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{{存命人物の出典明記|date=2015-07-04}}
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'''田川 啓二'''(たがわ けいじ 生年月日非公開)、は、[[日本]]の[[ファッションデザイナー]]。[[ビーズ刺]]の[[カリスマ]]と言われる<ref>『[[小説新潮|小説新潮 第60巻 第1~3号]]』 {{small|(p.70)}} 2006年 [[新潮社]]</ref>。[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]出身。ビーズ刺による[[ドレス]]、[[着物]]、[[絵画]]、[[小物]]、[[インテリア]]をはじめ、[[ジュエリー]]、[[時計]]、[[食器]]など、多岐にわたる分野でデザインを手掛けている。
'''田川 啓二'''(たがわ けいじ 生年月日非公開)、は、[[日本]]の[[ファッションデザイナー]]。[[ビーズ刺]]の[[カリスマ]]と言われる<ref>『[[小説新潮|小説新潮 第60巻 第1~3号]]』 {{small|(p.70)}} 2006年 [[新潮社]]</ref>。[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]出身。ビーズ刺による[[ドレス]]、[[着物]]、[[絵画]]、[[小物]]、[[インテリア]]をはじめ、[[ジュエリー]]、[[時計]]、[[食器]]など、多岐にわたる分野でデザインを手掛けている。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
2人兄弟の次男。少年時代、母親が趣味として創作していた[[フランス]][[刺]]に関心を持つ。[[明治大学]]法学部法律学科卒業後、[[レナウン (企業)|レナウンルック]]に勤務し、在職中、ESMODE JAPONに通う。レナウンルックを退職後、フランスの高級刺ブランドの仕事に就く。
2人兄弟の次男。少年時代、母親が趣味として創作していた[[フランス]][[刺]]に関心を持つ。[[明治大学]]法学部法律学科卒業後、[[レナウン (企業)|レナウンルック]]に勤務し、在職中、ESMODE JAPONに通う。レナウンルックを退職後、フランスの高級刺ブランドの仕事に就く。


[[1989年]]、「チリア」を設立。同時期に[[インド]]の[[ムンバイ]]と[[デリー]]に、[[アトリエ]]を設立。
[[1989年]]、「チリア」を設立。同時期に[[インド]]の[[ムンバイ]]と[[デリー]]に、[[アトリエ]]を設立。


[[1996年]]、[[品川区]][[西五反田]]に刺教室「チリアエンブロイダリースタジオ」を開講。
[[1996年]]、[[品川区]][[西五反田]]に刺教室「チリアエンブロイダリースタジオ」を開講。


[[2001年]]以降、NHK『おしゃれ工房』に出演。
[[2001年]]以降、NHK『おしゃれ工房』に出演。
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2009年、[[2010年]]、西武ドームでの「国際バラとガーデニングショー」に参加。バラの育種家・河本純子より、豪奢なオートクチュールドレスを思わせる新作のバラが田川に捧げられ、「クチュールローズ・チリア」と命名。
2009年、[[2010年]]、西武ドームでの「国際バラとガーデニングショー」に参加。バラの育種家・河本純子より、豪奢なオートクチュールドレスを思わせる新作のバラが田川に捧げられ、「クチュールローズ・チリア」と命名。


2009年、婦人服メーカー「ルックモード」よりプレタポルテブランド「JHILMIL(ジルミル)」を発表し、QVC(TV通販)にて随時販売中。また、婦人服メーカー「ルック」のプレタポルテブランド「REMALON mieux」のデザインを一部担当し、贅沢なビーズ刺が施された大きいサイズの婦人服を展開。
2009年、婦人服メーカー「ルックモード」よりプレタポルテブランド「JHILMIL(ジルミル)」を発表し、QVC(TV通販)にて随時販売中。また、婦人服メーカー「ルック」のプレタポルテブランド「REMALON mieux」のデザインを一部担当し、贅沢なビーズ刺が施された大きいサイズの婦人服を展開。


[[2011年]]、「Tilia Jewelry(チリアジュエリー)」のセカンドブランド「SALONI TJ」を発表。
[[2011年]]、「Tilia Jewelry(チリアジュエリー)」のセカンドブランド「SALONI TJ」を発表。


