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「アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の版間の差分

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アイルランドが初めて大会で優勝したのは[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1970|1970年大会]]でのことであり、このときのアイルランド代表は[[:en:Dana Rosemary Scallon|Dana Rosemary Scallon]]が「[[:en:All Kinds of Everything|All Kinds of Everything]]」であった。2017年までの時点で、アイルランドは合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。[[1990年代]]には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている。
アイルランドが初めて大会で優勝したのは[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1970|1970年大会]]でのことであり、このときのアイルランド代表は[[:en:Dana Rosemary Scallon|Dana Rosemary Scallon]]が「[[:en:All Kinds of Everything|All Kinds of Everything]]」であった。2017年までの時点で、アイルランドは合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。[[1990年代]]には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている。


アイルランドは過去に7回、ユーロビジョン大会を主催しており、うち1回を除いては首都の[[ダブリン]]で開催された。この例外は[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1993|1993年大会]]であり、前年の[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1992|1992年大会]]での[[:en:Linda Martin|Linda Martin]]の優勝によってアイルランドが主催権を獲得し、[[コーク]]西部の人口1500人の町・[[ミルストリート]]で大会が行われた<ref>[http://www.cork-guide.ie/millstreet/town.html Millstreet]. Cork-Guide.ie. Retrieved on 5 September 2007.</ref>。
アイルランドは過去に7回、ユーロビジョン大会を主催しており、うち1回を除いては首都の[[ダブリン]]で開催された。この例外は[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1993|1993年大会]]であり、前年の[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1992|1992年大会]]での[[:en:Linda Martin|Linda Martin]]の優勝によってアイルランドが主催権を獲得し、[[コーク]]西部の人口1500人の町・[[ミルストリート]]で大会が行われた<ref>[http://www.cork-guide.ie/millstreet/town.html Millstreet]. Cork-Guide.ie. Retrieved on 5 September 2007.</ref>。


== 参加歴 ==
== 参加歴 ==
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== 主催 ==
== 主催 ==
アイルランドは、複数年にわたって連続して大会を主催した唯一の国であり、1993年から1995年まで3年連続で主催国となった。7回の主催のうち6回の首都の[[ダブリン]]で開催され、うち3回は[[:en:Point Depot|Point Depot]]で、2回は[[:en:Royal Dublin Society|RDS]]で、1回は[[:en:Gaiety Theatre, Dublin|Gaiety Theatre]]で開催された。このほかに1993年大会は[[コーク]]の[[ミルストリート]]([[:en:Millstreet|Millstreet]])で開催された。1994年大会では、舞踊団・[[リバーダンス]]が幕間の演技でデビューを飾った。
アイルランドは、複数年にわたって連続して大会を主催した唯一の国であり、1993年から1995年まで3年連続で主催国となった。7回の主催のうち6回の首都の[[ダブリン]]で開催され、うち3回は[[:en:Point Depot|Point Depot]]で、2回は[[:en:Royal Dublin Society|RDS]]で、1回は[[:en:Gaiety Theatre, Dublin|Gaiety Theatre]]で開催された。このほかに1993年大会は[[コーク]]の[[ミルストリート]]([[:en:Millstreet|Millstreet]])で開催された。1994年大会では、舞踊団・[[リバーダンス]]が幕間の演技でデビューを飾った。


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2020年8月30日 (日) 22:45時点における版

アイルランド
Flag
加盟放送局 RTÉ
国内選考大会 National Song Contest
Eurosong
You're a Star (2003 - 2005)
The Late Late Show (2006 - 2015)
内部選考(2016 -)
出場
出場回数 51
初出場 1965
最高順位 優勝: 1970, 1980, 1987, 1992, 1993, 1994, 1996
最低順位 最下位: 2007, 2013
外部リンク
RTÉ website
Eurovision.tvのページ
Dervishヘルシンキでの2007年大会にて。
Dustin the Turkeyベオグラードでの2008年大会にて。

アイルランドのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、アイルランドにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。アイルランドは、ナポリで行われた1965年大会で初めてユーロビジョンに参加した。その後2017年に至るまでに、参加しなかったのは2回のみであり、ミュンヘンで行われた1983年大会タリンで行われた2002年大会に参加していない。アイルランド放送協会Radio Telefís Éireann; RTÉ)は、大会のアイルランドでの業務を担当しており、アイルランド向けに大会を中継している。準決勝はRTÉ Twoにて、決勝はRTÉ Oneで放送される[1]。アイルランド代表として大会に参加した楽曲の歌詞は、1曲を除いて全て英語であり、1972年大会の「Ceol an Ghrá」のみがアイルランド語の歌詞であった。

