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[[中華民国]]が成立すると、[[1913年]]([[中華民国暦|民国]]2年)、武隆分州は'''武隆分県'''に改称、[[1942年]](民国31年)には'''武隆設治局'''とされた。[[1945年]](民国34年)1月、'''武隆県'''に昇格した。[[2016年]]11月に市轄区の'''武隆区'''に改編され現在に至る。 |
2020年9月14日 (月) 22:49時点における版
中華人民共和国 重慶直轄市 武隆区 | |
---|---|
中国南方カルスト・天生三橋 | |
重慶市中の武隆区の位置 | |
簡体字 | 武隆 |
繁体字 | 武隆 |
拼音 | Wŭlóng |
カタカナ転写 | ウーロン |
国家 | 中華人民共和国 |
直轄市 | 重慶 |
行政級別 | 市轄区 |
建置 | 唐代 |
改称 | 明代 |
面積 | |
総面積 | 2,872 km² |
人口 | |
総人口(2008) | 40.84 万人 |
経済 | |
電話番号 | 023 |
郵便番号 | 408500 |
行政区画代碼 | 500232 |
武隆区(ぶりゅうく)は中華人民共和国重慶市に位置する市轄区。
地理
烏江が東西に流れ、観光地として知られる芙蓉江が合流している。
歴史
619年(武徳2年)、唐朝により設置された武竜県を前身とする。1380年(洪武13年)に広西に同名の県が存在したことより武隆県に改称されたが、清朝が成立すると1668年(康熙7年)に武隆県は廃止され涪州に編入、武隆巡検司が新に設置、1802年(嘉慶7年)には武隆分州と改編された。
中華民国が成立すると、1913年(民国2年)、武隆分州は武隆分県に改称、1942年(民国31年)には武隆設治局とされた。1945年(民国34年)1月、武隆県に昇格した。2016年11月に市轄区の武隆区に改編され現在に至る。
行政区画
→「中華人民共和国の行政区分」を参照
下部に4街道、10鎮、8郷、4民族郷を管轄する。
- 街道
- 鳳山街道、芙蓉街道、羊角街道、仙女山街道
- 鎮
- 白馬鎮、江口鎮、火炉鎮、鴨江鎮、長壩鎮、平橋鎮、桐梓鎮、和順鎮、双河鎮、鳳来鎮
- 郷
- 廟埡郷、黄鶯郷、滄溝郷、土地郷、白雲郷、接竜郷、趙家郷、大洞河郷
- 民族郷
- 石橋ミャオ族トゥチャ族郷、文復ミャオ族トゥチャ族郷、後坪ミャオ族トゥチャ族郷、浩口ミャオ族コーラオ族郷
名所・旧跡・観光スポット
交通
- 鉄道
- 道路
- 高速道路
健康・医療・衛生
- 武隆区中医院
- 武隆区婦幼保健院
- 福康医院
- 武隆区人民医院
関連項目
外部リンク
- 調査中