コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「絶影」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
3行目: 3行目:
'''絶影'''(ぜつえい)とは、[[中国]]の[[後漢]]末期に活躍した[[ウマ|馬]]の名前。[[曹操]]の乗馬。名前の由来は影を留めないほどの速さからとされる。
'''絶影'''(ぜつえい)とは、[[中国]]の[[後漢]]末期に活躍した[[ウマ|馬]]の名前。[[曹操]]の乗馬。名前の由来は影を留めないほどの速さからとされる。


『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』武帝紀注引『[[魏書]]』によれば、絶影は曹操の乗る馬であり、曹操が[[張]]から夜襲を受け、宛城から脱出する際に額と足に矢を受けた。
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』武帝紀注引『[[魏書]]』によれば、絶影は曹操の乗る馬であり、曹操が[[張]]から夜襲を受け、宛城から脱出する際に額と足に矢を受けた。


小説『[[三国志演義]]』には絶影という名前では登場しない。同じ場面を『演義』は、3本の矢を受けながら脱出に成功するも、大宛馬(無名)は逃亡の途中で目を射られて死亡したとしている。
小説『[[三国志演義]]』には絶影という名前では登場しない。同じ場面を『演義』は、3本の矢を受けながら脱出に成功するも、大宛馬(無名)は逃亡の途中で目を射られて死亡したとしている。

2020年9月15日 (火) 12:47時点における版

絶影(ぜつえい)とは、中国後漢末期に活躍したの名前。曹操の乗馬。名前の由来は影を留めないほどの速さからとされる。

三国志』武帝紀注引『魏書』によれば、絶影は曹操の乗る馬であり、曹操が張繡から夜襲を受け、宛城から脱出する際に額と足に矢を受けた。

小説『三国志演義』には絶影という名前では登場しない。同じ場面を『演義』は、3本の矢を受けながら脱出に成功するも、大宛馬(無名)は逃亡の途中で目を射られて死亡したとしている。