アイルランドが初めて大会で優勝したのは1970年大会でのことであり、このときのアイルランド代表はDana Rosemary Scallonが「All Kinds of Everything」であった。2017年までの時点で、アイルランドは合計7回の優勝を果たしており、国別のユーロビジョンでの優勝回数は最多である。1990年代には、前例のない3連続優勝を含む4回の優勝を経験している他、2度は2位に入賞しており、最もユーロビジョンで成功を収めた国となっている。

アイルランドは過去に7回、ユーロビジョン大会を主催しており、うち1回を除いては首都のダブリンで開催された。この例外は1993年大会であり、前年の1992年大会でのLinda Martinの優勝によってアイルランドが主催権を獲得し、コーク県西部の人口1500人の町・ミルストリートで大会が行われた[2]

参加歴

アイルランドは、1965年の初参加からほぼ切れ目なく参加を続けており、1983年と2002年のみ不参加となっている。1983年は、アイルランド放送協会でのストライキによって、大会に参加する資金が不足したためであり、アイルランドでは英国放送協会の実況による映像をそのまま放映した。2002年、アイルランドは前年の順位が低かったことにより、その年の大会参加は認められなかった。

アイルランドからの延べ51曲の大会参加のうち、優勝は7回、上位5位以内は18回に上る。アイルランドが大会参加を認められなかったのは1度であり、2001年にGary O'Shaughnessyの「Without Your Love」が21位に終わったため、翌年の参加は不可能となった。

2000年代にはアイルランドの大会での順位は低迷している。2007年大会、アイルランド代表で参加したのは民俗音楽グループのDervishによる楽曲「They Can't Stop The Spring」であり、前年順位によって自動的に決勝への進出が認められたものの、決勝ではアルバニアからの5得点を獲得するに留まり、最下位となった。2008年大会Dustin the Turkeyの楽曲「Irelande Douze Pointe」は決勝に進むことはできず、準決勝で敗退した。2009年大会でもSinéad MulveyBlack Daisyの楽曲は準決勝敗退に終わった[3]

6つのアーティストが複数回にわたってアイルランド代表に選ばれており、ジョニー・ローガン1980年大会1987年大会)、Linda Martin1984年大会1992年大会)、Tommy and Jimmy Swarbrigg1975年大会1977年大会にはThe Swarbriggs Plus Twoの一部として)、Maxi1973年大会にソロとして、1981年大会Sheebaの一員として)、Jedward2011年大会2012年大会)が複数回のアイルランド代表経験を持っている。また、Brendan Graham(1976年大会、1985年大会、1994年大会、1996年大会)、Johnny Logan(1984年大会、1987年大会、1992年大会)、Tommy and Jimmy Swarbrigg(1975年大会、1977年大会)、Liam Reilly(1990年大会、1991年大会)、Joe Burkett(1972年大会・作曲, 1981年大会・作詞)の6人が複数のアイルランド代表の楽曲の作詞や作曲に携わった経験を持っている[4]

1998年大会以前のアイルランドの参加曲のほとんどで指揮を担当したのはNoel Kelehanである。この例外となるのは、1965年(Gianni Ferrio)、1970年(Dolf van der Linden)、1972年から1975年(Colman Pearce)、1979年(Proinnsias O'Duinn)、1994年(指揮者なし)、1997年(Frank McNamara)であった。

アイルランドは他国の楽曲作成にも関与しており、1997年に大会の司会を務めたローナン・キーティングデンマークの2009年の参加曲を製作している[5]

