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「リチャード・ロングフィールド (初代ロングヴィル子爵)」の版間の差分

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1761年から1768年まで{{仮リンク|チャールヴィル選挙区|en|Charleville (Parliament of Ireland constituency)}}の、1768年から1776年まで{{仮リンク|クロナキルティ選挙区|en|Clonakilty (Parliament of Ireland constituency)}}の、1776年から1783年まで{{仮リンク|コーク・シティ選挙区 (アイルランド王国)|en|Cork City (Parliament of Ireland constituency)|label=コーク・シティ選挙区}}の代表として{{仮リンク|アイルランド庶民院|en|Irish House of Commons}}議員を務めた<ref name="UHF">{{Cite web2|language=en|website=Ulster Historical Foundation|title=Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800|url=https://www.ancestryireland.com/family-records/biographies-of-the-members-of-the-irish-parliament/?search1=Richard&search2=Longfield&submit=Search|access-date=1 July 2020}}</ref>。1783年の選挙では{{仮リンク|キャッスルバー選挙区|en|Castlebar (Parliament of Ireland constituency)}}、コーク・シティ選挙区、{{仮リンク|ボルティモア選挙区|en|Baltimore (Parliament of Ireland constituency)}}で当選したが、コーク・シティ選挙区では後に当選無効が宣告され、結局ボルティモア選挙区の代表として議員を務めることを選択した<ref name="UHF" />。その後はボルティモア選挙区の代表として議員を務め、1790年にコーク・シティ選挙区に鞍替えして再選、1796年まで議員を務めた<ref name="UHF" />。
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1775年に甥ロバートが死去すると、ロングヴィル家の領地を継承、1795年10月1日に[[アイルランド貴族]]である[[コーク]]におけるロングヴィルの'''ロングヴィル男爵'''に叙され<ref>{{London Gazette|issue=13821|date=10 October 1795|page=1052}}</ref>、1800年12月29日に同じくアイルランド貴族であるコーク州におけるロングヴィルの'''ロングヴィル子爵'''に叙された<ref name="Cokayne" /><ref>{{London Gazette|issue=15326|date=6 January 1801|page=40}}</ref>。1801年の[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]]成立に伴い行われたアイルランド[[貴族代表議員]]選挙で当選、以降1811年まで貴族代表議員を務めた<ref name="Cokayne" />。


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2020年8月30日 (日) 22:51時点における版

初代ロングヴィル子爵リチャード・ロングフィールド英語: Richard Longfield, 1st Viscount Longueville1734年10月9日1811年5月23日)は、アイルランド王国出身の政治家、貴族。

生涯

ロバート・ロングヴィル(Robert Longville)の息子として[1]、1734年10月9日に生まれた[2]

1758年、コーク州長官英語版を務めた[1]

1761年から1768年までチャールヴィル選挙区英語版の、1768年から1776年までクロナキルティ選挙区英語版の、1776年から1783年までコーク・シティ選挙区英語版の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた[2]。1783年の選挙ではキャッスルバー選挙区英語版、コーク・シティ選挙区、ボルティモア選挙区英語版で当選したが、コーク・シティ選挙区では後に当選無効が宣告され、結局ボルティモア選挙区の代表として議員を務めることを選択した[2]。その後はボルティモア選挙区の代表として議員を務め、1790年にコーク・シティ選挙区に鞍替えして再選、1796年まで議員を務めた[2]

1775年に甥ロバートが死去すると、ロングヴィル家の領地を継承、1795年10月1日にアイルランド貴族であるコーク県におけるロングヴィルのロングヴィル男爵に叙され[3]、1800年12月29日に同じくアイルランド貴族であるコーク州におけるロングヴィルのロングヴィル子爵に叙された[1][4]。1801年のグレートブリテン及びアイルランド連合王国成立に伴い行われたアイルランド貴族代表議員選挙で当選、以降1811年まで貴族代表議員を務めた[1]

1811年5月23日に死去、妻マーガレット(Margaret、旧姓ホワイト(White)、リチャード・ホワイトの娘)との間で息子をもうけなかったため爵位は全て廃絶した[1]

出典

  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 51–52.
  2. ^ a b c d "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年7月1日閲覧
  3. ^ "No. 13821". The London Gazette (英語). 10 October 1795. p. 1052.
  4. ^ "No. 15326". The London Gazette (英語). 6 January 1801. p. 40.
アイルランド議会
先代
ダンガーヴァン子爵
エドマンド・バリー英語版
庶民院議員(チャールヴィル選挙区英語版選出)
1761年 – 1768年
同職:ロバート・バリー英語版
次代
ロバート・バリー英語版
ジェームズ・ライソート
先代
ヘンリー・シアーズ
マシュー・パーカー
庶民院議員(クロナキルティ選挙区英語版選出)
1768年 – 1776年
同職:リグス・フォルキナー英語版
次代
トマス・アダリー英語版
アッティウェル・ウッド英語版
先代
ジョン・ヒーリー=ハッチンソン英語版
ウィリアム・ブラバゾン・ポンソンビー英語版
庶民院議員(コーク・シティ選挙区英語版選出)
1776年 – 1783年
同職:ジョン・ヒーリー=ハッチンソン英語版
次代
ジョン・ヒーリー=ハッチンソン英語版
オーガスタス・ウォレン
先代
スティーヴン・ポパム英語版
トマス・コグラン
庶民院議員(キャッスルバー選挙区英語版選出)
1783年
同職:ジェームズ・ブラウン英語版
次代
ジェームズ・ブラウン英語版
トマス・ウォレン
先代
ウィリアム・エヴァンス
ジェームズ・チャタートン英語版
庶民院議員(ボルティモア選挙区英語版選出)
1783年 – 1790年
同職:サッドリー子爵
次代
サー・ジョン・エヴァンス=フリーク準男爵英語版
リチャード・グレース
先代
ジョン・ヒーリー=ハッチンソン英語版
オーガスタス・ウォレン
庶民院議員(コーク・シティ選挙区英語版選出)
1790年 – 1796年
同職:ジョン・ヒーリー=ハッチンソン閣下英語版
次代
ジョン・ヒーリー=ハッチンソン閣下英語版
ウィリアム・ヘア
アイルランドの爵位
爵位創設 ロングヴィル子爵
1800年 – 1811年
廃絶
ロングヴィル男爵
1795年 – 1811年