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2020年8月30日 (日) 21:47時点における版
パット・バレット | |
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プロフィール | |
リングネーム |
"アイリッシュ" パット・バレット パディ・バレット ミスター・レスリング |
本名 | パトリック・バレット |
身長 | 182cm |
体重 | 105kg(全盛時) |
誕生日 | 1941年9月4日(83歳) |
出身地 |
アイルランド ダブリン県ダブリン |
デビュー | 1960年 |
引退 | 1985年 |
"アイリッシュ" パット・バレット("Irish" Pat Barrett、本名:Patrick Barrett、1941年9月4日 - )は、アイルランド・ダブリン出身の元プロレスラー。
第10代WWWF世界タッグ王者。来日は実現しなかったものの、WWWFをはじめアメリカやカナダの主要テリトリーで実績を残した[1]。
来歴
1960年、パディ・バレット(Paddy Barrett)のリングネームでアイルランドにてデビュー。1963年に渡米し、ニューヨークのWWWFで活動。同年6月4日には、スカル・マーフィー&ブルート・バーナードが保持していたUSタッグ王座にティム・ウッズと組んで挑戦した[1][2]。
1965年からはカナダ・バンクーバーのNWAオールスター・レスリングを主戦場に活動。1968年7月22日にはドン・レオ・ジョナサンとのコンビでアブドーラ・ザ・ブッチャー&アーマン・ハッサンからNWAカナディアン・タッグ王座を奪取している[3]。以後、1970年代前半はオーストラリアやフロリダを転戦。エディ・グラハムが運営していたNWAフロリダ地区(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)では、若手時代のボブ・バックランドともタッグを組んだ[1]。
1975年、"アイリッシュ" パット・バレット("Irish" Pat Barrett)と名乗ってWWWFに復帰。IWAに移籍したビクター・リベラの後任としてドミニク・デヌーチの新パートナーに起用され、6月よりWWWF世界タッグ王座を継承、8月26日にザ・ブラックジャックスに敗れるまで戴冠した[4]。WWWFでは1976年6月まで中堅ベビーフェイスのポジションで活躍し、スパイロス・アリオン、ワルドー・フォン・エリック、イワン・コロフ、アーニー・ラッド、スーパースター・ビリー・グラハム、バグジー・マグロー、スタン・ハンセンなどの主力ヒールと対戦している[1][5][6]。
その後はミッドサウス・エリアのNWAトライステート地区(後のMSWA)に出場。1976年9月28日、ルイジアナ州ニューオーリンズで行われたトーナメント決勝において、ネルソン・ロイヤルを下しNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得、前王者ダニー・ホッジが3月に交通事故を起こして引退して以来、空位となっていた同王座の新チャンピオンとなった[7]。
1977年からはジェリー・ジャレットとジェリー・ローラーが旗揚げしたテネシー州メンフィスの新団体CWAに参戦。黒人レスラーのノーベル・オースチンをパートナーに、ハリウッド・ブロンズ(ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ)やワイルド・サモアンズとAWA南部タッグ王座を争った[8]。1979年から1980年にかけてはロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングで活動。1979年6月28日にブル・ラモスを破り、フラッグシップ・タイトルのNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得した[9]。
1980年代前半は太平洋地域やニュージーランドなどを転戦し、1985年にアイルランドに戻って引退した。近年では2006年8月27日、ダブリンのアイリッシュ・ホイップ・レスリング(Irish Whip Wrestling)にアイルランド人レスラーのレジェンドとして登場している。
獲得タイトル
- NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回[9]
- NWAオールスター・レスリング
- NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):3回(w / Tom Geohagen×2、ドン・レオ・ジョナサン)[3]
- ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
- NWA豪亜タッグ王座:1回(w / Tony Kontellis)[10]
- WWWF世界タッグ王座:1回(w / ドミニク・デヌーチ)[4]
- AWA南部タッグ王座:2回(w / ノーベル・オースチン)[8]
脚注
- ^ a b c d “Wrestlers Database: Pat Barrett”. Cagematch.net. 2012年2月10日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1963”. The History of WWE. 2012年2月10日閲覧。
- ^ a b “NWA Canadian Tag Team Title: Vancouver version”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月10日閲覧。
- ^ a b “WWWF-WWF-WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月10日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1975”. The History of WWE. 2012年2月10日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2012年2月10日閲覧。
- ^ a b “NWA World Junior Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月22日閲覧。
- ^ a b “AWA Southern Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月10日閲覧。
- ^ a b “NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月10日閲覧。
- ^ “NWA Austra-Asian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年2月10日閲覧。