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'''膠西郡'''(こうせい-ぐん)は、[[中国]]にかつて存在した[[郡]]。[[秦|秦代]]から[[漢|漢代]]にかけて、現在の[[山東省]][[イ坊市|濰坊市]]一帯に設置された。 |
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'''膠西郡'''(こうせい-ぐん)は、[[中国]]にかつて存在した[[郡]]。[[秦|秦代]]から[[漢|漢代]]にかけて、現在の[[山東省]][[濰坊市]]一帯に設置された。 |
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== 概要 == |
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== 概要 == |
2020年9月6日 (日) 04:47時点における最新版
膠西郡(こうせい-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。秦代から漢代にかけて、現在の山東省濰坊市一帯に設置された。
秦により膠西郡が立てられた。
紀元前201年(漢の高帝6年)、劉肥が斉王となり、膠東郡・膠西郡・臨菑郡・済北郡・博陽郡・城陽郡の73県を管轄する斉国が立てられた[1]。
紀元前164年(文帝16年)、劉卬が膠西王となり、膠西国が立てられた[2]。紀元前108年(元封3年)、膠西王劉端が死去すると、後嗣がなく、膠西国は廃止され、膠西郡と改められた[3]。紀元前73年(本始元年)、広陵王劉胥の末子劉弘が高密王となり、膠西郡は廃止されて高密国が置かれた[4]。
- ^ 『漢書』高帝紀
- ^ 『漢書』高五王伝
- ^ 『漢書』景十三王伝
- ^ 『漢書』宣帝紀