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「貞熹王后」の版間の差分

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* 次男: [[睿宗 (朝鮮王)|睿宗]](1450年-1469年)- 第8代国王。王子としての称号は'''海陽大君'''。
* 次男: [[睿宗 (朝鮮王)|睿宗]](1450年-1469年)- 第8代国王。王子としての称号は'''海陽大君'''。


1873年に[[徐有英]]が執筆した説話集『[[金鶏筆談]]』に収録された説話中では、娘は二人おり、姉が[[李世|懿寧公主李世熺]]、妹が[[懿淑公主]]であるとされている。しかしこの説話以外に李世熺の存在を裏付ける文献はない。
1873年に[[徐有英]]が執筆した説話集『[[金鶏筆談]]』に収録された説話中では、娘は二人おり、姉が[[李世|懿寧公主李世熺]]、妹が[[懿淑公主]]であるとされている。しかしこの説話以外に李世熺の存在を裏付ける文献はない。


== 貞熹王后が登場する作品 ==
== 貞熹王后が登場する作品 ==

2020年8月28日 (金) 05:05時点における版

貞熹王后
朝鮮王妃
在位 1455年 - 1468年(王妃として)
1468年 - 1483年(王大妃として)

別称 慈聖欽仁景徳宣烈明順元淑徽慎恵懿神憲貞熹王后(諡号)
出生 永楽16年11月11日1418年12月8日
李氏朝鮮の旗 李氏朝鮮江原道
死去 成化19年3月30日1483年5月6日
配偶者 世祖
子女 懿敬世子
懿淑公主朝鮮語版
睿宗
氏族 坡平尹氏
父親 尹璠
母親 仁川李氏
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貞熹王后尹氏(ていきおうこう・いんし/チョンヒワンフ・ユンシ、永楽16年11月11日1418年12月8日) - 成化19年3月30日1483年5月6日))は、李氏朝鮮第7代国王世祖の正室。本貫は坡平。諡号は慈聖欽仁景徳宣烈明順元淑徽慎恵懿神憲貞熹王后。朝鮮最初の「垂簾聴政」を行った。

生涯

尹氏は江原道で生まれた。11歳のころ、世宗の次男・首陽大君(後の世祖)の正室選びに宮廷の使者が訪れ、それを見に母の後ろに隠れていた彼女は使者の目に留まり、決定された。当初、尹氏の姉が正室候補であった。尹氏は1歳年上の首陽大君と結婚、2男1女を儲けた。

1452年、首陽大君が韓明澮らと手を組み「癸酉靖難」を起こし朝廷を掌握。決行前、ためらう夫に尹氏は鎧を着せ決心を促し成功に導いた。それが彼女を国政に動かす契機となった。
1455年、首陽大君は甥の端宗から王位を奪って即位、尹氏は王妃となった。しかし、1457年に長男の桃源君(懿敬世子)が病没。1468年、世祖が皮膚病を患い薨去し、同年、次男の睿宗が即位したが翌年に薨去した。

1469年、慈聖大妃は睿宗の息子が幼いため、韓明澮と協力し、桃源君の次男で13歳の乽山君を国王に即位(成宗)させ、摂政として桃源君の妃で新国王・成宗の生母である仁粋大妃とともに国政を取り仕切った。 儒教中心の朝廷で女が直接表立つことが好まれなかったため、玉座の後ろに簾を掛け、朝鮮で初めて「垂簾聴政」を行った。一方、仁粋大妃は桃源君の長男、月山大君や睿宗の息子に要職を与え彼らを宥めた。

夫の意思を継いで朝鮮の国力を強化した慈聖大王大妃は、1476年、成宗の親政開始に伴い摂政を退き、1483年、薨去。

家族

  • 父:判中枢 贈 領議政 坡平府院君 貞靖公 尹璠(1384年-1448年)
  • 母:興寧府大夫人 仁川李氏(1383年-1456年)
  • 兄:坡城君 夷靖公 尹士昐(1401年-1471年)
  • 兄:工曹判書 鈴平君 成安公 尹士昀(1409年-1461年) 第11代国王中宗の2番目の王妃章敬王后の曾祖父。
  • 弟:領敦寧 坡川府院君 襄平公 尹士昕(1422年-1485年) 中宗の3番目の王妃文定王后の高祖父。
  • 夫:世祖
  • 長男: 桃源君 李暲(1438年-1457年)- 王世子。死後懿敬世子の呼称で呼ばれる。第9代国王成宗の父。追尊王(廟号: 徳宗)。
  • 長女:懿淑公主朝鮮語版(1442年-1477年)- 鄭顕祖朝鮮語版正室。
  • 次男: 睿宗(1450年-1469年)- 第8代国王。王子としての称号は海陽大君

1873年に徐有英が執筆した説話集『金鶏筆談』に収録された説話中では、娘は二人おり、姉が懿寧公主李世熺、妹が懿淑公主であるとされている。しかしこの説話以外に李世熺の存在を裏付ける文献はない。

貞熹王后が登場する作品

出典

  • 『王妃たちの朝鮮王朝』 尹貞蘭 著、金容権 訳 日本評論社 2010年