス

キャンパス アドレス
文山キャンパス 11605台北市文山区指南路2段64番
指南キャンパス 11666台北市文山区万寿路36番
化南キャンパス 11666台北市文山区新光路1段
国際関係センター 11666台北市文山区万寿路64番
ビジネスセンター 10642台北市大安区金華街187番

附属学校

スクール アドレス
附属高等学校 (中高一貫校) 11656台北市文山区政大1街353番
附属小学校 11651台北市文山区指南路3段12番
附属幼児園 11651台北市文山区指南路2段66番
附属高等学校パブリックアート

沿革

中央党務学校

政治大学の前身は1927年に南京において設立された南京国民政府中央党務学校であり、当時は北伐を担う国民党幹部の教育を担当していた。校訓は1924年に開校した中央陸軍軍官学校と同一の「親愛精誠」であり、これは開校の際に蔣介石によって決定された。当初は国立東南大学の校舎を借用していたが、後に国立東南大学国立中央大学へ再編していた、中央党務学校は元国立東南大学の校舎を受け取りました。教員は国立中央大学国立北京大学から、教育課程はは党務および社会運動、政治宣伝に重点が置かれ、理論、歴史、地理、党組織についての教育が行われていた。中央党務学校の校長は蔣介石であったが、実質的には副教務主任であった羅家倫、谷正綱及び副総務主任の呉挹峰による学校運営であった。

中央政治学校

国民党幹部養成に主眼を置いていた中央党務学校であったが、1929年中央政治学校 として改編され、政治、財政、地方自治、社会経済学部を設置、のちに教育、外交学部が設置された。1937年日中戦争の影響により重慶に移転すると、教育課程の見直しが行われ、法政、経済、外交、新聞、地政の5学部を、後に新聞事業専修班、新聞専修科、地政専門修科、会計専修科、統計専修科、語文専修科を成立させ、党幹部の養成を強化していった。中国国民党の訓政時期における政治人材の養成学校としての位置づけがなされ、中国共産党中央党校中国人民大学に類似した性格を有していた。

中央幹部学校

1944年、三民主義青年団はエリート幹部を養成のために、中央幹部学校が重慶市で開校した。当時、学長は蔣介石で、教育長は蔣経国を担当していた。中央幹部学校は中国共産主義青年団の中国青年政治学院に類似した性格を有していた。

国立政治大学

1946年中央政治学校中央幹部学校が合併し、国立政治大学が誕生する。学長は専任制が採用されると同時に、蔣介石を終生名誉学長と定めた。1949年に国共内戦の結果、国民党が中国大陸で不利な形勢になると、政治大学の学生を養成する余裕がなくなり、貧弱な装備の下、学徒出陣が実施された。軍事作戦能力に欠如する学生は敗北を重ね戦死し、わずかに生き残った学生は軍籍のまま香港を経て台湾に流入した。

中華民国政府が台湾に移転した後、反攻大陸を政治目標としたため台湾での高等教育は無視され、国立大学の復興はもちろん、私立大学の増設も認められなかった。しかし膠着状態が長期化するにつれ、国民党内部でも経済発展のための人材育成の重要性が再認識され、政治大学は国家政治人材養成を目的として政府による高等教育の計画が立案されるようになった。戦後も、日本の降伏後から、その前に残した高等教育機関が存在していたが、国民政府の台湾移転により爆発的に増加した人口に対応できていないことから、1954年に教育部長張其昀は行政院を要請により、台湾省台北県木柵鎮教育部がある土地を利用して国立政治大学の復活が決定した。この後中国大陸に存在していた有名国立大学、国立清華大学国立交通大学などの復興の先例となった。最初は研究科だけを設置し、1955年、国立政治大学は大学部の復活により、台湾で大学としての歴史を歩み始めた。