== デザインの特徴 ==
== デザインの特徴 ==
* ビーズ刺の技術はおもに独学で習得した、インドの伝統技術を基本にしている。
* ビーズ刺の技術はおもに独学で習得した、インドの伝統技術を基本にしている。
* アトリエには20,000種類もの材料を常備している。豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで、立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現する。
* アトリエには20,000種類もの材料を常備している。豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで、立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現する。
* ビーズ刺の作品が動いたときに生じる、反射光の変化を「ビーズ刺の一番の魅力」とし、デザイン時に最大限の力を注ぐ。
* ビーズ刺の作品が動いたときに生じる、反射光の変化を「ビーズ刺の一番の魅力」とし、デザイン時に最大限の力を注ぐ。
* ドレスの制作においては、作品をモデルに試着させ、動いた時の反射光をあらゆる角度からチェックし、調整するプロセスを重視する。
* ドレスの制作においては、作品をモデルに試着させ、動いた時の反射光をあらゆる角度からチェックし、調整するプロセスを重視する。
* [[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]や[[クロード・モネ|モネ]]らの著名な絵画のビーズ刺による[[模写]]や、『[[不思議の国のアリス]]』の世界を再現した作品などを数多く手がける。
* [[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]や[[クロード・モネ|モネ]]らの著名な絵画のビーズ刺による[[模写]]や、『[[不思議の国のアリス]]』の世界を再現した作品などを数多く手がける。


== エピソード ==
== エピソード ==
* インドでの刺技術の習得は、職人たちと言葉がほとんど通じなかったため、観察とボディ・ランゲージが中心であった。
* インドでの刺技術の習得は、職人たちと言葉がほとんど通じなかったため、観察とボディ・ランゲージが中心であった。
* [[ガーデニング]]や[[料理]]、着物や[[ブリキ]]製玩具のコレクションなど、多趣味な人物でもある。
* [[ガーデニング]]や[[料理]]、着物や[[ブリキ]]製玩具のコレクションなど、多趣味な人物でもある。
* 社名「チリア」は[[ヒンディー語]]で「すずめなどの小鳥」を意味する。
* 社名「チリア」は[[ヒンディー語]]で「すずめなどの小鳥」を意味する。
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== 著書 ==
== 著書 ==
* 『フレンチテイストのビーズ刺』(2001年 [[文化出版局]])
* 『フレンチテイストのビーズ刺』(2001年 [[文化出版局]])
* 『オートクチュールビーズ刺の本』(2001年 日本ヴォーグ社)
* 『オートクチュールビーズ刺の本』(2001年 日本ヴォーグ社)
* 『フラワーモチーフのビーズ刺』(2002年 文化出版局)
* 『フラワーモチーフのビーズ刺』(2002年 文化出版局)
* 『あこがれのビーズ刺アクセサリー』(2002年 [[講談社]])
* 『あこがれのビーズ刺アクセサリー』(2002年 [[講談社]])
* 『ビーズ刺しゅうのバッグ&小物』(2003年 ブティック社)
* 『ビーズ刺しゅうのバッグ&小物』(2003年 ブティック社)
* 『モチーフ100からはじめるビーズ刺しゅう』(2003年 [[NHK出版]])
* 『モチーフ100からはじめるビーズ刺しゅう』(2003年 [[NHK出版]])
* 『田川啓二の世界 オートクチュールビーズ刺』(2003年 [[学研]])
* 『田川啓二の世界 オートクチュールビーズ刺』(2003年 [[学研]])


== 出典 ==
== 出典 ==
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[[Category:日本の宝飾デザイナー]]
[[Category:日本の宝飾デザイナー]]
[[Category:ビーズ作家]]
[[Category:ビーズ作家]]
[[Category:刺作家]]
[[Category:刺作家]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
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2020年9月15日 (火) 12:56時点における版

田川 啓二(たがわ けいじ 生年月日非公開)、は、日本ファッションデザイナービーズ刺繡カリスマと言われる[1]東京都港区出身。ビーズ刺繡によるドレス着物絵画小物インテリアをはじめ、ジュエリー時計食器など、多岐にわたる分野でデザインを手掛けている。