参加者

アーティスト 言語 決勝  得点 準決勝 得点
1965 バッチ・ムーア
Butch Moore
英語 "Walking the Streets in the Rain" 6 11 準決勝なし
1966 ディッキー・ロック
Dickie Rock
英語 "Come Back to Stay" 4 14
1967 ショーン・ダンフィ
Sean Dunphy
英語 "If I Could Choose" 2 22
1968 パット・マギーガン
Pat McGeegan
英語 "Chance of a Lifetime" 4 18
1969 ミュリエル・デイ
Muriel Day
英語 "The Wages of Love" 7 10
1970 ダナ
Dana
英語 "All Kinds of Everything" 1 32
1971 アンジェラ・ファレル
Angela Farrell
英語 "One Day Love" 11 79
1972 サンディ・ジョーンズ
Sandie Jones
英語 "Ceol an Ghrá" 15 72
1973 マクシ
Maxi
英語 "Do I Dream" 10 80
1974 ティナ・レイノルズ
Tina Reynolds
英語 "Cross Your Heart" 7 11
1975 スウォーブリッグス
The Swarbriggs
英語 "That's What Friends Are For" 9 68
1976 レッド・ハーリー
Red Vincent Hurley
英語 "When" 10 54
1977 スウォーブリッグス
The Swarbriggs Plus Two
英語 "It's Nice To Be In Love Again" 3 119
1978 コルム・ウィルキンソン
Colm T. Wilkinson
英語 "Born to Sing" 5 86
1979 カハル・ダン
Cathal Dunne
英語 "Happy Man" 5 80
1980 ジョニー・ローガン
Johnny Logan
英語 "What's Another Year?" 1 143
1981 シーバ
Sheeba
英語 "Horoscopes" 5 105
1982 ザ・ダスキーズ
The Duskeys
英語 "Here Today Gone Tomorrow" 11 49
1983 不参加
1984 リンダ・マーティン
Linda Martin
英語 "Terminal 3" 2 137
1985 マリア・クリスチャン
Maria Christian
英語 "Wait Until The Weekend Comes" 6 91
1986 ラヴ・バグ
Luv Bug
英語 "You Can Count On Me" 4 96
1987 ジョニー・ローガン
Johnny Logan
英語 "Hold Me Now" 1 172
1988 ジャンプ・ザ・ガン
Jump The Gun
英語 "Take Him Home" 8 79
1989 キーヴ・コノリー & ミッシング・パッセンジャー
Kiev Connolly & The Missing Passengers
英語 "The Real Me" 18 21
1990 リアム・ライリー
Liam Reilly
英語 "Somewhere In Europe" 2 132
1991 キム・ジャクソン
Kim Jackson
英語 "Could It Be That I'm In Love" 10 47
1992 リンダ・マーティン
Linda Martin
英語 "Why Me?" 1 155
1993 ニーヴ・カヴァナー
Niamh Kavanagh
英語 "In Your Eyes" 1 187 主催国
1994 ポール・ハリントン & チャーリー・マゲティガン
Paul Harrington & Charlie McGettigan
英語 "Rock 'n' Roll Kids" 1 226 準決勝なし
1995 エディ・フリール
Eddie Friel
英語 "Dreamin'" 14 44
1996 アイメア・クイン
Eimear Quinn
英語 "The Voice" 1 162 2 198
1997 マーク・ロバーツ
Marc Roberts
英語 "Mysterious Woman" 2 157 準決勝なし
1998 ドーン・マーティン
Dawn Martin
英語 "Is Always Over Now?" 9 64
1999 マランズ
The Mullans
英語 "When You Need Me" 17 18
2000 イーモン・トール
Eamonn Toal
英語 "Millennium of Love" 6 92
2001 ゲイリー・オショーネシー
Gary O'Shaughnessy
英語 "Without Your Love" 21 6
2002 不参加
2003 ミッキー・ハート
Mickey Harte
英語 "We've Got the World" 11 53
2004 クリス・ドーラン
Chris Doran
英語 "If My World Stopped Turning" 23 7 シード
2005 ドナ&ジョセフ・マコール
Donna & Joe
英語 "Love?" 準決勝敗退 14 51
2006 ブライアン・ケネディ
Brian Kennedy
英語 "Every Song Is a Cry for Love" 10 93 9 76
2007 ダーヴィッシュ
Dervish
英語 "They Can't Stop The Spring" 24 5 シード
2008 ダスティン・ザ・ターキー
Dustin the Turkey
英語 "Irelande Douze Pointe" 準決勝敗退 15 22
2009 シネイド・マルヴィー & ブラック・デイジー
Sinéad Mulvey & Black Daisy
英語 "Et Cetera" 11 52
2010 ニーヴ・カヴァナー
Niamh Kavanagh[6][7]
英語 "It's for You"[6][7] 23 25 9 67
2011 ジェドワード
Jedward
英語 "Lipstick" 8 119 8 68
2012 ジェドワード
Jedward
英語 "Waterline" 19 46 6 92
2013 ライアン・ドーラン
Ryan Dolan
英語 "Only Love Survives" 26 5 8 54
2014 カン=リン & ケイシー・スミス
Can-Linn feat. Kasey Smith
英語 "Heartbeat" 準決勝敗退 12 35
2015 モリー・スターリング
Molly Sterling
英語 "Playing with Numbers" 12 35
2016 ニッキー・バーン
Nicky Byrne
英語 "Sunlight" 15 46
2017 ブレンダン・マリー
Brendan Murray
英語 "Dying to Try" 13 86

