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姓は橘、通称は貫次郎、武次郎。山斎と号す。字は伯陵、後に伯後。[[京都]]で、[[呉服商]]の次男として生まれる。祖父は[[俳人]]の[[山口羅人]]<ref>『倭人物画譜』に寄せられた[[秋里籬島]]の序文より。</ref>。円山応挙に絵を学び、[[祇園]]の袋町に住んでいた。『倭人物画譜』前編([[寛政]]11年([[1799年]]刊))三冊をはじめ、同年刊の『素絢画譜』六冊、『倭人物画譜』後編([[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])刊)三冊、『素絢画譜草花之部』(文化3年([[1806年]])刊)三冊、『素絢山水画譜』(文化15年([[1818年]])刊)二冊などを出版し、円山派画風の普及に努めた。一方で、寛政8年([[1796年]])には弟子仲間の[[渡辺南岳]]と共に、[[洒落本]]『養漢(おとこてかけ)裸百貫』の挿絵を描いている。文化元年(1804年)刊行の医学書『蘭療方』では器物などの挿絵を担当。同書は、[[オランダ]]医学書の翻訳だが、その末尾は素絢の「紅毛の絵には『一体』があり、自分が学んだものとは趣が異なる」などと述べられている<ref>[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0275/bunko08_c0275_p0149.jpg 古典籍総合データベース 蘭療方]</ref>。文政元年(1818年)10月24日死去。享年60。墓は、京都三条の[[檀王法林寺]]。息子の[[山口素岳]]も絵師となった。
姓は橘、通称は貫次郎、武次郎。山斎と号す。字は伯陵、後に伯後。[[京都]]で、[[呉服商]]の次男として生まれる。祖父は[[俳人]]の[[山口羅人]]<ref>『倭人物画譜』に寄せられた[[秋里籬島]]の序文より。</ref>。円山応挙に絵を学び、[[祇園]]の袋町に住んでいた。『倭人物画譜』前編([[寛政]]11年([[1799年]]刊))三冊をはじめ、同年刊の『素絢画譜』六冊、『倭人物画譜』後編([[文化 (元号)|文化]]元年([[1804年]])刊)三冊、『素絢画譜草花之部』(文化3年([[1806年]])刊)三冊、『素絢山水画譜』(文化15年([[1818年]])刊)二冊などを出版し、円山派画風の普及に努めた。一方で、寛政8年([[1796年]])には弟子仲間の[[渡辺南岳]]と共に、[[洒落本]]『養漢(おとこてかけ)裸百貫』の挿絵を描いている。文化元年(1804年)刊行の医学書『蘭療方』では器物などの挿絵を担当。同書は、[[オランダ]]医学書の翻訳だが、その末尾は素絢の「紅毛の絵には『一体』があり、自分が学んだものとは趣が異なる」などと述べられている<ref>[http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0275/bunko08_c0275_p0149.jpg 古典籍総合データベース 蘭療方]</ref>。文政元年(1818年)10月24日死去。享年60。墓は、京都三条の[[檀王法林寺]]。息子の[[山口素岳]]も絵師となった。


遺存作品は、比較的多い。優美な雰囲気を持つ日本風俗の[[美人画]]を得意としており、唐美人画を良くした兄弟子・[[源|駒井源琦]]と並び称された。素絢は往時の上方における時様風俗画を多く描いており、「遊女雪見図」や「遊女図屏風」などは[[浮世絵]]に近い内容を持つ点で注目される。一方、[[花鳥画]]にも佳品を残している。
遺存作品は、比較的多い。優美な雰囲気を持つ日本風俗の[[美人画]]を得意としており、唐美人画を良くした兄弟子・[[源|駒井源琦]]と並び称された。素絢は往時の上方における時様風俗画を多く描いており、「遊女雪見図」や「遊女図屏風」などは[[浮世絵]]に近い内容を持つ点で注目される。一方、[[花鳥画]]にも佳品を残している。


== 作品 ==
== 作品 ==

2020年8月25日 (火) 23:01時点における版

山口 素絢(やまぐち そけん、宝暦9年(1759年) - 文政元年10月24日1818年11月22日))は、江戸時代中期から後期の円山派絵師円山応挙の弟子で、応門十哲の一人。

