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[[後唐]]の[[清泰]]年間に[[進士]]に及第する。[[後周]]の時代に[[刑部]][[侍郎]]の官位に就いていた。宋の時代には、[[戸部 (六部)|戸部]]侍郎に加え[[兵部]]侍郎・[[吏部]]侍郎に任ぜられた。[[開宝]]6年([[973年]])に[[参知政事]]・[[門下侍郎]]に上がった薛居正は、[[盧多遜]]・[[扈蒙]]らが命を受けて編纂した『五代史』を監修した。『五代史』はまたの名を『梁唐晋漢周書』といい、後に[[欧陽脩]]の『[[新五代史]]』と区別するため、『[[旧五代史]]』と改められた。 |
2020年9月14日 (月) 22:43時点における版
二十四史 |
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中華民國版『清史』 |
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薛 居正(せつ きょせい、912年 - 981年)は、北宋の史学家。字は子平。諡は文恵。汴州浚儀県の人。
後唐の清泰年間に進士に及第する。後周の時代に刑部侍郎の官位に就いていた。宋の時代には、戸部侍郎に加え兵部侍郎・吏部侍郎に任ぜられた。開宝6年(973年)に参知政事・門下侍郎に上がった薛居正は、盧多遜・扈蒙らが命を受けて編纂した『五代史』を監修した。『五代史』はまたの名を『梁唐晋漢周書』といい、後に欧陽脩の『新五代史』と区別するため、『旧五代史』と改められた。
同平章事を経て太平興国4年(979年)に司空まで上がった。最期は丹砂の中毒で死んだ。太平興国6年(981年)に70歳で没した。著書に『文恵集』がある。