投票履歴(1975年 - 2015年)

アイルランドは例年イギリスから多くの得点を得ている(2007年、2008年、2009年はいずれもイギリスからの得点はなく、そのうち後2者はアイルランドが参加する準決勝でイギリスは投票できなかったことによる)。アイルランドで電話投票が始まる前は、アイルランドの審査員がイギリスに与える得点は、およそ他国からイギリスへのものと同様であった。電話による視聴者投票が始まってからは、イギリスとアイルランドは他国よりも高い得点を相互に与え合っており、例年およそ8得点ほどを相互に付けている。

また近年ではアイルランドは、国内に住む移民の祖国(ラトビアリトアニアポーランドなど)への投票傾向が高く、2008年にはアイルランドは8得点をイギリスに、10得点をポーランドに、12得点をラトビアに与えている。

統計的に、アイルランドは8番目に優勝の見込みの高い国であり(モンテネグロセルビア・モンテネグロオランダスイススウェーデンポーランドハンガリーに次ぐ)、現行の投票方式になってからの25回の参加大会では平均して8.56得点を優勝国に与えている。アイルランドが優勝国に1得点も与えなかったのは2003年大会トルコに対してのみである[8]

アイルランドから高得点が送られた国々:

順位 得点
1 イギリスの旗 イギリス 225
2 スウェーデンの旗 スウェーデン 168
3 フランスの旗 フランス 148
4 ドイツの旗 ドイツ 147
5 ノルウェーの旗 ノルウェー 144

アイルランドに高得点を送った国々:

順位 得点
1 イギリスの旗 イギリス 240
2 スウェーデンの旗 スウェーデン 223
3 スイスの旗 スイス 176
4 ノルウェーの旗 ノルウェー 169
5 オーストリアの旗 オーストリア 164

得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。

主催

アイルランドは、複数年にわたって連続して大会を主催した唯一の国であり、1993年から1995年まで3年連続で主催国となった。7回の主催のうち6回の首都のダブリンで開催され、うち3回はPoint Depotで、2回はRDSで、1回はGaiety Theatreで開催された。このほかに1993年大会はコーク県ミルストリートMillstreet)で開催された。1994年大会では、舞踊団・リバーダンスが幕間の演技でデビューを飾った。

場所 会場 司会
1971 アイルランドの旗 ダブリン Gaiety Theatre Bernadette Ní Ghallchóir
1981 アイルランドの旗 ダブリン RDS Simmonscourt Doireann Ní Bhriain
1988 アイルランドの旗 ダブリン RDS Simmonscourt Pat Kenny, Michelle Rocca
1993 アイルランドの旗 ミルストリート Green Glens Arena Fionnuala Sweeney
1994 アイルランドの旗 ダブリン Point Depot Gerry Ryan, Cynthia Ní Mhurchú
1995 アイルランドの旗 ダブリン Point Depot Mary Kennedy
1997 アイルランドの旗 ダブリン Point Depot ローナン・キーティング, Carrie Crowley

脚注

  1. ^ RTÉ:Eurovision. RTÉ.ie. Retrieved on 5 September 2007.
  2. ^ Millstreet. Cork-Guide.ie. Retrieved on 5 September 2007.
  3. ^ Ireland dumped out of Eurovision”. BBC (2009年5月15日). 2009年5月15日閲覧。
  4. ^ Diggiloo Thrush - Ireland
  5. ^ #2 BBC
  6. ^ a b Schacht, Andreas (2010年2月10日). “Ireland: Niamh Kavanagh back in national final”. European Broadcasting Union. 10 February 2010閲覧。
  7. ^ a b Grillhofer, Florian (2010年3月5日). “Ireland sends Niamh Kavangh to Eurovision”. ESCToday. 5 March 2010閲覧。
  8. ^ Statistics compiled and available here (scroll approximately halfway down the page)