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「アーチボルド・プリムローズ (第4代ローズベリー伯爵)」の版間の差分

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1805年から[[コーンウォール]]州{{仮リンク|ヘルストン (イングランド)|en|Helston|label=ヘルストン}}選挙区選出の、1806年から翌1807年まで[[ティペラリー]]{{仮リンク|カシェル (ティペラリー州)|en|Cashel, County Tipperary|label=カシェル}}選挙区選出の[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]所属[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]議員<ref name="histparl">{{cite encyclopedia |last= Thorne |first= R. G. |authorlink= |editor-first= R. G. |editor-last = Thorne |encyclopedia= [[:en:The History of Parliament|The History of Parliament: the House of Commons 1790-1820]] |title= PRIMROSE, Archibald John, Visct. Primrose (1783-1868). |url= https://www.historyofparliamentonline.org/volume/1790-1820/member/primrose-archibald-john-1783-1868 |accessdate=2013-07-06 |edition= |year= 1986 |publisher= Boydell and Brewer |volume= |location= [[ロンドン|London]] }}</ref>。
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1814年に父親が死去したため爵位を相続し、第4代ローズベリー伯爵となる。1818年・1820年・1826年の三度にわたって[[スコットランド]]の[[貴族代表議員]]として[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]の[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員を務めた後<ref name="histparl" />、1828年に[[連合王国貴族]]「[[エディンバラ|カウンティ・オヴ・エディンバラ]]におけるローズベリーの'''ローズベリー男爵'''({{lang|en|'''Baron Rosebery''', of Rosebery in the County of Edinburgh}})」に叙された<ref>{{LondonGazette |issue = 18433 |date = 18 January 1828 |startpage = 122 |accessdate = 2013-07-06 }}</ref>。ホイッグ党員として彼は、1832年の[[第1回選挙法改正]]({{interlang|en|Reform Act 1832}}; [[1832年選挙法改正法]])を支持していた<ref name="histparl" /><ref name="DNB" />。また1843年に[[ウェスト・ロージアン統監|リンリスゴウシャー統監]]({{interlang|en|Lord Lieutenant of West Lothian|Lord Lieutenant of Linlithgowshire}})に任じられ<ref>{{LondonGazette |issue = 20215 |date = 21 April 1843 |startpage = 1311 |accessdate = 2013-07-06 }}</ref>、1863年まで在職した<ref name="Paul" /><ref name="DNB" />。
1814年に父親が死去したため爵位を相続し、第4代ローズベリー伯爵となる。1818年・1820年・1826年の三度にわたって[[スコットランド]]の[[貴族代表議員]]として[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]の[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]議員を務めた後<ref name="histparl" />、1828年に[[連合王国貴族]]「[[エディンバラ|カウンティ・オヴ・エディンバラ]]におけるローズベリーの'''ローズベリー男爵'''({{lang|en|'''Baron Rosebery''', of Rosebery in the County of Edinburgh}})」に叙された<ref>{{LondonGazette |issue = 18433 |date = 18 January 1828 |startpage = 122 |accessdate = 2013-07-06 }}</ref>。ホイッグ党員として彼は、1832年の[[第1回選挙法改正]]({{interlang|en|Reform Act 1832}}; [[1832年選挙法改正法]])を支持していた<ref name="histparl" /><ref name="DNB" />。また1843年に[[ウェスト・ロージアン統監|リンリスゴウシャー統監]]({{interlang|en|Lord Lieutenant of West Lothian|Lord Lieutenant of Linlithgowshire}})に任じられ<ref>{{LondonGazette |issue = 20215 |date = 21 April 1843 |startpage = 1311 |accessdate = 2013-07-06 }}</ref>、1863年まで在職した<ref name="Paul" /><ref name="DNB" />。

2020年8月30日 (日) 23:09時点における版

伯爵家の新しい邸宅として第4代ローズベリー伯爵によって建てられたダルメニー・ハウス

第4代ローズベリー伯爵アーチボルド・ジョン・プリムローズ: Archibald John Primrose, 4th Earl of Rosebery1783年10月14日 - 1868年3月4日)は、イギリスの貴族。アザミ勲章勲爵士(KT)、枢密顧問官(PC)、王立協会フェロー(FRS)。

