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その息子である6代伯フランシス<small>(1964-)</small>がリストーエル伯爵家現当主である。彼は1999年の[[貴族院法_(1999年)|貴族院法]]制定以降も、貴族院に籍を置く92人の[[世襲貴族]]の一人である。<ref name=":0">{{Cite web|title=Listowel, Earl of (I, 1822)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/listowel1822.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-01-08}}</ref>
その息子である6代伯フランシス<small>(1964-)</small>がリストーエル伯爵家現当主である。彼は1999年の[[貴族院法_(1999年)|貴族院法]]制定以降も、貴族院に籍を置く92人の[[世襲貴族]]の一人である。<ref name=":0">{{Cite web|title=Listowel, Earl of (I, 1822)|url=http://www.cracroftspeerage.co.uk/online/content/listowel1822.htm|website=www.cracroftspeerage.co.uk|accessdate=2020-01-08}}</ref>


爵位名は[[アイルランド島]][[ケリー]]リストールに因む。
爵位名は[[アイルランド島]][[ケリー]]リストールに因む。


かつての一族の邸宅には、同島[[コーク県]]バリフーリー近郊に位置したコンヴァモアハウス<small>(Convamore House)</small>。<ref name=":1" />
かつての一族の邸宅には、同島[[コーク県]]バリフーリー近郊に位置したコンヴァモアハウス<small>(Convamore House)</small>。<ref name=":1" />

2020年8月30日 (日) 23:00時点における版

リストーエル伯爵
紋章記述
Arms:Gules two Bars and a Chief indented Or.Crest:A Demi-Lion rampant Argent ducally gorged Or.Supporters:Dexter: a Dragon Ermine armed and langued Gules; Sinister: a Guernsey Cow proper
創設時期1822年2月5日
創設者ジョージ3世
貴族アイルランド貴族
初代初代伯ウィリアム・ヘア
現所有者6代伯フランシス・ヘア英語版
推定相続人ティモシー・ヘア閣下
相続資格初代伯爵の嫡出直系男子
付随称号エニスモア=リストーエル子爵
エニスモア男爵
ヘア男爵
現況存続
旧邸宅コンヴァモアハウス(Convamore House)
モットーObi Profanum
(I hate whatever is profane)

リストーエル伯爵(英:Earl of Listowel)は、イギリスの伯爵貴族アイルランド貴族爵位。

初代エニスモア子爵ウィリアム・ヘアが1822年に叙されたことに始まって以来、ヘア家が保持する。 [1]

分家にブレイクナム子爵家がある。

歴史

一族の祖ウィリアム・ヘア(1751-1837)コーク・シティ英語版及びエシー選挙区英語版選出の庶民院議員を務めたのち、1800年ケリー州エニスモアのエニスモア男爵(Baron Ennismore, of Ennismore in the County of Kerry)に叙せられた。[2][3][4]ついで1816年エニスモア=リストーエル子爵(Viscount Ennismore and Listowel)に昇叙したうえに、1822年にはリストーエル伯爵(Earl of Listowel)に叙せられるに至った。[3][5]これら一連の爵位はすべてアイルランド貴族爵位である。[3]

初代伯は息子リチャード(1773-1827)に先立たれていたため、孫のウィリアムが1837年に爵位を継承した。[3]

2代伯ウィリアム(1801-1856)は三度にわたって、侍従たる議員英語版を務めた。[3]

3代伯ウィリアム(1833-1924)アイルランド総督を務めたほか、1869年連合王国貴族爵位のコーク州コンヴァモアのヘア男爵(Baron Hare, of Convamore in the County of Cork)に叙されたため、以降の歴代当主は1999年の貴族院改革までは自動的に貴族院に籍を置くことができた。[3][4][6]

その孫にあたる5代伯ウィリアム(1906-1997)労働党の政治家として活動して、インド大臣郵政長官英語版といった顕職を歴任したほか、最後のガーナ総督英語版を務めた。[3]

その息子である6代伯フランシス(1964-)がリストーエル伯爵家現当主である。彼は1999年の貴族院法制定以降も、貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。[3]

爵位名はアイルランド島ケリー県リストールに因む。

かつての一族の邸宅には、同島コーク県バリフーリー近郊に位置したコンヴァモアハウス(Convamore House)[4]

現当主の保有爵位

現当主である第6代リストーエル伯爵フランシス・マイケル・ヘアは、以下の爵位を有する。[3]

  • 第6代リストーエル伯爵(6th Earl of Listowel)
    (1822年2月5日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第6代エニスモア=リストーエル子爵(6th Viscount Ennismore and Listowel)
    (1816年1月15日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第6代ケリー州エニスモアのエニスモア男爵(6th Baron Ennismore, of Ennismore in the County of Kerry)
    (1800年7月31日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第4代コーク州コンヴァモアのヘア男爵(4th Baron Hare, of Convamore in the County of Cork)
    (1869年12月8日の勅許状による連合王国貴族爵位)

リストーエル伯爵(1822)

推定相続人は、現当主の弟である ティモシー・パトリック・ヘア(1966-)閣下。

また、現当主の従兄弟にあたる第3代ブレイクナム子爵キャスパー・ジョン・ヘアー(1972-)も潜在的な継承権者である。

系図

脚注

  1. ^ "No. 17781". The London Gazette (英語). 12 January 1822. p. 60.
  2. ^ "No. 15281". The London Gazette (英語). 5 August 1800. p. 889.
  3. ^ a b c d e f g h i Listowel, Earl of (I, 1822)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年1月8日閲覧。
  4. ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). http://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  5. ^ "No. 17104". The London Gazette (英語). 30 January 1816. p. 173.
  6. ^ "No. 23559". The London Gazette (英語). 26 November 1869. p. 645.
  7. ^ http://www.thepeerage.com/p3823.htm

関連項目