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「仙台市民歌」の版間の差分

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2020年8月25日 (火) 05:16時点における版

仙台市民歌

市歌の対象
仙台市

作詞 佐々木青
作曲 堀内敬三
採用時期 1931年
採用終了 戦後は公的行事での演奏を取りやめている
言語 日本語
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仙台市民歌」(せんだいしみんか)は日本政令指定都市の1市で、宮城県県庁所在地である仙台市市歌。作詞・佐々木青(一般公募)、作曲・堀内敬三

解説

「仙台市民歌」
徳山璉/仙台蔦奴シングル
B面 伊達小唄
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 市民歌新民謡
時間
レーベル ビクターレコード
作詞・作曲 仙台市民歌‥作詞:佐々木青、作曲:堀内敬三
伊達小唄‥作詞:土田廣
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1931年昭和6年)が河北新報の創刊35周年に当たることを記念し、同紙を発行する河北新報社1月17日付の紙面で「仙台市民歌」の歌詞募集広告を掲載した[3]。作曲は依頼により堀内敬三が手掛け、同年7月11日付の河北新報に歌詞と楽譜を掲載した別刷りの付録が折り込まれた[4]

10月9日に河北新報社から仙台市へ楽曲が寄贈され、11月14日に仙台市公会堂(現在の仙台市民会館)で発表音楽会が開催された[3]。同月にはビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から徳山璉の歌唱でSPレコードが発売されている[1]B面曲は仙台蔦奴が歌う新民謡「伊達小唄」[2][注 1]

戦前・戦中は盛んに演奏されたが、戦後は1番の歌詞にある「覇権」「大旆」などの表現が軍国主義に繋がるとして忌避され、公的な行事での演奏が自粛されるようになった[4]。そのため、政令指定都市の市歌としては同時期に制定された福岡市歌と同様に市民の認知度が著しく低下しているが、民間のコンサートで演奏されたり広報紙『仙台市政だより』で紹介されるなど折に触れて取り上げられる場合がある[注 2]

1989年平成元年)には市制100周年および政令指定都市移行を記念してダ・カーポが歌唱する「風よ雲よ光よ」が“新仙台市民歌”として制定されているが[5]、同曲への“代替わり”ではなく従来の「仙台市民歌」も存続しているため、現在は新旧2曲の市歌が並立する状態となっている。

参考文献

出典・注釈

出典

  1. ^ a b 仙台市民歌国立国会図書館・歴史的音源)
  2. ^ a b 伊達小唄(国立国会図書館・歴史的音源)
  3. ^ a b 要説 宮城の郷土誌、104ページ。
  4. ^ a b “仙台市の歌はあるの!?”. リビング仙台 (仙台リビング新聞社). (2009年8月11日). http://www.sendailiving.jp/special/detail.php?cid=1&pid=316 201-10-26閲覧。 
  5. ^ 中村(2002)、95-96ページ。

脚注

  1. ^ 1935年(昭和10年)に伊藤久男の歌唱で同名の「流行歌 伊達小唄」が日本コロムビアから発売されているが、高橋掬太郎が作詞、佐々紅華が作曲した別の楽曲である。
  2. ^ 2000年代以降では、伊達政宗の仙台開府400年に合わせて2001年(平成14年)1月号で紹介された。

関連項目