来歴

姓は橘、通称は貫次郎、武次郎。山斎と号す。字は伯陵、後に伯後。京都で、呉服商の次男として生まれる。祖父は俳人山口羅人[1]。円山応挙に絵を学び、祇園の袋町に住んでいた。『倭人物画譜』前編(寛政11年(1799年刊))三冊をはじめ、同年刊の『素絢画譜』六冊、『倭人物画譜』後編(文化元年(1804年)刊)三冊、『素絢画譜草花之部』(文化3年(1806年)刊)三冊、『素絢山水画譜』(文化15年(1818年)刊)二冊などを出版し、円山派画風の普及に努めた。一方で、寛政8年(1796年)には弟子仲間の渡辺南岳と共に、洒落本『養漢(おとこてかけ)裸百貫』の挿絵を描いている。文化元年(1804年)刊行の医学書『蘭療方』では器物などの挿絵を担当。同書は、オランダ医学書の翻訳だが、その末尾は素絢の「紅毛の絵には『一体』があり、自分が学んだものとは趣が異なる」などと述べられている[2]。文政元年(1818年)10月24日死去。享年60。墓は、京都三条の檀王法林寺。息子の山口素岳も絵師となった。

遺存作品は、比較的多い。優美な雰囲気を持つ日本風俗の美人画を得意としており、唐美人画を良くした兄弟子・駒井源琦と並び称された。素絢は往時の上方における時様風俗画を多く描いており、「遊女雪見図」や「遊女図屏風」などは浮世絵に近い内容を持つ点で注目される。一方、花鳥画にも佳品を残している。

作品

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
関帝王図[3] 板絵著色 絵馬1面 100.3x69.5 智恩寺 (宮津市) 1794年寛政6年)
芸者図[4] 絹本著色 1幅 113x40 ブルックリン美術館 1796年(寛政8年)秋
鬼図 紙本著色 1幅 113.3x40.2 三井記念美術館 1800年(寛政12年)正月 新町三井家旧蔵[5]
芸者図[6] 絹本著色 1幅 106.8x40.6 大英博物館 1800年(寛政12年)頃 款記「素絢戯画」 皆川淇園
和美人図 絹本著色 1幅 東京黎明アートルーム
虎渓三笑図 紙本墨画淡彩 1幅 円光寺[要曖昧さ回避] 1802年享和2年) 款記「壬戌初秋 素絢筆」/「橘素絢」白文方印・「伯後」白文方印[7]
寒山拾得図押絵貼屏風 2曲1隻 真正極楽寺 1806年(文化3年) 同寺には他に「仁王図押絵貼屏風」(二曲一隻)も所蔵する。
やすらい祭図屏風 紙本著色 6曲1双 法人 1808年(文化5年)
楚蓮香図 絹本着色 細見美術館 1809年(文化6年)
梅実図衝立 紙本金地墨画 1基 105.5x74.6 泉屋博古館 1810年(文化7年) 款記「庚午春三月 平安 素絢」/「橘素絢」白文方印・「伯後」白文方印 裏面には元々浙派の作と思われる花鳥図が貼られていた[8]
波に鶴図 紙本墨画淡彩 4曲1双 智源寺宮津市 1811年(文化8年)頃 元襖絵。智源寺本堂には、同時期に素絢ら京絵師20人が描いた天井画があり、この制作を主導したのが素絢だった可能性が指摘されている[9]
俵藤太図額 板絵著色 絵馬1面 千畳閣 1812年(文化9年)
双馬図 金地著色 安井金比羅宮絵馬館 1815年(文化12年)
花卉花鳥図[10] 紙本着色 襖4面 根津美術館 1813年(文化10年) 重要美術品松村景文との合作(景文は襖の表側9面を担当、素絢はそのうちの4面の裏に描いている
雪中松に鹿図屏風 紙本金地着色 2曲1双 155.5x173.3(各) 三井記念美術館 款記「素絢」 北三井家旧蔵[5]
百人一首歌留多 絹本金地着色 200枚一組 8.8x5.5(各) 三井記念美術館 款記「素絢」 北三井家旧蔵。和歌は鈴木内匠筆[5]
三都遊女図 絹本着色 1幅 浮世絵 太田記念美術館 山東京山後賛(天保7年(1836年))。素絢が京の遊女、勝川春暁が江戸の遊女、浅山芦国が大坂の遊女をそれぞれ描き、三都の絵師が三都の遊女を1幅に描いた極めて珍しい作品。
鬼図 絹本着色 1幅 105.6x33.5 浮世絵 太田記念美術館 大田南畝[11]
洋美人図 摘水軒記念文化振興財団(府中市美術館寄託
春秋草花図 紙本金地着色 6曲1双 155.2x359.0(各) 静岡県立美術館
富嶽図 絹本著色 1幅 41.0x×75.6 静岡県立美術館
本居宣長 絹本著色 1幅 100.3x46.8 個人 無款 祇園井特筆「本居宣長像」の模写。井特に宣長像を描かせた殿村安守による依頼[12]
雪景山水図[13] 紙本墨画 襖4面 京都国立博物館
遊女雪見図 絹本着色 1幅 京都府京都文化博物館管理)
遊女図屏風 紙本着色 4曲1双 奈良県立美術館
四条河原納涼図屏風 紙本淡彩 6曲1隻 個人
納涼美人図 絹本着色
屏風の影美人図 紙本着色
春秋草花図 紙本金地著色 6曲1双 155.2x359.0(各) 個人 各隻に款記「素絢」/白文方印[14]
四季草花図[15] 紙本金地著色 6曲1双 154.3x254.1(各) ロサンゼルス・カウンティ美術館
雪中烏鷺図 紙本銀地墨画 6曲1双 155.3x354.8(各) 心遠館プライス・コレクション 款記「素絢」
舞楽図 紙本金地著色 襖2面 84x58(各) 心遠館(プライス・コレクション) 款記「素絢戯画」
美人狗児図 紙本著色 1幅 122x55.2 心遠館(プライス・コレクション) 款記「素絢戯画」
老若婦人図 紙本淡彩 1幅 127x45.5 心遠館(プライス・コレクション) 款記「素絢」
嵐山四条河原図[16] 絹本著色 1巻 33.0x134.5 ボストン美術館
紅葉狩美人図[17] 絹本著色 1幅 128.1x50.7 ボストン美術館
唐美人図[18] 絹本著色 1幅 124.5x39.4 ボストン美術館