年表

月日 事跡
1927年 5月20日 南京にて中国国民党中央党務学校として開校
1928年 2月28日 国立東南大学の跡地を受け取る
1929年 7月28日 中央政治学校に改編
1935年 2月28日 研究部を設置し、大学部と連携した高等教育を実施
1937年 9月5日 日中戦争の影響により重慶市へ疎開
四川省衛生局等工業職業学校に移転する
1941年 6月16日 法政科、外交科、経済科を設置し学生募集を再開
1943年 3月1日 中国法曹養成所を設置
1944年 12月1日 中央幹部学校が開校
1946年 8月7日 中央政治学校中央幹部学校を合併し、国立政治大学が開校
大学部、研究部、専修部、公務員訓練部を設置
1948年 7月31日 文学院、法学院、政治経済学院、教育研究所で学生募集を開始
1949年 1月21日 国共内戦の影響により教職員3人及び学生300人余が軍校へ移籍
約80名の学生が戦時内閣警衛軍に参加
事実上の閉校
1950年 4月9日 台北市円山大飯店で約500人の学校関係者が集会を開き、政治大学復興を求める
1954年 6月9日 台湾に移転した中華民国教育部が政治大学再興の計画を提出
1955年 7月13日 国立政治大学が再興
教育学系、政治学系、新聞学系、外交学系、辺政学系を設置、100名の学生募集を行う
1957年 11月13日 文学院、法学院、商学院の3学院、14系の組織への改編が決定
1960年 2月18日 付属実験学校として小学部が開校
1960年 5月5日 夜間部を設置
1964年 9月30日 実習放送局政大之声が放送開始
1977年 9月15日 大学図書館中正図書館が開館
1989年 8月1日 外国語文学部とコミュニケーション学部を設置
1992年 8月1日 空中行政専科進修補習学校の業務内容を国立空中大学へ移管
1993年 8月1日 社会科学部を設置と法学部を独立
2000年 8月1日 国際事務学部を設置
2002年 8月1日 教育学部を設置
2018年 8月1日 国際イノベーション学部を設置

組織

現在は10学院(学部及び研究科)・36学士課程・77修士課程(14社会人対象・6英語授業)・39博士課程・10研究中心を擁し、1.5万人を越える学生が通う校である。

文学部
  • 中国文学科
  • 歴史学科
  • 哲学科
  • 図書情報学研究科
  • 宗教研究科
  • 中国語教学研究科
  • 対外中国語教学研究科
  • 台湾史研究科
  • 台湾文学研究科
  • 中国語教学センター
理学部
  • 応用数学科
  • 心理学科
  • 情報科学科
  • 神経科学研究科
  • 応用物理研究科
  • DCT プログラム
  • MPCG プログラム
  • 心と脳 認知科学センター
法学部
  • 法律学科
  • 法律科学整合研究科
  • LLM プログラム
商学部
  • 国際貿易学科
  • 金融学科
  • 会計学科
  • 統計学科
  • 企業管理学科
  • 情報管理学科
  • 財務管理学科
  • リスクマネジメントと保険学科
  • テクノロジーと知的財産研究科
  • MBA プログラム
  • EMBA プログラム
  • IMBA プログラム
コミュニケーション学部
  • 新聞学科
  • 広告学科
  • テレビ放送学科
  • EMA プログラム
  • CCUDP プログラム
  • IMICS プログラム
  • DCT プログラム
  • 政大之声(実習放送局)
社会科学部
  • 政治学科
  • 社会学科
  • 財政学科
  • 公共行政学科
  • 地政学科
  • 経済学科
  • 民族学科
  • 労働問題研究科
  • 国家発展研究科
  • 社会福祉研究科
  • MEPA プログラム
  • IMES プログラム
  • IMAS プログラム
  • IMDS プログラム
外国語文学部
  • 英語文学科
  • ヨーロッパ語文学科
  • スラヴ語文学科
  • アラビア語文学科
  • トルコ語文学科
  • 日本語文学科
  • 韓国語文学科
  • 言語学研究科
  • 東南アジアプログラム
  • 中東研究プログラム
  • ETMA プログラム
  • 外国語センター
  • 韓国文化教育センター
  • 東南アジアセンター
  • アラビアセンター
国際事務学部
  • 外交学科
  • 東アジア研究科
  • ロシア研究科
  • 国際戦略プログラム
  • 国家安全プログラム
  • 日本研究修士学位プログラム
  • 日本研究博士学位プログラム
  • IMPIS プログラム
教育学部
  • 教育学科
  • 幼児教育研究科
  • 教育行政政策研究科
  • MPCG プログラム
  • MESA プログラム
国際イノベーション学部
  • グローバルガバナンスプログラム
研究センター
  • 国際関係研究センター
  • 選挙研究センター
  • 民間非営利部門研究センター
  • 創造力イノベーション研究センター
  • 中国大陸研究センター
  • 台湾研究センター
  • 台湾原住民研究センター
  • 科学技術・人文価値研究センター
教育センター
  • 公共行政とビジネス教育センター
  • 中国語教育と試験研究センター
  • 校長教育センター
  • 教師教育センター

