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===出自===
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ウォローはアイルランド[[ウェストミース]][[マリンガー]]のTally-Ho Studで生まれた。<br>
ウォローはアイルランド[[ウェストミース]][[マリンガー]]のTally-Ho Studで生まれた。<br>
父Wolver Hollowは[[ソヴリンパス]]の産駒で1969年のエクリプスステークスを制し、ウォローの活躍により英愛[[リーディングサイアー]]に輝いた。<br>
父Wolver Hollowは[[ソヴリンパス]]の産駒で1969年のエクリプスステークスを制し、ウォローの活躍により英愛[[リーディングサイアー]]に輝いた。<br>
母Wichuraianaは大レースでの実績はなかったが、半姉妹にはグッドウッドカップを制したエクサー (''Exar'')、22号族に属する4代母Black Rayの牝系からは[[ミルリーフ]]、[[ブラッシンググルーム]]、[[カーレッド]]などの名馬が出ている。<br>
母Wichuraianaは大レースでの実績はなかったが、半姉妹にはグッドウッドカップを制したエクサー (''Exar'')、22号族に属する4代母Black Rayの牝系からは[[ミルリーフ]]、[[ブラッシンググルーム]]、[[カーレッド]]などの名馬が出ている。<br>

2020年8月31日 (月) 13:17時点における版

ウォロー
欧字表記 Wollow
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1973年
死没 1997年
Wolver Hollow
Wichuraiana
母の父 Worden
生国 アイルランドの旗 アイルランド
生産者 Tally-Ho Stud
馬主 Carlo d'Alessio
調教師 ヘンリー・セシル
競走成績
生涯成績 11戦9勝 (9-0-0-2)
獲得賞金 £202,806
Timeform rating 132ポンド
勝ち鞍

1975年最優秀2歳牡馬
シャンペンステークス(1975)
デューハーストステークス(1975)
2000ギニー(1976)
エクリプスステークス(1976)
サセックスステークス(1976)

ベンソン&ヘッジスゴールドカップ(1976)
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ウォロー (Wollow) はアイルランドで生まれ、イギリスで調教された競走馬および種牡馬である。
シャンペンステークス、デューハーストステークスを無敗で制して最優秀2歳牡馬に選ばれると、2000ギニーにも優勝して、クラシックウィナーとなった。ダービーでは1番人気に押されながら5着に敗れたが、その後もエクリプスステークス、サセックスステークス、ベンソン&ヘッジゴールドカップで優勝した。

経歴

出自

ウォローはアイルランドウェストミース県マリンガーのTally-Ho Studで生まれた。
父Wolver Hollowはソヴリンパスの産駒で1969年のエクリプスステークスを制し、ウォローの活躍により英愛リーディングサイアーに輝いた。
母Wichuraianaは大レースでの実績はなかったが、半姉妹にはグッドウッドカップを制したエクサー (Exar)、22号族に属する4代母Black Rayの牝系からはミルリーフブラッシンググルームカーレッドなどの名馬が出ている。
ウォローはイヤリングセールにおいて、イタリアの法律家Carlo d'Alessioの代理でニューマーケット・ブラッドストック・エイジェンシーに7000ギニーで買われ、同じくニューマーケットのヘンリー・セシルのもとで調教された。

競走馬時代

2歳時 (1975年)
ウォローはニューマーケットで6fのメイドンレースでデビュー勝ちすると、フィッツロイハウスステークス(7f)にも勝利した。
9月にはドンカスターのG2シャンペンステークスを制し、10月には英2歳戦の最重要レースであったデューハーストステークス(7f)でも、ミドルパークステークス優勝馬Hittite GloryやアイルランドのMalinowskiらを破って、レコードタイムで優勝し、フリーハンデでは2位に5ポンド差の133ポンドと評価され、最優秀2歳牡馬に選ばれた。

3歳時 (1976年)
3歳時は4月に2000ギニートライアルとして、ニューベリーのG3グリーナムステークス(7f)で戦列に復帰すると、ジュライステークス優勝馬Super Cavalierに1馬身半差を付けて勝利した。
2週間後の2000ギニー本番は1番人気に押され、レースではイタリア人騎手Gianfranco Dettori騎乗で、残り1/4ハロン程で先頭に立つと2着馬Vitigesに1馬身半差を付けて力強くゴールした。
無敗のままダービーに向かったウォローであったが、タッテナムコーナーで不利を受け、フランス調教馬エンペリーが優勝するなか、5着に敗れた。
ダービー後は、7月にサンダウンのエクリプスステークス(10f)に向かい、フランス調教馬Trepanに次ぐ2着入線だったが、Trepanの失格により繰り上がりで優勝した。
さらに7月末にサセックスステークスでも優勝し、G1勝利を加えた。
8月にはヨークでベンソン&ヘッジゴールドカップ(現在のインターナショナルステークス)に出走し、素晴らしい走りを見せてフランス馬Crowら相手に優勝した。
10月にもチャンピオンステークスに出走したが、いいときの走りができず敗れ、120万ポンドのシンジケートが組まれ引退した。

種牡馬時代

高額のシンジケートを組まれるなど期待されての種牡馬入りであったが、種牡馬としてはアイルランドのG3競走を制したブルックナーが目立つ程度と低調な成績であったことから1981年11月に日本中央競馬会に購入され日本に輸出された。日本時代も金鯱賞を制したマロングラッセを出すに止まり、総じて種牡馬としては期待に応えられなかった。なお母の父としてはザグレブを送り出している。

1997年に日本で死亡した。

血統表

ウォロー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ソヴリンパス系グレイソヴリン系

Wolver Hollow (GB)
1964
父の父
Sovereign Path
1956
Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Mountain Path Bobsleigh
Path of Peace
父の母
Cygnet
1950
Caracalla Tourbillon
Astronomie
Mrs Swan Song Sir Walter Raleigh
Donati's Comet

Wichuraiana (GB)
1963
Worden
1949
Wild Risk Rialto
Wild Violet
Sans Tares Sind
Tara
母の母
Excelsa
1949
Owen Tudor Hyperion
Mary Tudor
Infra Red Ethnarch
Black Ray (Family:22-d)
母系(F-No.) 22号族(FN:22-d) [§ 2]
5代内の近親交配 ゲインズバラ S5×M5=6.25% [§ 3]
出典
  1. ^ [1]
  2. ^ [1]
  3. ^ [1]

半姉のパールリアナも繁殖牝馬として日本に輸入されており、その孫にグリンモリーマチカネワラウカド兄弟がいる。

脚注

  1. ^ a b c ウオロー(IRE) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月12日閲覧。

外部リンク