コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「チャールズ・オハラ (初代ティローリー男爵)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
Cewbot (会話 | 投稿記録)
36行目: 36行目:
[[Category:1650年生]]
[[Category:1650年生]]
[[Category:1724年没]]
[[Category:1724年没]]
[[Category:メイヨー出身の人物]]
[[Category:メイヨー出身の人物]]
[[Category:アイルランドの男爵]]
[[Category:アイルランドの男爵]]
[[Category:アイルランドの軍人]]
[[Category:アイルランドの軍人]]

2020年9月2日 (水) 13:24時点における版

初代ティローリー男爵チャールズ・オハラ中将英語: Charles O'Hara, 1st Baron Tyrawley1650年頃 - 1724年6月9日)は、アイルランド王国出身のイギリス陸軍軍人。アイルランド軍総指揮官英語版を務めたことで知られる(在任:1714年 - 1721年)。

生涯

17世紀中期、アイルランド王国で生まれた。叙爵の特許状ではスライゴ県出身とされたものの、メイヨー県の出身とする説もある[1]。1675年に渡仏してジェームズ・バトラー(後の第2代オーモンド公爵)に乗馬を教えたとされ、1678年にヨーク公の歩兵連隊での辞令を得て大尉として入隊した[2]。1679年に英蘭旅団に転じ、1686年に近衛歩兵第一連隊に転じた[2]。1689年、同連隊の中佐になった[2]

スペイン継承戦争中の1702年にカディスに向かい、ビーゴ湾の海戦で戦功を立てたが、帰国の道中に略奪に働いたとして逮捕された[2]。後に無罪放免されてスペインにおける副総指揮官に任命され、フランス軍のグアダラハラ攻撃を阻止してティローリー男爵に叙された[2]。1707年のアルマンサの戦いでは左翼を率いた[2]。戦闘で負傷したものの騎兵とともにトゥルトーザまで退き、翌年までに帰国した[1]

1710年5月25日に貴族院議員に就任、枢密顧問官に任命された後、1714年に国王ジョージ1世によって再び枢密顧問官に任命された[1]

1714年11月6日、連隊長の職を息子に譲った後アイルランド軍総指揮官英語版に任命され[3]、1721年まで務めた[1]。1724年6月8日/9日に死去、11日にダブリンで埋葬された[1]

家族

フランシス・ローズ(Frances Rouse、1738年11月10日没)と結婚して1男1女をもうけた[1]

  • ジェームズ(1682年 - 1774年) - 第2代ティローリー男爵
  • メアリー(1759年没)

脚注

  1. ^ a b c d e f Balkiston, Herbert Edward Douglas (1895). "O'Hara, Charles (1640?-1724)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 42. London: Smith, Elder & Co. pp. 60–61.
  2. ^ a b c d e f Childs, John. "O'Hara, Charles, first Baron Tyrawley". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/20632 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ "No. 5275". The London Gazette (英語). 6 November 1714. p. 2.
軍職
先代
エドワード・フィッツパトリック英語版
兵站連隊英語版
1696年 - 1713年
次代
ジェームズ・オハラ
先代
ウィリアム・ステュアート英語版
アイルランド軍総指揮官英語版
1714年 - 1721年
次代
シャノン子爵
アイルランドの爵位
爵位創設 ティローリー男爵
1706年 - 1724年
次代
ジェームズ・オハラ