歴代学長

初代学長:蔣介石
区分 氏名 任期
中央党務学校 初代 蔣介石 1927年 - 1929年
中央政治学校
中央幹部学校
初代 蔣介石 1929年 - 1946年
1944年 - 1946年
政大(南京) 初代 蔣介石 1946年 - 1947年
政大(南京) 第2代 顧毓琇 1947年 - 1949年
政大(南京) 第3代 楊希震 1949年 - 1954年
政大(台北) 第4代 陳大斉 1954年 - 1959年
政大(台北) 第5代 劉季洪 1959年 - 1973年
政大(台北) 第6代 李元簇 1973年 - 1977年
政大(台北) 第7代 欧陽勛 1977年 - 1986年
政大(台北) 第8代 陳治世 1986年 - 1989年
政大(台北) 第9代 張京育 1989年 - 1994年
政大(台北) 第10代 鄭丁旺 1994年 - 2000年
政大(台北) 第11代 鄭瑞城 2000年 - 2006年
政大(台北) 第12代 呉思華 2006年 - 2014年
政大(台北) 第13代 周行一 2014年 - 2018年
政大(台北) 第14代 郭明政 2018年

国家元首と政治大学

中央幹部学校教育長:蔣経国
中華民国総統
中華民国副総統
  • 李元簇:中央政治学校法政学科卒業。
  • 蕭万長:国立政治大学外交学科、研究科卒業。

同窓会組織

政治大学卒業式
国立政治大学同窓会ネットワーク一覧表
中国 アジアとオセアニア アメリカとヨーロッパ

中華民国の旗 中華民国

中華人民共和国の旗 中華人民共和国

国際認証

国立政治大学の外部認証機関による学校認証は、以下の通り。

Association to Advance Collegiate Schools of Business
  • 2006年
  • 2012年 (再認証)
European Quality Improvement System
  • 2010年
  • 2013年 (再認証)
国際関係大学院協会[11]
  • 準会員
Eduniversal[12]
  • 4 Palmes of Excellence - Top Business School with strong global influence.
Quacquarelli Symonds[13]
  • QS Stars Ratings:4 Stars

アカデミア交流

アカデミア・ネットワーク地域一覧表
中国 アジア オセアニア ヨーロッパ アフリカ アメリカ

脚注

注釈

  1. ^ 英語訳はNational University of Governanceである。
  2. ^ 英語訳はHarmony, Independence, Balance and Preeminenceである。

出典

  1. ^ a b World University Rankings 2015-2016”. Times Higher Education (2015年). October 1, 2015閲覧。
  2. ^ QS World University Rankings® 2015/16”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). September 18, 2015閲覧。
  3. ^ QS World University Rankings® 2015/16 (extracting Asian universities)”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). September 15, 2015閲覧。
  4. ^ QS University Rankings: Asia 2015”. Quacquarelli Symonds Limited (2015年). June 12, 2015閲覧。
  5. ^ 汪子錫 (2013) (中国語). 中華民国憲法概要. 台湾: 秀威資訊. p. 204. ISBN 9789863260615 
  6. ^ 張其昀, ed. (1983). "政治大學". 中華百科全書 (中国語). 台北: 中国文化大学. 2016年9月27日閲覧
  7. ^ James G. McGann, Ph.D. (2017年1月26日). “2016 Global Go To Think Tank Index Report” (pdf) (English). Philadelphia: University of Pennsylvania. p. 61. 2017年2月24日閲覧。
  8. ^ 蘇思云. 林哲緯: “2019企業が選ぶ人気大学ランキング” (中国語). 台北: Cheers雑誌. 2019年10月14日閲覧。 “2019年「企業最愛碩士生」前5名,分別為台灣大學、政治大學、成功大學、清華大學和交通大學。”
  9. ^ トップ大学計画” (中国語). 中華民国教育部. 2014年12月5日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ 《交流》, No.879, p.6. 国公立大学5校、私立大学2校を選定した。国立台湾大学国立成功大学国立清華大学国立交通大学、国立政治大学、輔仁大学東呉大学
  11. ^ Affiliate Directory” (English). Washington DC: Association of Professional Schools of International Affairs (2016年). 2016年9月27日閲覧。
  12. ^ The Best Business Schools Ranking in 154 Countries” (English). Paris: Eduniversal Group (2015年). 2016年9月29日閲覧。
  13. ^ Top Universities: National Chengchi University” (English). London: Quacquarelli Symonds Limited (2016年). 2016年9月29日閲覧。

外部リンク