脚注

  1. ^ 『倭人物画譜』に寄せられた秋里籬島の序文より。
  2. ^ 古典籍総合データベース 蘭療方
  3. ^ 【34番】関帝王図|九世戸縁起の発祥、日本三文殊(智恵の文殊堂)天橋立の智恩寺
  4. ^ A_Kyoto_Geisha Brooklyn Museum
  5. ^ a b c 財団法人 三井文庫編集発行 『三井文庫別館蔵品図録 三井家の絵画』 2002年9月、pp.38-41,107-108。
  6. ^ Kyoto geisha carrying a shamise British Museum - painting _ hanging scroll
  7. ^ 『近世の京都画壇 -画家と作品-』 京都市文化観光局文化部文化財保護課編集・発行〈京都市文化財ブックス 第7集〉、1992年3月、p.47。
  8. ^ 公益財団法人 泉屋博古館編集・発行 『泉屋博古 日本絵画』 2010年11月1日、pp.132,214-215。
  9. ^ 田島達也 「近世後期京都画壇の縮図―宮津市智源寺天井画」『京都文化博物館研究紀要 朱雀』第7集、1994年12月31日、pp.11-43。
  10. ^ 花卉花鳥図 文化遺産オンライン
  11. ^ 太田記念美術館編集・発行 『蜀山人 大田南畝―大江戸マルチ文化人交遊録―』 2008年5月1日、pp.74,132
  12. ^ 吉田悦之監修 三重県立美術館編集・発行 『開館三十五周年記念3 本居宣長展』 2017年9月30日、第11図。
  13. ^ 雪景山水図 京都国立博物館 収蔵品検索システム
  14. ^ 白畑よし 切畑健監修 『江戸期に開いた日本の美 花展 ―松坂屋 会社創立80周年記念―』 朝日新聞名古屋本社企画部、1990年、第6図。
  15. ^ Flowers and Plants of the Four Seasons _ LACMA Collections(左隻)・Flowers and Plants of the Four Seasons _ LACMA Collections(右隻)
  16. ^ Scenes in Kyoto Depicting Arashiyama and Shijo _ Museum of Fine Arts, Boston
  17. ^ Maple Hunters _ Museum of Fine Arts, Boston
  18. ^ Chinese Lady _ Museum of Fine Arts, Boston

参考図書

関連項目