「柳興洙」の版間の差分
→Check Wikipedia high priority :Unicodeの制御文字=‎ (Left-To-Right Mark)の削除 |
|||
82行目: | 82行目: | ||
| title = {{flagicon|KOR}} [[駐日大韓民国大使]] |
| title = {{flagicon|KOR}} [[駐日大韓民国大使]] |
||
| years = [[2014年]][[8月]] - [[2016年]][[6月]] |
| years = [[2014年]][[8月]] - [[2016年]][[6月]] |
||
| before = [[ |
| before = [[李丙琪]] |
||
| after = [[李俊揆]] |
| after = [[李俊揆]] |
||
}} |
}} |
2020年8月29日 (土) 08:24時点における版
柳 興洙 유흥수 | |
---|---|
生年月日 | 1937年12月3日(86歳) |
出生地 | 大日本帝国・朝鮮慶尚南道陜川郡 |
出身校 | ソウル大学校法科大学 |
前職 | 大学教授、国会議員 |
現職 | 外交官 |
所属政党 | 民主正義党→民主自由党→新韓国党→ハンナラ党→セヌリ党 |
国会議員 | |
当選回数 | 4回 |
ユ・フンス | |
---|---|
各種表記 | |
ハングル: | 유흥수 |
漢字: | 柳興洙 |
発音: | ユ・フンス |
柳 興洙(ユ・フンス、朝鮮語: 유흥수、1937年12月3日[1] - )は、大韓民国の政治家、外交官。駐日大韓民国大使[2][3]、警察庁長官、忠清南道知事、国会議員などを歴任した。セヌリ党に所属していた。
来歴
1937年、大日本帝国統治下にあった慶尚南道陜川郡出身[4]。小学校5年生まで日本に居住し、1950年の朝鮮戦争勃発直前に釜山に移り住んだ。京畿高等学校、ソウル大学校法科大学を卒業後、1962年に第14回高等考試行政科に合格して内務部に入部。警察組織でキャリアを積み、1980年に治安本部本部長(現在の警察庁長官)まで上り詰めた[3]。
1982年に第21代忠清南道知事に任命され、2年間務めたのち1984年に全斗煥政権下で大統領秘書室政務第2首席秘書官に就任[5]。1985年に民主正義党から国会議員に立候補し当選、1986年に交通部次官となる。1988年の選挙では落選したものの1992年に返り咲き当選を果たし、2004年に引退するまで通算で4期(12・14・15・16代)務めている[4]。
2014年7月下旬に空席となっていた次期駐日大使への就任が内定したことが報じられ、日本政府の同意(アグレマン)を得た上で8月20日に韓国政府より任命された[2]。すでに76歳と高齢であり大使には不適切との声も挙がったが[4]、日本に通じた人物の大使指名は朴槿恵大統領の日韓関係を重視する意向を反映したものとも受け止められ[6]、柳本人も関係改善に意欲を示した[7]。2015年12月の日韓外相会談で慰安婦問題日韓合意が成立し、両国関係が改善に向かうきっかけができたことを理由に、自らの役割は終わったとして翌2016年4月6日に辞意を表明[8]。6月30日に東京で離任式を行い退任した[9]。
日本との関係
柳の日本との関係は深く、大韓民国において日本通の代表的な人物とされている[4]。
前述のとおり幼少期を日本で過ごし日本語には堪能で、国会議員時代には韓日議員連盟幹事長、国会統一外交通産委員長などを務め、議員落選中も京都大学で1年間の研修を行っている[4]。中曽根康弘元首相、森喜朗元首相、安倍晋太郎元外相など日本の政治家とも懇意にしており、特に安倍晋太郎とは自身の議員初当選時に釜山・東莱にある別荘で一緒に爆弾酒を飲み交わした仲である[7]。1991年に晋太郎が死去した際には日本に弔問に訪れ、秘書を務めていた次男の安倍晋三を慰めた。政界引退後は韓日親善協会理事長に就任し、2006年に同協会の総会が日本で開催されたことに伴い来日し、内閣総理大臣となっていた晋三を表敬訪問している[4]。
柳の駐日大使在任中に成された慰安婦問題日韓合意であったが、日韓両国はその後、慰安婦像設置をめぐり対立を深めていくこととなる。2017年3月、柳は韓国メディアの取材に応じ、韓国国民の日本に対する感情が良くないのは、日本が韓国に与えた悲運の歴史が原因であるとの認識を示しながらも、韓国は地政学的な見地から日本と対立していては多くの分野で安定が望めず、国益のために日韓関係を改善していくべきと述べている[10]。また2018年末には日本メディアの取材に対して、慰安婦合意破棄や徴用工訴訟問題についての文在寅政権の対応を批判するなど[11]、駐日大使退任後も日韓関係に対する意見表明を行っている。
栄典
出典
- ^ a b “駐日大使に柳興洙氏を正式任命=韓国政府”. 聯合ニュース. (2014年8月20日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ a b “柳興洙・新任駐日大使「雨降って、地固まる」”. 中央日報. (2014年8月21日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “駐日大使に柳興洙氏が内定…安倍首相の父と爆弾酒飲み交わした仲”. 中央日報. (2014年7月23日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ “駐日大使に柳興洙元議員内定 警察出身の知日派=韓国”. 聯合ニュース. (2014年7月22日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ “韓国大統領 あす都知事と会談”. 東京新聞. (2014年7月24日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ a b “安倍氏の父と爆弾酒飲んだ仲…次期駐日韓国大使”. 読売新聞. (2014年8月21日) 2014年8月23日閲覧。
- ^ “駐日韓国大使が辞任へ 関係回復の兆しに「役割終えた」”. 聯合ニュース. (2016年4月6日) 2016年4月7日閲覧。
- ^ “駐日韓国大使が離任式 「両国関係発展のための種まいた」”. 聯合ニュース. (2016年6月30日) 2016年7月1日閲覧。
- ^ “前駐日韓国大使「国益ためにも韓日関係改善するべき」”. 中央日報. (2017年3月3日) 2017年3月5日閲覧。
- ^ “81歳知日派の苦言「韓国の政治家は、『日本非難が愛国』だと思っている」”. 文藝春秋. (2018年12月14日) 2019年3月14日閲覧。
- ^ 韓国駐日大使に“知日派”起用も、「関係改善は容易ではない」―韓国メディア
- ^ 柳興洙駐日韓国大使、日本最高勲章受ける
外交職 | ||
---|---|---|
先代 李丙琪 |
駐日大韓民国大使 2014年8月 - 2016年6月 |
次代 李俊揆 |
公職 | ||
先代 李契完 |
忠清南道知事 1982年1月5日 - 1984年3月27日 |
次代 安応模 |