来歴

2人兄弟の次男。少年時代、母親が趣味として創作していたフランス刺繡に関心を持つ。明治大学法学部法律学科卒業後、レナウンルックに勤務し、在職中、ESMODE JAPONに通う。レナウンルックを退職後、フランスの高級刺繡ブランドの仕事に就く。

1989年、「チリア」を設立。同時期にインドムンバイデリーに、アトリエを設立。

1996年品川区西五反田に刺繡教室「チリアエンブロイダリースタジオ」を開講。

2001年以降、NHK『おしゃれ工房』に出演。

2004年以降、東京ドームでの「東京国際キルトフェスティバル」に参加。

2004年三越日本橋新館に「Tilia Exquisite」を開店。2008年、同店閉店。

2004年、新高輪プリンスホテルにて、田川啓二プロデュースによるイブニングドレスだけの贅沢なクリスマスファッションディナーショーを開催。

2005年、ジュエリーデザイナーとしてブランド「Tilia Jewelry」を立ち上げ、同年1月に開催された第16回国際宝飾展に初出展。

2007年以降、東京ドームでの「テーブルウェア・フェスティバル」に参加。

2007年より、毎年12月に行われる「徹子の部屋コンサート」で、黒柳徹子の衣装を手がける。6組のゲストにあわせ、黒柳のために毎回6体のドレスを提供。

2008年、アメリカ ヒューストン、ウエスティン・オークスホテルのボールルームにおいて、イブニングドレスのみのチャリティファッションショーを開催。

2009年以降、NHK『すてきにハンドメイド』に出演。

2009年、2010年、西武ドームでの「国際バラとガーデニングショー」に参加。バラの育種家・河本純子より、豪奢なオートクチュールドレスを思わせる新作のバラが田川に捧げられ、「クチュールローズ・チリア」と命名。

2009年、婦人服メーカー「ルックモード」よりプレタポルテブランド「JHILMIL(ジルミル)」を発表し、QVC(TV通販)にて随時販売中。また、婦人服メーカー「ルック」のプレタポルテブランド「REMALON mieux」のデザインを一部担当し、贅沢なビーズ刺繡が施された大きいサイズの婦人服を展開。

2011年、「Tilia Jewelry(チリアジュエリー)」のセカンドブランド「SALONI TJ」を発表。

デザインの特徴

  • ビーズ刺繡の技術はおもに独学で習得した、インドの伝統技術を基本にしている。
  • アトリエには20,000種類もの材料を常備している。豊富な材料と技法を複雑かつ高密度に組み合わせることで、立体的で繊細な陰影、色彩、光彩、グラデーションを表現する。
  • ビーズ刺繡の作品が動いたときに生じる、反射光の変化を「ビーズ刺繡の一番の魅力」とし、デザイン時に最大限の力を注ぐ。
  • ドレスの制作においては、作品をモデルに試着させ、動いた時の反射光をあらゆる角度からチェックし、調整するプロセスを重視する。
  • ゴッホモネらの著名な絵画のビーズ刺繡による模写や、『不思議の国のアリス』の世界を再現した作品などを数多く手がける。

エピソード

  • インドでの刺繡技術の習得は、職人たちと言葉がほとんど通じなかったため、観察とボディ・ランゲージが中心であった。
  • ガーデニング料理、着物やブリキ製玩具のコレクションなど、多趣味な人物でもある。
  • 社名「チリア」はヒンディー語で「すずめなどの小鳥」を意味する。
  • 兄の田川雅一は株式会社ベネディクトを経営するグラフィックデザイナーであった。

著名人による着用

ブランド

  • TILIA
  • TILIA la table
  • Tilia Jewelry
  • Tilia Japon
  • Tilia Chic
  • Tilia Haute Couture

著書

  • 『フレンチテイストのビーズ刺繡』(2001年 文化出版局
  • 『オートクチュールビーズ刺繡の本』(2001年 日本ヴォーグ社)
  • 『フラワーモチーフのビーズ刺繡』(2002年 文化出版局)
  • 『あこがれのビーズ刺繡アクセサリー』(2002年 講談社
  • 『ビーズ刺しゅうのバッグ&小物』(2003年 ブティック社)
  • 『モチーフ100からはじめるビーズ刺しゅう』(2003年 NHK出版
  • 『田川啓二の世界 オートクチュールビーズ刺繡』(2003年 学研

出典

外部リンク