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== 人物・生涯 ==
== 人物・生涯 ==
[[憲宗 (唐)|憲宗]]・[[穆宗 (唐)|穆宗]]時期の宰相の[[段文昌]]の子で、父の功によって校書郎に任じられ、尚書郎・[[吉州 (江西省)|吉州]]刺史・[[処州]]刺史・[[江州 (江西省)|江州]]刺史・太常少卿を歴任した。博学を以て知られ、随筆集『[[酉陽雑俎]](ゆうようざっそ)』は特に名高い。また彼は[[駢儷文]]にも優れた手腕を見せ、やはり当時名手として知られた[[李商隠]]・[[温庭イン|温庭筠]]らと並び称せられ、[[排行]](一族の中で、同世代の男子の通称として誕生順に番号を付したもの)が3人ともに16であったところから併せて「三十六体」と呼ばれた。
[[憲宗 (唐)|憲宗]]・[[穆宗 (唐)|穆宗]]時期の宰相の[[段文昌]]の子で、父の功によって校書郎に任じられ、尚書郎・[[吉州 (江西省)|吉州]]刺史・[[処州]]刺史・[[江州 (江西省)|江州]]刺史・太常少卿を歴任した。博学を以て知られ、随筆集『[[酉陽雑俎]](ゆうようざっそ)』は特に名高い。また彼は[[駢儷文]]にも優れた手腕を見せ、やはり当時名手として知られた[[李商隠]]・[[温庭筠]]らと並び称せられ、[[排行]](一族の中で、同世代の男子の通称として誕生順に番号を付したもの)が3人ともに16であったところから併せて「三十六体」と呼ばれた。


== 詩人として ==
== 詩人として ==

2020年8月28日 (金) 05:01時点における版

段 成式(だん せいしき、803年? - 863年?)は、中国詩人は柯古(かこ)。本貫斉州鄒平県

人物・生涯

憲宗穆宗時期の宰相の段文昌の子で、父の功によって校書郎に任じられ、尚書郎・吉州刺史・処州刺史・江州刺史・太常少卿を歴任した。博学を以て知られ、随筆集『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』は特に名高い。また彼は駢儷文にも優れた手腕を見せ、やはり当時名手として知られた李商隠温庭筠らと並び称せられ、排行(一族の中で、同世代の男子の通称として誕生順に番号を付したもの)が3人ともに16であったところから併せて「三十六体」と呼ばれた。

詩人として

博学であり、詩は李商隠、温庭筠と並び称される。また作品に、七言絶句の『折楊柳(せつようりゅう)』がある。

折楊柳
枝枝交影鎖長門 枝枝(しし) 影を交(まじ)えて 長門(ちょうもん)を鎖(とざ)す
嫩色曾霑雨露恩 嫩色(どんしょく) 曾て霑(うるお)う 雨露の恩
鳳輦不来春欲尽 鳳輦(ほうれん)来(きた)らず 春尽きんとし
空留鶯語到黄昏 空しく鶯語(おうご)を留めて黄昏(こうこん)に到る

[1]

脚注

  1. ^ 唐詩選』(版:岩波文庫、註解:前野直彬

外部リンク