「物部熊」の版間の差分
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2020年9月14日 (月) 23:11時点における最新版
時代 | 飛鳥時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
主君 | 斉明天皇 |
氏族 | 物部連 |
経歴
[編集]物部熊の名前が登場するのは、『日本書紀』巻第二十七の斉明天皇7年(661年)8月の項目のみである。
さらに『書紀』巻第二十七によると、天智天皇2年(663年)3月に、
とあり、ここでは阿倍比羅夫を除いて、2年前の百済救援軍の将軍が一新されている。これは、661年の段階の本隊は派遣されずに、改めて編成され直したという説と、斉明7年の軍と天智2年の軍とでは、百済救援と直接新羅攻撃とで軍団の目的が異なっている、という説とがある。あるいは、先発隊と後発隊ということだったのではないか、と直木孝次郎は見ている。
以上のような事情で、白村江の戦いで、物部熊がどうなったのか、参加していたのか否かすら分かってはいない。