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「紫禁城の落日」の版間の差分

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== あらすじ ==
== あらすじ ==
[[辛亥革命]]後、形骸と化した[[清|清王朝]]の再興に燃える若き皇帝、愛新覚羅溥儀(日向)は[[1922年]]、2人の妻と結婚する。側室の[[文]]([[英りお]])は楚々とした聡明な女性だったが、溥儀は正妻である[[婉容]](毬藻)の率直さ・朗らかさに強く惹かれる。婉容もまた、優しく頼もしい溥儀に思いを寄せるが、宮廷の慣習に戒められる二人は、徐々にすれ違いを重ねてゆく。
[[辛亥革命]]後、形骸と化した[[清|清王朝]]の再興に燃える若き皇帝、愛新覚羅溥儀(日向)は[[1922年]]、2人の妻と結婚する。側室の[[文]]([[英りお]])は楚々とした聡明な女性だったが、溥儀は正妻である[[婉容]](毬藻)の率直さ・朗らかさに強く惹かれる。婉容もまた、優しく頼もしい溥儀に思いを寄せるが、宮廷の慣習に戒められる二人は、徐々にすれ違いを重ねてゆく。


[[1924年]]、クーデターが勃発し、溥儀は[[紫禁城]]退去を余儀なくされ、[[日本軍]]の中将・吉岡([[麻月鞠緒]])から[[満州]]への亡命と、[[満州国|新帝国]]皇帝としての即位を勧められる。紫禁城の仰々しい慣習に辟易していた婉容はこれを喜ぶが、溥儀は清朝の象徴である紫禁城を守りきれなかったことを悔やみ、玉座と居城の奪還を、固く誓うのであった。
[[1924年]]、クーデターが勃発し、溥儀は[[紫禁城]]退去を余儀なくされ、[[日本軍]]の中将・吉岡([[麻月鞠緒]])から[[満州]]への亡命と、[[満州国|新帝国]]皇帝としての即位を勧められる。紫禁城の仰々しい慣習に辟易していた婉容はこれを喜ぶが、溥儀は清朝の象徴である紫禁城を守りきれなかったことを悔やみ、玉座と居城の奪還を、固く誓うのであった。
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第二次世界大戦の終戦間近、[[通化市|通化]]への[[亡命]]を前にして婉容は病に倒れる。それでも気丈に振る舞い、最後まで溥儀への諫言をやめない婉容だったが、ついに力尽き夫の腕の中で事切れる。最後まで愛する妻に自由を与えられなかったことを悔やみ、慟哭する溥儀。
第二次世界大戦の終戦間近、[[通化市|通化]]への[[亡命]]を前にして婉容は病に倒れる。それでも気丈に振る舞い、最後まで溥儀への諫言をやめない婉容だったが、ついに力尽き夫の腕の中で事切れる。最後まで愛する妻に自由を与えられなかったことを悔やみ、慟哭する溥儀。


1945年、溥儀は溥傑とともに、日本軍将校・倉石([[麻路さき]])の手引きで日本への亡命を図る。しかし、飛行場に現れたのはソビエト連邦軍機であった。紫禁城時代から長く愛新覚羅家に仕えた女官・麗華([[邦なつき]])が、愛新覚羅家の凋落を嘆き、その帰責を溥儀に求めてソ連に密告したためであった。かつて溥儀が無情に解雇した[[宦官]]たちも現れ、溥儀に裁かれることを求める。倉石を通じて日本軍を頼ることも、また蒙古軍を率いて溥儀の救援にかけつけた文を頼ることも、溥儀には可能であった。しかし、血を流してまで皇位に執着することを是とせず、自らソ連軍の捕虜となることを望む。その姿に、もはや皇帝ではない、一個の人間としての潔さを見た溥傑は、臣下としての礼を捨て、初めて溥儀に「兄上」と呼びかける。大いなる落日に照らされながら、溥儀はあの沈みゆく落日のごとく、命の尽きる最後の最後まで、輝いて生きることを誓うのだった。
1945年、溥儀は溥傑とともに、日本軍将校・倉石([[麻路さき]])の手引きで日本への亡命を図る。しかし、飛行場に現れたのはソビエト連邦軍機であった。紫禁城時代から長く愛新覚羅家に仕えた女官・麗華([[邦なつき]])が、愛新覚羅家の凋落を嘆き、その帰責を溥儀に求めてソ連に密告したためであった。かつて溥儀が無情に解雇した[[宦官]]たちも現れ、溥儀に裁かれることを求める。倉石を通じて日本軍を頼ることも、また蒙古軍を率いて溥儀の救援にかけつけた文を頼ることも、溥儀には可能であった。しかし、血を流してまで皇位に執着することを是とせず、自らソ連軍の捕虜となることを望む。その姿に、もはや皇帝ではない、一個の人間としての潔さを見た溥傑は、臣下としての礼を捨て、初めて溥儀に「兄上」と呼びかける。大いなる落日に照らされながら、溥儀はあの沈みゆく落日のごとく、命の尽きる最後の最後まで、輝いて生きることを誓うのだった。