スコットランド貴族である第3代ローズベリー伯爵ニール・プリムローズの長男として、スコットランドリンリスゴウシャー州にあるバーンボーグル城英語版で生まれた[1][2]ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジで学び、1804年に学位M.A.)を取得[3]。1819年には同大学から名誉法学博士号(LL.D.)を授与された[3][1][2]

1805年からコーンウォールヘルストン英語版選挙区選出の、1806年から翌1807年までティペラリー県カシェル英語版選挙区選出のホイッグ党所属庶民院議員[4]

1814年に父親が死去したため爵位を相続し、第4代ローズベリー伯爵となる。1818年・1820年・1826年の三度にわたってスコットランド貴族代表議員としてグレートブリテン及びアイルランド連合王国貴族院議員を務めた後[4]、1828年に連合王国貴族カウンティ・オヴ・エディンバラにおけるローズベリーのローズベリー男爵Baron Rosebery, of Rosebery in the County of Edinburgh)」に叙された[5]。ホイッグ党員として彼は、1832年の第1回選挙法改正Reform Act 1832; 1832年選挙法改正法)を支持していた[4][2]。また1843年にリンリスゴウシャー統監Lord Lieutenant of Linlithgowshire)に任じられ[6]、1863年まで在職した[1][2]

1831年に枢密顧問官に列せられ[7]、1840年にアザミ勲章を受勲[8]。1819年には王立協会フェローに選出されている[9]

ロンドンピカデリーで1868年に死去し、爵位は孫のダルメニー卿アーチボルド・プリムローズに継承された[1][2]

家族

ローズベリーは2度結婚している。最初の妻である初代ラドナー伯爵英語版ウィリアム・ブーヴェリーの孫ハリエット・ブーヴェリーとは1808年5月20日ロンドンメリルボーンで結婚した[1]。彼女との間に二男二女をもうけた。

1815年にハリエットと離婚した後、1819年8月12日に初代アンソン子爵トマス・アンソン英語版の娘アン・マーガレット・アンソンと再婚した[1][2]。彼女との間には二女をもうけた。

  • レディ・アン・プリムローズ (1820年 - 1862年)
  • レディ・ルイーザ・プリムローズ (1822年 - 1870年)

出典

  1. ^ a b c d e f Paul, James Balfour, Sir [in 英語], ed. (1910). "PRIMROSE, EARL OF ROSEBERY". The Scots peerage. Vol. 7. Edinburgh: David Douglas. pp. 225–227. 2013年7月6日閲覧
  2. ^ a b c d e f Henderson, Thomas Finlayson (1896). "Primrose, Archibald John" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 46. London: Smith, Elder & Co. pp. 379–380.
  3. ^ a b "Primrose, Archibald John (Lord Dalmeny). (PRMS801AJ)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ a b c Thorne, R. G. (1986). "PRIMROSE, Archibald John, Visct. Primrose (1783-1868).". In Thorne, R. G. (ed.). The History of Parliament: the House of Commons 1790-1820. London: Boydell and Brewer. 2013年7月6日閲覧
  5. ^ "No. 18433". The London Gazette (英語). 18 January 1828. 2013年7月6日閲覧
  6. ^ "No. 20215". The London Gazette (英語). 21 April 1843. 2013年7月6日閲覧
  7. ^ "No. 18779". The London Gazette (英語). 25 February 1831. 2013年7月6日閲覧
  8. ^ "No. 19837". The London Gazette (英語). 20 March 1840. 2013年7月6日閲覧
  9. ^ "Primrose; Archibald John (1783 - 1868); 4th Earl of Rosebery". Record (英語). The Royal Society. 2013年7月6日閲覧

外部リンク

先代
ニール・プリムローズ
ローズベリー伯爵
第4代: 1814年 - 1868年
次代
アーチボルド・プリムローズ
先代
(創設)
ローズベリー男爵
初代: 1828年 - 1868年
次代
アーチボルド・プリムローズ