「茶馬古道」の版間の差分
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[[7世紀]]の[[唐]]や[[吐蕃]]の時代にはすでに交易が始められ、[[20世紀]]中ごろが流通の絶頂期と言われていて、[[毛沢東]]が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた。雲南省南部の[[モウ臘県|易武]]が起点。途中、[[景洪市]]や[[普洱市|プーアル]]、[[寧ジハニ族イ族自治県|那柯里]]などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上し、[[南澗イ族自治県|虎街]]では町の真ん中を茶馬古道が通っている。その後、雲南の最初の王国・[[南詔|南詔国]]の都・[[巍山イ族回族自治県|巍山]]から[[大理]]を経由し、[[麗江市]]からは[[長江]]沿いを行き、[[ソンツェリン寺|ガダン・ソンザンリン寺院]]などを経由しながら雲南を出る。 |
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[[チベット]] 、[[ミャンマー]] 、[[ネパール]] 、[[インド]] などへ抜ける幾つかのコースがある。[[四川省]]を起点とするコースも含める<ref>藤木庸介, 北山めぐみ, [https://www.aij.or.jp/paper/detail.html?productId=299152 「6005 茶馬古道沿いに見る建築的様相の報告 その1 : 麗江古城周辺から大理古城周辺を事例として(農村計画)」『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系』 47号 p.365-368, 2007-05-22 社団法人[[日本建築学会]], {{naid|110007052831}}、(登録必要)</ref>。 |
[[チベット]] 、[[ミャンマー]] 、[[ネパール]] 、[[インド]] などへ抜ける幾つかのコースがある。[[四川省]]を起点とするコースも含める<ref>藤木庸介, 北山めぐみ, [https://www.aij.or.jp/paper/detail.html?productId=299152 「6005 茶馬古道沿いに見る建築的様相の報告 その1 : 麗江古城周辺から大理古城周辺を事例として(農村計画)」『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系』 47号 p.365-368, 2007-05-22 社団法人[[日本建築学会]], {{naid|110007052831}}、(登録必要)</ref>。 |
2020年9月3日 (木) 11:27時点における版
茶馬古道(ちゃばこどう)とは雲南省で取れた茶(磚茶)をチベットへ人および馬で運んだことから名付けられた交易路である。
概説
7世紀の唐や吐蕃の時代にはすでに交易が始められ、20世紀中ごろが流通の絶頂期と言われていて、毛沢東が自動車道を雲南に作るまでこの茶馬古道は使われていた。雲南省南部の易武が起点。途中、景洪市やプーアル、那柯里などのメコン川沿いで寝泊まりしながら雲南省を北上し、虎街では町の真ん中を茶馬古道が通っている。その後、雲南の最初の王国・南詔国の都・巍山から大理を経由し、麗江市からは長江沿いを行き、ガダン・ソンザンリン寺院などを経由しながら雲南を出る。
チベット 、ミャンマー 、ネパール 、インド などへ抜ける幾つかのコースがある。四川省を起点とするコースも含める[1]。
主な交易品は雲南地域より塩、茶、銀製品、食料品、布製品、日用品など。チベット地域より毛織物、薬草、毛皮など。チベットを経由してインド・ネパールで生産されたの物資も雲南に届いたと言う。茶馬古道の要衝といわれる有名な都市にラサ、徳欽、迪慶、昌都(Qamdo)、芒康(Mar-kham)、麗江、大理、思茅などがある。
脚注
- ^ 藤木庸介, 北山めぐみ, 「6005 茶馬古道沿いに見る建築的様相の報告 その1 : 麗江古城周辺から大理古城周辺を事例として(農村計画)」『日本建築学会近畿支部研究報告集. 計画系』 47号 p.365-368, 2007-05-22 社団法人日本建築学会, NAID [https://ci.nii.ac.jp/naid/110007052831 110007052831、(登録必要)