== 主な配役 ==
== 主な配役 ==
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*[[愛新覚羅浩]]:[[白城あやか]]([[星奈優里]])
*[[愛新覚羅浩]]:[[白城あやか]]([[星奈優里]])
*倉石信吾:[[麻路さき]]{{Sfn|80年史|1994|p=348}}([[神田智]]{{Sfn|80年史|1994|p=350、356}})
*倉石信吾:[[麻路さき]]{{Sfn|80年史|1994|p=348}}([[神田智]]{{Sfn|80年史|1994|p=350、356}})
*[[文]]:[[英りお]]{{Sfn|80年史|1994|p=348}}([[万理沙ひとみ]])
*[[文]]:[[英りお]]{{Sfn|80年史|1994|p=348}}([[万理沙ひとみ]])
*[[吉岡安直]]:[[麻月鞠緒]](専科、特別出演)([[真中ひかる]])
*[[吉岡安直]]:[[麻月鞠緒]](専科、特別出演)([[真中ひかる]])
*柳場俊子:[[洲悠花]]([[朋舞花]])
*柳場俊子:[[洲悠花]]([[朋舞花]])

2020年9月15日 (火) 12:55時点における版

紫禁城の落日
脚本植田紳爾
初演日1991年11月1日 (1991-11-01)
初演場所宝塚大劇場
オリジナル言語日本語
ジャンル宝塚歌劇

紫禁城の落日』(しきんじょうのらくじつ)は、宝塚歌劇団星組[1]で上演されたミュージカル作品。1991年11月1日から12月15日[2](新人公演:11月19日[3])に宝塚大劇場1992年3月5日から3月31日[4](新人公演:3月17日[5])に東京宝塚劇場で上演された。

形式名は「VISAシアター 宝塚グランド・ロマン[1]」。2部35場[1]

第一部の副題は「幻影の王国[1]」、第二部は「流転の皇帝[1]」。併演作品のない1本立ての作品。

星組トップコンビ、日向薫毬藻えりのサヨナラ公演となった。

あらすじ

辛亥革命後、形骸と化した清王朝の再興に燃える若き皇帝、愛新覚羅溥儀(日向)は1922年、2人の妻と結婚する。側室の文繡英りお)は楚々とした聡明な女性だったが、溥儀は正妻である婉容(毬藻)の率直さ・朗らかさに強く惹かれる。婉容もまた、優しく頼もしい溥儀に思いを寄せるが、宮廷の慣習に戒められる二人は、徐々にすれ違いを重ねてゆく。

1924年、クーデターが勃発し、溥儀は紫禁城退去を余儀なくされ、日本軍の中将・吉岡(麻月鞠緒)から満州への亡命と、新帝国皇帝としての即位を勧められる。紫禁城の仰々しい慣習に辟易していた婉容はこれを喜ぶが、溥儀は清朝の象徴である紫禁城を守りきれなかったことを悔やみ、玉座と居城の奪還を、固く誓うのであった。

しかし、満州での生活は、溥儀・婉容両人にとって過酷なものであった。溥儀は、皇帝とは名ばかりの傀儡として扱われ、ことあるごとに日本軍の干渉と愚弄を受ける。婉容は、紫禁城時代以上に自由を制限された生活に耐えられず、いつしかアヘンに溺れてしまう。

このような状況下で、留学中に日本人女性(浩、白城あやか)と結婚した弟・溥傑(紫苑ゆう)に、溥儀は激しい怒りをぶつける。溥傑は幼い頃から、臣下としての分を弁え、兄である溥儀によく仕えていた。その弟が、憎き日本の女性と結婚したことに裏切りを感じ、溥傑の妻・浩に冷たくあたる溥儀。しかし、あることから浩の「愛新覚羅浩」としての覚悟を知り、和解に至る。心から愛する妻と、尊敬する兄との和解を、溥傑は浩と手を取り合って喜ぶのであった。

第二次世界大戦の終戦間近、通化への亡命を前にして婉容は病に倒れる。それでも気丈に振る舞い、最後まで溥儀への諫言をやめない婉容だったが、ついに力尽き夫の腕の中で事切れる。最後まで愛する妻に自由を与えられなかったことを悔やみ、慟哭する溥儀。

1945年、溥儀は溥傑とともに、日本軍将校・倉石(麻路さき)の手引きで日本への亡命を図る。しかし、飛行場に現れたのはソビエト連邦軍機であった。紫禁城時代から長く愛新覚羅家に仕えた女官・麗華(邦なつき)が、愛新覚羅家の凋落を嘆き、その帰責を溥儀に求めてソ連に密告したためであった。かつて溥儀が無情に解雇した宦官たちも現れ、溥儀に裁かれることを求める。倉石を通じて日本軍を頼ることも、また蒙古軍を率いて溥儀の救援にかけつけた文繡を頼ることも、溥儀には可能であった。しかし、血を流してまで皇位に執着することを是とせず、自らソ連軍の捕虜となることを望む。その姿に、もはや皇帝ではない、一個の人間としての潔さを見た溥傑は、臣下としての礼を捨て、初めて溥儀に「兄上」と呼びかける。大いなる落日に照らされながら、溥儀はあの沈みゆく落日のごとく、命の尽きる最後の最後まで、輝いて生きることを誓うのだった。

主な配役

括弧は新人公演、不明点は省略。

スタッフ

括弧に文字がなければ両劇場共通。

脚注

  1. ^ a b c d e f 80年史 1994, p. 348、354.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 80年史 1994, p. 348.
  3. ^ 80年史 1994, p. 350.
  4. ^ a b c d 80年史 1994, p. 354.
  5. ^ 80年史 1994, p. 356.
  6. ^ a b c 80年史 1994, p. 350、356.

参考文献

企画・構成・執筆:橋本雅夫 著、編集統括:北川方英 編『夢を描いて華やかに―宝塚歌劇80年史―』宝塚歌劇団、1994年9月9日。ISBN 4-924333-11-5